第2話 変身解除後の反省会はベッドの上で
午後八時十四分。室温二十四度。
私の部屋の机上には、本日の戦闘データ――もとい、シズクちゃんとの愛の記録が展開されていた。
「いやー、素晴らしいね! 見てよこのグラフ! 変身時の心拍数と魔力出力が完全に比例してる!」
私はノートパソコンの画面を指差し、ベッドに腰掛けているシズクちゃんに熱弁を振るう。
「特にあの耳打ちの瞬間! シズクちゃんの交感神経が優位になって、瞳孔が開いた〇・五秒後に最大出力! つまり、シズクちゃんの恥じらいこそが最強の兵器ってことだね。これは次回の戦闘でも積極的に採用すべき戦術プランであり――」
「……あかり」
「ん? なに? データの補足?」
振り返ると、シズクちゃんが濡れた髪をタオルで拭きながら、じっと私を見つめていた。
お風呂上がり。
上気した肌。
無防備なパジャマ姿。
柔軟剤のフローラルな香りが、狭い部屋に充満している。
「……うるさい。データとか、どうでもいい」
「えっ、どうでもよくないよ! 私たちの愛の結晶だよ!?」
「……こっち来て」
シズクちゃんの手が、くい、と手招きする。
その仕草があまりにも蠱惑的で、私は吸い寄せられるようにふらふらとベッドへ近づいた。
これは不可抗力だ。
研究員として、サンプルの要求には応えなければならない。
「ど、どうしたの? マッサージでもする? 戦闘で疲れたよね、あんな高出力ビーム出したし」
私がベッドの縁に座ろうとした、その時だ。
ドンッ。
視界が回転した。
背中に柔らかいマットレスの感触。
上に覆い被さる影。
「え……?」
状況を整理するのに〇・三秒。
私はシズクちゃんに押し倒され、マウントポジションを取られていた。
上から見下ろすシズクちゃんの瞳は、昼間の戦闘時よりも深く、暗く、光を吸い込むブラックホールのように濁っている。
「シ、シズクちゃん……? あの、近い、です」
「……あかりが悪い」
「えっ、私!? 私なにか計算ミスした!?」
シズクちゃんの指先が、私の首筋をなぞる。
冷たい指先なのに、そこから火花が散るような錯覚を覚える。
ぞわり、と背筋に電流が走った。
「……昼間、あんなことして。……私が、あの程度で鎮まると思った?」
「あ、あれは! 世界を救うための戦術的イチャラブであって!」
「……言い訳、禁止」
シズクちゃんの顔が近づく。
逃げようとして、私は気づいた。
シズクちゃんの膝が、私の太ももをがっちりと挟み込み、ロックしていることに。
これは――拘束だ。
見えない鎖でがんじがらめにされているような、圧倒的な重量感。
「……責任、取ってくれるんでしょ?」
シズクちゃんが、私の耳元で囁き返す。
昼間の私への意趣返し。
けれど、その威力は桁違いだった。
私の鼓膜を震わせ、脳髄を痺れさせ、理性という名の防壁を一瞬で溶解させる、魔性のウィスパーボイス。
「うっ……! そ、それは、相方としての責務なら……!」
「……ん。いい子」
ちゅ、とリップ音が鳴る。
首筋に落とされた口付けが、あまりにも濃厚で、私は「ひゃっ」と情けない声を上げてしまった。
「ま、待ってシズクちゃん! 明日は学校! 一限目から体育だよ!?」
「……関係ない。体力なら、あるでしょ」
「私は一般人レベルだよ!? 魔法少女の基礎体力テスト、シズクちゃんだけSランクだったの忘れたの!?」
そう。
シズクちゃんはか弱い見た目に反して、変身していない状態でも異常に体力がある。
持久走では涼しい顔でトップを独走し、握力測定では計器を破壊しかけたこともある。
対する私は、文化系の極み。
「……大丈夫。
「リードの意味が違う気がするんだけど!」
「……あかり、私を『開発』したいんでしょ?」
ドキン、と心臓が跳ねた。
シズクちゃん、私の研究ノート(裏アカウント)を見たな!?
