ポメラニアン・リターン ― 壊れた世界を直す修理屋―
ひつじ・メイ🐕️
第1話【転移】壊れた日常と、小さな光が落ちた夜
壊れたものは、直せばいい。
ずっとそうやって生きてきた。
だが――壊れた家族だけは、どう直せばいいのか、いまだに答えが見つからない。
灰色の空は、今日も低い。
仕事帰り、雑貨屋の袋をぶら下げて歩くたび、
沈んだ雲の重さが、そのまま胸へ落ちてくる。
最愛の妻を失ったあの日から、
この重さだけは――どう直せばいいのかわからない。
『まひるを……守ってあげて、誠一さん。
あなたと……もっと、生きていたかった……』
由佳の声が、季節の匂いに溶けるように蘇る。
胸の内側が、きゅっとひりついた。
現場が長引き、作業服のまま急いで帰る道すがら、
袋の中で、小さな袋がころんと転がった。
ポメラニアン用のお芋ボーロ。黄色いパッケージに笑う犬の絵。
「……今日は奮発したんだけどな。喜んでくれればいいが」
独り言みたいに呟きながら、家の前で足を止める。
灯りのついた窓には、細い影が揺れていた。ゲーム機の光だろう。
インターホンを押すまでもなく、鍵は開いていた。
ぎし、と扉を開けると、小さな足音がてちてち、と近づいてくる。
「キャン!」
クリーム色のポメラニアンが、しっぽを千切れそうに振りながら飛びついてきた。
思わず口元がゆるむ。
「おお、お出迎えサンキュな、くーちゃん」
お芋ボーロを見せると、くーちゃんは目を輝かせてしっぽをふり、
幸せそうな鳴き声をあげた。
「まひる、帰ったぞ」
リビングに声をかけると、苛立った声が返る。
「どうせ遅くまで仕事して、私のことなんて忘れてるんでしょ。
てゆうか汗臭いんだけど」
まひるは、由佳を失ってからずっとこんな調子だ。
歩み寄りたいのに、俺はどう接していいのかわからない。
足元では、くーちゃんが「きゅーん」と喉を鳴らしながら、
ボーロをコリコリ食べている。
……この子がいなければ、家庭はもっと早く壊れていたかもしれない。
「……ただいま」
まひるの刺すような視線を浴びながらリビングに入ると、
ゲームの画面が目に入った。
『アーク・オブ・ライフ』。
昔、三人で笑いながら遊んだ、家族の思い出のゲーム。
ふと、テレビの端に“サービス終了まで31日”の小さな表示が見えた。
胸がわずかにざわつく。
――思い出が、まひるの前から消えてしまう。
それが、娘の苛立ちをさらに鋭くしている気がした。
「なあ、まひる。そのゲーム、やりすぎると――」
言いかけた瞬間、言葉が喉に引っかかる。
声をかけたかっただけなのに、どう言えばよかったのか……わからない。
ほんの一瞬、まひるの肩がわずかに震えた。
触れてはいけない場所に、指先だけ当たってしまった――そんな感覚が走る。
だが、その曖昧な態度が、まひるの逆鱗に触れてしまった。
堰を切ったように、表情が弾ける。
「何言ってんの! アンタには関係ない!
放っておくくせに、父親ぶらないでよ!」
胸がひどく痛んだ。
まひるにとってはまだ、大切な“家族の欠片”なのだろう。
なのに俺は……。
ゲームのサービスも、あと一ヶ月で終わる。
残り少ない思い出に縋りつくまひるの気持ちを、理解してやれなかった。
余計なことを……。
また、言葉を間違えた。
リビングの空気が、ひどく静まった。
ゲームの電子音だけが、遠くで鳴り続けている。
謝ろうとした時だった。
ぐらり、と視界が揺れる。
「……地震?」
足元を突き上げる轟音。
棚が鳴り、ガラスが震え、くーちゃんが「ワンワン!」と吠えた。
揺れはどんどん強くなる。
天井が軋み、嫌な音を立て――。
ずる、と大きく沈んだ。
(あぶない!!)
