第6話 伯爵の嫉妬は冗談ではないのかもしれない
ダンジョンから帰還する道中、お嬢様は”王様ゲーム”を説明し続けていた。
「でね、王様になった人が何でも命令できるの! クラウも絶対従わなきゃダメだからね!」
「……二人でやる意味がありますか?」
「あるよ! うちが王様になったら、クラウに昔みたいに喋ってもらうんだから!」
結局そこに行き着くのか。
お嬢様は15歳の成人後、俺が敬語を崩さなくなったことに未だに不満を抱いている。だが、主従の関係を明確にすることは執事として当然の務めなのだが。
「私は特にお嬢様に対して要求事項がないので、50%の確率で負ける運の勝負はリスクが高いのですが...」
「私の運を見くびらないでよ!」
そうだった。運の勝負だったら尚更話にならないか。
そんな他愛もない会話を交わしながら、森の出口へと差し掛かった時だった。
「おお、お嬢様とクラウ! 偶然だな」
「......」
聞き覚えのある声が、森の外から響いてくる。
出口を抜けると、そこには見慣れた顔ぶれが勢揃いしていた。
バルド師匠、エルド先生、ロアンさん、そして母まで。
「偶然通りかかったんだよ、偶然!」
そんな訳あるか、と思いながらも助かったので文句は言わないでおこう。
「偶然にしては人数が多いですね」
「本当にたまたまなんだって! なぁエルド!?」
「…...知らん」
エルド先生は無言で視線を逸らした。
「クラウ、お嬢様、お疲れ様です」
母が優しい笑顔で近づいてくる。
「ところでバルド、旦那様と執事長どこにいったんだ? 今までいたはずなのに見当たらないっすな」
ロアンさんの一言にその場の空気が凍りついた。
「あ」
遅れてロアンさんが顔を青くする。
「な、なーんちゃて!!」
流石に無理過ぎる。俺は深い溜息をついた。
つまり、レオン伯爵と父も心配で待機していたということだ。
「……みんな心配してくれてありがとね!」
「お嬢様。無事に帰ってきてくれただけで十分です」
母がお嬢様の肩に手を置いた。
「さあ、早く屋敷に戻りましょう。温かいお風呂と食事を用意していますよ」
「わあ、ありがとうマリアさん!クラウスのご飯も美味しいけど、やっぱりマリアさんの作るシチューにはまだまだ勝てないもんね」
お嬢様の表情が一気に明るくなる。
残念ながらお嬢様に完全同意せざるを得ない。同じ材料、同じ工程で調理したとしても圧倒的に母の作る料理には敵わない。
俺たちは家臣たちに囲まれながら、屋敷への帰路についた。
道中、バルド師匠とエルド先生がダンジョンでの戦いについて根掘り葉掘り聞いてきた。お嬢様が楽しそうに答えているのを見て俺は口を挟まなかった。
屋敷に到着すると、メイドたちが総出で出迎えてくれた。
双子のフロラとフィオナが、お嬢様に飛びついてくる。
「「お姉様、お帰りなさい!」」
「ただいま、二人とも。いい子にしてた?」
賑やかな再会の光景を眺めながら、俺は静かに執務室へと向かった。
明日の報告に備えて、資料を整理しておくとしよう。
―—―
翌朝、俺とお嬢様はレオン伯爵の執務室を訪れた。
扉を開けると、伯爵は執務机に向かって書類を読んでいた。
「失礼いたします」
「ああ、入りたまえ」
伯爵が顔を上げ、柔らかい笑みを浮かべた。
「レティシア、クラウス、よく戻ってきたな。怪我はないかい?」
「うんパパ。クラウが守ってくれたから問題なかったよー」
「……そうか」
伯爵の表情が微妙に曇る。
俺は気付かない振りをしてそのまま本題に入った。
「だ、旦那様ご報告いたします。月影の洞窟のボスを討伐し魔光石の入手に成功しました」
そう言って、お嬢様が懐から魔光石を取り出した。
淡い光を放つその石を見て、伯爵の目が見開かれる。
「おぉ、これが...。信じてはいたけどまさか本当に手に入れるとはね」
「はい。お嬢様の幸運のおかげです」
「いやいや、クラウが強かったからだよ!」
お嬢様が慌てて否定する。
伯爵は魔光石をしげしげと眺めた後、満足そうに頷いた。
「よくやったね。これで街道整備の計画が大きく前進するんじゃないかな」
「ありがとうございます」