「……いろいろ試したいこと、あるんでしょ。……今なら、させてあげる」
「っ……! そ、それは……魅力的すぎる提案……!」
研究員としての知的好奇心が、生存本能を凌駕してしまった。
シズクちゃんのあの反応やこの反応を、至近距離で、合法的に採取できるチャンス。
これを逃す手はない。
「わ、わかった! やる! やるです! その代わり、お手柔らかに――」
「……ん。いただきます」
私の懇願は、シズクちゃんの唇によって塞がれた。
そこからはもう、私の計算が及ぶ領域ではなかった。
熱い。
重い。
苦しいほどの愛が、物理的な接触となって降り注ぐ。
シズクちゃんの手が、私のパジャマの中に滑り込んでくる。
その手つきは、獲物の弱点を知り尽くした捕食者のそれだ。
「……っ、ん、シズクちゃ、そこ、は……!」
「……ここ? あかり、ここ好きなの?」
「ちが、くすぐった……あぅっ!」
私の反応を見て、シズクちゃんがサディスティックに口角を上げる。
普段のクールな表情からは想像もつかない、妖艶な笑み。
ああ、尊い。
尊いけど、待って。ペースが早い。
一時間経過。
私のライフポイントは既にレッドゾーン。
呼吸は乱れ、シーツを握る指に力が入らない。
「はぁ……はぁ……も、もう無理……シズクちゃん、タンマ……!」
「……だめ。まだ足りない」
シズクちゃんの瞳は、まだギラギラと輝いていた。
え?
嘘でしょ?
あれだけ動いたのに、息一つ上がっていない。
肌はツヤツヤと輝き、むしろエンジンが暖まってきたと言わんばかりの活力を帯びている。
「シズクちゃん……体力、どうなってるの……?」
「……あかりが可愛すぎるのがいけない。……もっと、見せて」
「ひぃぃぃ! 私のHPはもうゼロだよぉぉぉ!」
「……回復魔法、かけてあげる」
そう言って、シズクちゃんは再び私の唇を塞いだ。
回復どころか、それは燃料投下だった。
私の体内の炉心は暴走し、思考回路は焼き切れ、あとはただシズクちゃんの重力に従って堕ちていくだけ。
あ、これ、私が研究してるんじゃなくて。
私が開発されてるんだ――。
薄れゆく意識の片隅で、私はそんな致命的な事実に気づきかけていた。
◇
チュンチュン。
無慈悲な小鳥のさえずりが、朝の到来を告げる。
「……うぅ……腰が……」
私はゾンビのようにベッドから這い出した。
全身の関節がきしむ。
筋肉痛という生易しいものではない。まるでロードローラーに一晩中轢かれ続けたような疲労感だ。
鏡を見ると、そこには目の下に隈を作り、髪をボサボサにした落ち武者が映っていた。
首筋には、くっきりと赤いマーキングが三つ。
「……おはよ、あかり」
背後から、爽やかな声がかかる。
振り返ると、そこには肌を輝かせ、天使のような微笑みを浮かべた
制服を完璧に着こなし、髪はサラサラ。肌もツヤツヤ。
昨夜の獣のような姿はどこへやら。完全にリフレッシュした顔をしている。
むしろ、魔力が増幅してオーラすら見える。
「お、おはよう……シズクちゃん、元気だね……」
「……うん。あかりのおかげで、スッキリした」
シズクちゃんが近づいてきて、私のボサボサの髪を優しく撫でる。
その手つきは、飼い主が愛犬を労うそれだった。
「……今日、学校休む?」
「い、行くよ! 休んだら負けな気がするもん!」
「……そ。無理しないでね」
シズクちゃんは余裕の笑みを残して、先にリビングへと向かった。
その後ろ姿を見送りながら、私は震える手で研究ノートを開き、ミミズの這うような文字で記録を残した。
『研究報告:月城シズクのスタミナは測定不能(インフィニティ)。夜の彼女は、怪人より強い』
……悔しい。
次は負けない。
次こそは私がリードして、シズクちゃんをヘロヘロにさせてやるんだから!
そう決意して一歩踏み出した瞬間、私は足がもつれて派手に転んだ。
「あかりー? 早くしないと遅刻するよー」
「い、いま行きまーす……!」
私たちの世界平和(イチャラブ)な日常は、まだ始まったばかりである。
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