第3話 【選択】壊れゆく命と、小さな光を握る手
金色の欠片が、胸元の上でほのかに光を返した。
まひるの涙と、くーちゃんの光から生まれた――奇跡の残滓。
(これは……あの時の、金のボーロか)
土の匂いに混ざって甘い香りが漂う。それだけで、胸の奥が少し楽になったような気がした。
(……これを食えば助かる。だが)
指が震える。
食べきってしまえば、もう“帰るための切り札”はない。
森の奥には、さっきのブラッドウルフ以上の魔物が潜んでいるかもしれない。
この世界がどれだけ危険なのか、まだ何ひとつわかっていない。
(……ここで使いきるわけにはいかねぇ)
深呼吸して、指に力を込める。
――ぱきり。
乾いた小さな音が森の静寂に吸い込まれた。
金のボーロが半分に割れ、割れ目から光の粒がこぼれる。
「……いただくぞ」
自分に言い聞かせるように呟き、半片を口に放り込む。
噛んだ瞬間、舌に優しい甘さが広がった。
喉を通っていく光の温度は、まるで家のぬくいこたつに潜り込んだような――そんな懐かしい温もりだった。
じん……と、腹の奥が熱くなる。
裂けた肉の縁を、光が縫っていく感覚。
さっきまで呼吸のたびに走っていた激痛が、やがて大きな波から、ただの鈍い疼きへと変わる。
(……これで、まだ動ける!)
胸がじんと熱くなった。
あの時、まひるは俺に“帰ってきて”と祈ってくれていた。
くーちゃんは、自分の命を削ってまで光をともしてくれた。
「……ありがとな……ふたりとも」
服の下に手を入れると、さっきまでぱっくり開いていた傷は固く引きつれながらも確かに塞がっていた。
完全ではない。
痛みも、だるさも、まだ全身に残っている。
それでも、足を動かすだけの力は戻った。
「……まだ、歩ける」
幹にもたれたまま息を吐き、残った半片の金色を見つめる。
――これは、生きて帰るための最後の一手。
俺はそれを胸ポケットに大切にしまい、
ゆっくりと、森の奥へと足を踏み出した。
***
枝をかき分け、必死で奥へ進んでいると――。
そのとき。
カサ……と、草むらが揺れた。
黒紫色の細長い影が、地面を這う。
それは、ぬらりとした光沢を持つ蛇だった。
蛇――にしては、目つきが鋭すぎる。
頭が異様に大きく、口元からは、毒液が滴っている。
「……お前も、ゲームにいたな」
ヴェノムサーペント。
毒持ちの蛇型モンスター。
現実で見たい顔じゃない。
距離を取ろうとして、一歩下がった。
だが、出血で足にうまく力が入らない。
蛇は、あっという間に間合いを詰めてきた。
シュッ――。
紫の残像が走ったかと思うと、鋭い痛みが腕を貫いた。
「っっ……!」
右腕に、牙が深々と突き刺さっていた。
冷たい毒液が、血管の中に流れ込んでくるのがわかる。
じわじわと、指先が痺れていく。
蛇を振り払おうとするが、力が入らない。
何度か振り回して、ようやく牙が抜けた。
ヴェノムサーペントは、森の闇に溶けるように遠ざかっていく。
残されたのは、じくじくとうずく腕の痛みと、冷たい痺れ。
「……マジかよ……」
掌が震える。
呼吸が浅くなる。
足元がふらつき、近くの木にもたれかかった。
視界の端が、少しずつ暗くなっていく。
(毒か……)
ゲームでは、回復ポーションを飲めばよかった。
でも今の俺には、そんな便利アイテムはない。
あるのは――。
胸ポケットに、そっと手をやる。
そこには、先ほど確かめた、金色のボーロ。
これを食べれば。
きっと俺の毒は消え、体はまた動くようになるだろう。
けれど。
「……簡単に、使っていいもんじゃねぇよな」
あれは、まひるの祈りの結晶だ。
