葉山律の論理を破壊せよ!図書室の絶対服従契約

御園しれどし

第1話 完璧主義者の崩壊と究極のラブレター


 Ⅰ.葉山律の、完璧な日常


 私立・月下誓約学園の二年A組、葉山 律(はやま りつ)の人生は、常に完璧だった。

 成績はトップ。外見はクールで端正。朝の登校から放課後の自主学習まで、一分一秒の無駄もない、極限まで効率化された人生を彼は送っていた。律にとって、恋愛などという非論理的で、計算不可能な感情の動きは、「人生のバグ」に過ぎなかった。


 その証拠に、律のロッカーは、毎日大量のラブレターで溢れていたが、彼はそれらを全て「非効率的な感情のノイズ」として一瞬で却下していた。


「愛?好き?全ては脳内のドーパミンとオキシトシンの錯覚。予測可能な現象に、私の時間を割く価値はない」


 律は、朝、いつものようにロッカーを開けた。 大量のピンクやハート柄の封筒が、整然と彼のロッカーに雪崩れ込んできたが、その中に、異質なものが一通紛れていた。


 それは、飾り気のない茶色の、少しよれた封筒。宛名には、達筆で、しかし少し震えたような文字で「葉山 律様」と書かれていた。


「またか。非論理的な感情の投函」


 律は、いつものようにこれをゴミ箱に直行させようとしたが、ふと手が止まった。この封筒だけは、他の安っぽい香水臭いものと違い、純粋なインクと紙の匂いがした。そして、この文字の筆致には、なぜか無視できない切実なエネルギーが宿っていた。


「非効率だが、今回はデータ収集として分析する価値があるかもしれない」

 律は、冷静な理性の盾を構え、教室の誰もいない隅の席で、そのラブレターを開封した。


 Ⅱ.古則こそくの起動


 ラブレターは、便箋三枚にわたる長文だった。しかし、そこに書かれていたのは、定番の「告白」ではなかった。


『貴方の立ち姿、貴方が黒板を消す時の完璧な動き、そして貴方の孤独なまでの論理性が、私には眩しすぎます。私は、貴方の完璧さの影に潜む、取るに足らない存在ですが、どうか、私が貴方の完全性を損なうことなく、ただ見つめるだけの存在でいさせてください。』


 律は、読み進めるうちに背筋が寒くなった。これは、彼の内面を、彼の自己認識以上に正確に分析した文章だった。まるで、彼の魂を覗き込まれたような感覚だ。


「この文章力……ただ者ではない。これは文学だ」


 律の心の中で、理性と完璧主義の城壁がミシミシと音を立てて崩れていく。彼は、生まれて初めて「計算外の感情の奔流」に巻き込まれていた。


 そして、便箋の最後の行。そこに、その作者の、悲痛な願いが綴られていた。

『貴方がこの手紙を読み終えた瞬間、どうか私のこの一世一代の願いを、ただ一度だけでも、存在として認めてください。春日詩織より』


 律が、その「存在として認めてください」という切実な言葉を、脳内に完全に吸収した、まさにその瞬間だった。


 ゴオオオォン……!


 律の背後で、まるで教会の鐘が鳴り響くような、重く深い音が響いた。

 律の左手首の内側。皮膚の下から、細く、しかし鮮やかな、古代の紋様が、淡い光を放ちながら浮かび上がった。


「な……なんだ、これは?」


 律が動揺する間もなく、彼の頭の中に、学園の古則こそくの条文が、強制的に叩き込まれた。


【月下誓約学園・古則:従僕の愛(アムール・ド・セヴァント)】

 1. 「真心を込めた手書きの書簡」を受け取った者は、その書き手(主人)に、絶対服従の愛(従僕の愛)を誓う。


 2. 主人の命令は、倫理に反しない限り絶対。


 3. この契約は、主人の告白が成就するか、学園行事『月下舞踏会』**まで継続される。


「バカな!そんな非論理的な呪いが、この科学的な時代に存在するわけが……!」


 律は、自己の理性でこの現象を否定しようとした。その時、彼の体が意思に反して、勝手に動き出した。


「私は、主人である春日詩織様の命令を、絶対的な愛をもって、承知いたします」


 律の口から出たのは、彼のクールな声とは似ても似つかない、中世の騎士のような、丁寧すぎる自動応答だった。


「やめろ!喋るな、私の体!」


 律は、自分の体に「召使い」という、人生で最も非効率で、最もプライドを傷つけられる役職が、強制的にインストールされたことを悟った。


 Ⅲ.葉山律の第一の任務


 律は、屈辱に耐えながら、ロッカーの差出人の名を見た。


 春日 詩織。


 彼は、学園のデータベースでその名を検索した。二年B組、図書委員。成績は中の上、運動神経は最低、そして学園で最も存在感が薄い生徒として知られていた。


 律は、完璧な人生を取り戻すため、急いで図書室へと向かった。


 図書室の隅の、誰も寄り付かない哲学書の棚。 そこに、縮こまるように座り込んでいる、地味な制服姿の少女がいた。それが、彼の「主人」、春日詩織だった。


 詩織は、律が近づいてきたことに気づくと、驚愕のあまり、持っていた分厚い専門書を床に落とした。


「ひゃいっ!」


 律は、胸の内のプライドを千切りながら、騎士のような姿勢で、跪いた。


「主人、春日詩織様。召使い、葉山律が参上いたしました。貴方の命令は、絶対です。さあ、この葉山律に、この世で最も非効率な、そして、召使いとして最初の任務をお命じください」


 律の完璧な外見と、完璧すぎる「召使い」のポーズに、詩織は顔を真っ赤にして、震えながら、床に落ちた本を指さした。


「あ、あの……じゃあ……その、床の……本を……拾って、ください……」


 学園のプリンス、葉山律の「召使い生活」は、床に落ちた一冊の専門書を拾い上げるという、あまりにも地味で、あまりにも屈辱的な任務から、唐突に始まったのだった。

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