光と影の深層で、僕らは名前のない感情に触れた

@ytmel

第1話:静かな崩壊



夜の街は、今日もノイズが多すぎた。


人の話し声。

車のエンジン音。

看板の光、湿った空気、すれ違う他人の気配。


全部が、目に見えない“重さ”になって俺の体に覆いかぶさってくる。


――いや、“見えない”はずなのに。


最近は、街灯の光が粒子のように分裂して見えたり、

人の声の裏に黒いノイズが混ざっている気がしたり。


どう考えても疲れすぎだ。


俺――シンは、ひとりで深く息をついた。


「……まただ。空気が重い。」


胸の奥がざわつく。

嫌な感情の“残り香”みたいなものが、街中に広がっている。


こういうのは、いつから感じるようになったんだろう。


昔から世界が少しだけ“うるさすぎる”気がしていた。

だけどそれを誰かに説明したことはない。


感覚の話は理解されない。

言葉にしても伝わらない。


だから俺はいつも、黙って飲み込んできた。


――その瞬間だった。


視界の端で、光が“揺れた”。

最初は街灯の故障かと思った。


けれど違う。

光が……流れている。


いや、流れているというより、剥がれていた。


「……え?」


ビルの壁が薄い膜みたいに波打ち、

歩道の境界がゆっくりとゆがむ。


色だけが先に分離しはじめた。


赤、青、金、白、灰色。


色が剥がれ、その下から“線”が浮かび上がる。


世界が静かに分解されていく。


「……待って。なんだこれ……」


音が遠のき、光が増していく。


街のすべてが粒子となって宙に舞い、

俺の身体も同じ方向へ引き寄せられた。


落ちた。


落ちたはずなのに、痛みはない。

深い湖の上にふわりと浮かんだような静けさ。


気づくと、俺はまったく別の場所に立っていた。


淡い青白い光が空に満ち、

風の代わりに“金色の粒子”が漂っている。


草原……なのに、地面からは微弱な光が生えていた。


世界が……静かだ。

そして、美しすぎる。


「ここは――」


「……視えているのね。“そのままの形”で。」


声がした。


振り向くと、少女が立っていた。


銀色の髪が風もないのに揺れ、

その周囲には穏やかな金色の波紋が浮かんでいる。


その光は、安心の匂いがした。


「あなた、珍しいわ。感情の粒子を、色で見ているんでしょう?」


少女の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。


世界が、静かに形を変えようとしていた。

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