「それでね、レティシア、クラウスくん...」
伯爵が机の引き出しから書類を取り出した。
「君たちなら必ず課題を成し遂げるだろうと思ってね、こちらもそれ相応のご褒美を用意したんだよ」
そう言いながらレオン伯爵は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ご褒美?」
「ああ。すぐに作業を進められるように街道整備に必要な魔法使いを十名確保したよ」
素直に凄い、さすが旦那様だ。
場合によっては魔法使いを確保する工程が一番時間が掛かるのではないかと考えていた。それをたった1日で手配してしまうとは...。コネや権力だけで出来る事ではない。
「十名、ですか?」
「うん、全員、土魔法とかに長けたギルドの選りすぐりのメンバー達だよ。今日の午後には屋敷に到着する」
ふふん、と伯爵が誇らしげに言う。
「パパ……!」
お嬢様が歓喜に包まれる。
「ありがとうパパ! 大好き!!」
お嬢様が感極まって、俺の腕に抱きついてきた。
「クラウ! やったね、やったよ!」
「……ええ、おめでとうございます。ただ、ちょ、それはまず」
お嬢様の柔らかい感触と、甘い香りが至近距離から伝わってくる。
顔が熱くなるのを感じながらも、俺は慌ててお嬢様を引き剥がそうとする。
だが——
「……レティシア」
時すでに遅し。伯爵の声が、氷点下まで冷え込んでいた。
「パパ?」
「今すぐそこから離れなさい」
「え? なんで?」
「いいから離れるんだ」
レオン伯爵の強く握られた拳からは血が滴り落ちている。。
「クラウス・ハートレイ」
「は、はい」
「貴様、我が娘に何をした?」
「……何も」
先ほどまでの優しい笑顔を浮かべたレオン伯爵を返して欲しい。
「嘘をつくな。今、抱きついているではないか」
「お嬢様から抱きついてこられたのですが...」
「問答無用だ」
伯爵が立ち上がる。
俺が命の覚悟を決めたその瞬間——
バンッ
執務室の扉が勢いよく開いた。
「あなた! 座りなさい」
低く、冷たい声。
セシリア夫人が、恐ろしく静かな表情で立っていた。
「セ、セシリア……?」
「座りなさい、と言いました」
「……は、はい」
伯爵が即座に椅子に座り直す。
続いて、母が紅茶の盆を持って入室してくる。
「お茶をお持ちしましたよ」
「(……この二人確実に盗み聞きしていたな)」
俺が無言で抗議の視線を向けると母は舌を軽く出して微笑んていた。
夫人が伯爵の隣に座り、優しく微笑んだ。
「レオン、いい加減娘離れしなさい。嫉妬は醜いですよ」
「……わかっているけど...」
「わかっていないから、こうして私が来たのです」
夫人が伯爵の手を取る。
「レティシアは、もう子供ではありません。信頼できる執事と共に、立派に成長しているのですから」
「……そうだな」
伯爵が深く息をついた。
「すまない、取り乱した」
「い、いえ、問題ありません」
その後落ち着きを取り戻した伯爵と、母が淹れた紅茶を飲みながら街道整備の具体的な計画について話し合った。
「まずはリオネール領内から王都までの街道を整備しよう」
伯爵がそう言いながら地図を広げた。
「目標は三ヶ月。魔法使い十名と、領民から募った人夫で工事を進める」
「三ヶ月、ですか」
「ああ。魔光石の力を使えば、不可能ではないよ」
レオン伯爵が俺を見た。
「クラウスくん、君が現場の総責任者だ。レティシアの構想を、必ず実現させてやってくれ」
「……承知いたしました」
「ま、まだ君に娘を任せた訳じゃないぞ!?」
俺は深く息を吐きながら改めて想像を膨らませる。
「頑張ろうね、クラウ!」
「き、聞いているのかクラウスくん!?」
お嬢様が無邪気に笑った。レオン伯爵は無様に無視された。
「ええ、必ず成功させましょう」
「君にお義父さんと言われる筋合い―」
三ヶ月でリオネール領から王都までの街道を整備する。
前例のない大事業だが、お嬢様の理想を叶えるために身を粉にして働こう。
リオネール領の人々のため、お嬢様のため...。
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