思考より先に、体が動いていた。
まひるとくーちゃんへ飛び込み、二人を覆うように抱きしめる。
轟音。
落下。
衝撃。
世界が一瞬で白く弾け、
次の瞬間、赤黒い静寂が流れ込んできた。
――重い。
胸の上に、何かがのしかかっている。
息を吸おうとして、うまく入らない。
「……まひる……」
声が、かすれる。
「……痛いところは、ないか……」
「くーちゃん……無事か……」
返事が聞こえた、その瞬間だった。
全身から、ふっと力が抜ける。
(……あれ……?)
指先が、思ったように動かない。
体の感覚が、じわじわと遠のいていく。
遅れて――
胸の奥に、焼けつくような痛みが走った。
視線を落とす。
鉄骨が、自分の体を貫いているのが見えた。
血の温度が、やけに生々しく伝わってくる。
(……ああ)
ようやく、理解した。
これは――
立ち上がれる類の怪我じゃない。
致命傷だ。
そう悟った瞬間、
不思議と、恐怖は湧かなかった。
――それよりも。
まひるとくーちゃんが、無事だと分かったことのほうが、
胸いっぱいに広がっていく。
「……よかった……」
息を吐くたび、視界が滲む。
「ほんとに……よかった……」
声が震えたのは、痛みのせいじゃない。
二人を守れた安堵が、胸の奥から溢れてきたからだ。
「俺は……それだけで……十分だ……」
笑ったつもりだった。
けれど頬を伝うのが、涙なのか血なのか、もう分からない。
それでも――
胸の奥に抱いてきた誓いだけは、確かだった。
(由佳……)
闇の向こうに、
ふと、あの日と同じ笑顔が浮かぶ。
(……約束、守れた……ぞ)
その微笑みへ手を伸ばそうとした瞬間――指先が、力を失った。
その微笑みに手を伸ばそうとして――
指先が、すとんと力を失った。
「パパ! パパ、お願い……死なないで!!」
泣き叫ぶ声が、遠くから聞こえる。
“パパ”と呼ばれたのは、何年ぶりだっただろう。
耳鳴りがする。
金属が軋むような、不快な音。
「きゅーん……! きゅーん……!」
くーちゃんが必死に俺の顔を舐めている。
温かい舌の感触が、涙と混ざった。
……ありがとうな、くーちゃん。
まひるのこと……頼む。
もう、俺にできることはない。
そう思った――
その時だった。
ぽたり。
まひるの涙が、
床に転がっていたお芋ボーロに落ちる。
くーちゃんの体が、かすかに震えた。
白い光が、
内側から滲み出すように、もふもふを包み込む。
「……え……?」
次の瞬間――
ボーロが、金色に輝いた。
ふわり、と宙へ浮かび、
まるで“応える”ように、光が膨れ上がる。
祈りが、重なった。
光が、弾けた。
まばゆい奔流が部屋を満たし、
星屑のような粒が、俺の体へ降りそそぐ。
優しい温もりが、
裂けた肉を縫うように、ゆっくりと染み込んでいく。
痛みが――
遠ざかっていった。
「パパ! お願い、起きて……!」
ゆっくりと目を開けると、まひるが泣きながら俺を抱えていた。
助かった……のか?
視界の端で、床に転がったゲーム機が目に入る。
割れた画面は、まだ微かに光を残していた。
微笑もうとした、その瞬間。
ゲーム機の画面から黒い霧が立ち上がった。
ぞわり、と空気が変わる。
(……修理屋……ミツケタ……壊れゆく世界……ナオシテ……)
耳の奥で、誰かの声がこだました。
光と闇がぶつかるように視界が歪む。
次の瞬間。
俺は、『アーク・オブ・ライフ』の世界へと吸い込まれていた。
最愛の娘と、愛犬を置いて――。
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