くーちゃんの命の光だ。
まだ動けるのに、使い切るわけにはいかない。
毒は肩にまで上ってきている。
腕が自分のものじゃないみたいだ。
それでも、俺はボーロから指を離した。
「ったく……つくづく、割に合わねぇ性格してるよな、俺は」
自嘲気味に笑う。
ふらつきながら、森の奥へと足を踏み出した。
どこかに、安全な場所があるかもしれない。
解毒できるような何かが、この世界にはあるかもしれない。
細い希望にすがるように、歩き続ける。
――どれくらい、進んだだろうか。
やがて、森の空気が変わった。
木漏れ日が柔らかくなり、
金色の粒子が、ゆっくりと宙を漂っている。
森の奥までは、見えない境界線でもあるかのように、静寂に包まれていた。
目の前に、小さな泉があった。
澄んだ水が湧き出し、石碑の足元を静かに濡らしている。
石碑には、見覚えのある紋章が刻まれていた。
輪。
交差する弧。
《アーク・オブ・ライフ》のロゴに似た、円環の模様。
「……ここは……」
足元がぐらり、と揺れた。
毒が心臓に近づいている。
息を吸うのも、やっとだ。
そのとき。
泉の向こうで、なにかが、かすかに動いた。
「……?」
目を凝らすと、クリーム色の塊がひとつ、草の上に倒れている。
近づいてみて、息をのんだ。
「お前……」
それは、クリーム色の毛並みをした、小さな獣だった。
丸い耳。ふわふわした胸元。
どこか、くーちゃんによく似ている。
だが、その足にはまだら模様の金属の罠が食い込んでいた。
鈍く光る金属の歯が、小さな足首を容赦なく挟み込んでいる。
毛の隙間から血が滲み、紫色の痣が広がっていた。
「……っ」
喉の奥から、言葉にならない声が漏れた。
小さな獣は、うっすらと目を開けた。
痛みでかすかに震えながら、俺を見上げる。
「きゅ……ぅ……」
掠れた鳴き声。
息も絶え絶えだ。
「待ってろ」
自分でも驚くほど低い声が出た。
毒で痺れる指で、罠に手をかける。
バネは固く、力が入らない。
「ぐっ……この……」
歯を食いしばり、力を込める。
腕が震え、視界が揺れる。
それでも、諦めたくなかった。
――由佳の声が、脳裏に蘇る。
『まひるを……守ってあげて。誠一さん。
あなたと……もっと、生きていたかった……』
あのときの、冷たい病室。
握り返せなかった細い手。
「……守れないの、二度とごめんだ」
罠が、ギチギチと悲鳴を上げる。
最後の力を振り絞るように押し開くと、
ガチン、と音を立てて歯が広がった。
小さな足が解放される。
獣は、痛みに震えながらも、少しだけ体を丸め直した。
俺の手を、ぺろりと舐める。
「……大丈夫か、お前」
そう言いながら、その体を見る。
罠の傷だけじゃない。
紫色の痣が、体のあちこちに広がっていた。
俺と同じ、毒だ。
このままでは、長くもたない。
「……くそ、どうしてこうなるんだ……」
毒で痺れる腕を見下ろす。
指先から、感覚がじわじわと消えていく。
胸ポケットが、やけに重かった。
震える手でそこに触れ、取り出す。
金色のボーロ――。
掌の上で、かすかに光った。
まひるの涙と、くーちゃんの光が生んだ、あの奇跡の粒だ。
助かるのは……俺か、クリーム色の獣のどちらか一方。
毒が胸のあたりまで迫っていた。
息を吸うたび、肺が冷たくしびれる。
時間は、ない。
選択も、逃げ道も。
――どちらに、使う?
震える指先の先で、金の粒がかすかに光った。
静かに、問いが落ちてくる。
まひるの祈りが――俺に、答えを選ばせようとしていた。
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