第2話
翌日の放課後。
図書準備室の扉を開けた瞬間、俺は固まった。
「結城くん。今日は早かったですね」
雪城が、机にノートパソコンとメモを並べて座っていた。
しかも机の真ん中には、
《本日の議題:恋愛相談シナリオ作成について》
と書かれた見事に整った字の用紙が置かれている。
「……なんで議題書いてんの?」
「会議なので」
「いや、会議じゃないだろ。これは……その……恋愛相談?」
「恋愛会議です」
言い切った。
完璧委員長の真顔で。
「……そうか」
俺は、苦笑しながら向かいの席に座る。
すると雪城は姿勢を正し、まるで生徒会の議事録を取るようにペンを構えた。
「では結城くん。私の恋愛のために、本日は“基礎から”お願いしたいと思います」
「基礎?」
「はい。……恋愛の」
そこで言葉が詰まった。
顔がじわじわと赤く染まっていく。
「れ、れ……れん、れん……い……」
「落ち着け。恋愛だろ?」
「そ、それですっ……! こうなるんです!」
雪城は両手で自分の頬を押さえた。
「こうやって、相手の前だと脱線して噛んで……この前なんて“こ、こ、告白のこ……こく……こくひゃく……”って言って笑われて……!」
「告白が“こくひゃく”に……?」
「言わないでくださいぃ……!」
机に突っ伏した雪城が、耳まで真っ赤にして震えている。
――可愛いかよ。
いや落ち着け結城智也。
俺は脚本家だ。分析する側だ。
「まずさ、雪城。落ち着け。深呼吸」
「すぅ……はぁ……」
「で、雪城は恋愛経験ゼロなんだよな?」
「はい。完封負けです」
「なんで野球みたいに言うんだよ」
「勝率の話です」
「いや、恋愛の勝率って言葉初めて聞いたわ……」
くだらないやり取りなのに、会話のテンポが妙に良い。
昨日よりだいぶ距離が近づいた気がする。
「じゃあ、“恋愛ポンコツ診断”をするか」
「ぽ、ポンコツ……?」
「観察して気づいたこと、言っていいか?」
「ど、どうぞ……」
「まず、好きな相手を前にすると噛む」
「うぐっ……は、はい……」
「視線を合わせられない」
「う……見続けられないんです……!」
「緊張すると敬語になる」
「ふ、不本意です……」
「そもそも距離が近いと固まる」
「ち……近距離攻撃は弱点です……っ」
「言い方。ポケ◯ンじゃないんだから」
雪城は小さくしょんぼりした。
「……やっぱり、私、恋愛の才能ないんでしょうか」
そんな弱音を吐いた顔が、本当に困ってるようで。
なんというか、守ってあげたくなるタイプだ。
「才能なんて関係ないよ。慣れだ、慣れ」
「慣れ……ですか」
「恋愛って、スポーツでも試験でもないんだよ。
“感情”だから、練習すれば誰でも上達する」
「……なるほど……?」
雪城は、小さく頷いた。
素直で、真面目で、吸収が早いタイプだ。
「じゃあ、練習内容を決める前にひとつ訊く」
「はい?」
「雪城。その人のどこが好きになったんだ?」
「……っ」
雪城の顔に、さっきとは違う赤みが差した。
恥ずかしさからくる赤色。
「い、今それ聞きますか……?」
「当たり前だろ。脚本を書くには“動機”が必要なんだよ。
その人じゃないとダメな理由が分かれば、刺さる台詞が作れる」
「……っ……分かりました」
雪城は、息を整えてから、ゆっくり話し始めた。
「その人は……
私を“委員長”だからとか、“優秀だから”とか……そういう理由で扱わないんです」
その言葉は、驚くほど純粋だった。
「私が困ってるときに、誰よりも自然に助けてくれました。
特別扱いじゃなくて……普通に。
なんというか……“私”として見てくれている気がしたんです」
胸に、ゆるく刺さるものがあった。
でも俺は、ただペンを走らせる。
「ふーん。いいじゃん。それ、大事なことだな」
「……はい。だから、好きになってしまって」
「ちなみに、その人って……」
俺はさりげなく核心に近づく。
「どんな人柄なんだ?」
「え、えーと……授業中は眠そうなのに、ノートは完璧で……
基本的に静かなんですけど、話すと優しくて……
図書準備室にいることも多くて……」
「図書準備室、ねぇ」
俺は一瞬黙って、頭の中で冷静な自分がつぶやいた。
(いやいやいや。たまたまだろ。きっと似てるやつがいるだけだ)
しかし雪城は続ける。
「あと……困ってる人を放っておけないところが素敵で……
“委員長じゃない私”を見てくれたのも、その人だけで……」
「……へぇ……」
(おいこれもう確実に俺じゃ……いや勘違いだ絶対)
心臓が変にうるさい。
落ち着け。プロの脚本家だろ俺は。
「よし、方向性が決まった」
「ほ、方向性……?」
雪城が顔を上げる。
「まずは“実戦練習”だ。
緊張しないように慣れるところから始めよう」
「じ、実戦……?」
「相手役を、俺がやる」
「えっ」
本気で驚いた顔をして、雪城の目が見開かれる。
「ちょ、ちょっと待ってください。
“相手役”って……その……わたし、結城くんに……?」
「違う違う。あくまで練習だから。
雪城が“本番でやる告白”を、ここで一度やってみるんだよ」
「こ、告白をっ!? い、今ここで!?」
「当たり前だろ。本番で噛むの嫌だろ?」
「いや、それは……そ、それはそうですけど……」
雪城は、ペンを握ったまま震えている。
「よし、立て」
「ひゃいっ!?」
勢いよく立ち上がった雪城は、背筋が完全に棒になっていた。
俺は机を回り込み、雪城と向かい合う形で立つ。
距離は、半歩だけ。
手を伸ばせば届く距離。
「じゃあ雪城。
俺を相手だと思って——」
「っっっ」
「言ってみろ」
「な、何を……?」
「好きだ、だよ」
その瞬間。
雪城楓の顔が、耳まで真っ赤になった。
息が止まったみたいに固まり、
視線が揺れて、握った手が震えている。
その表情は、どう見ても――
“練習”では収まらない熱を含んでいた。
「さあ、雪城」
俺は静かに言う。
「言ってみろ」
雪城は口を開いた。
震えた声で、精一杯。
「す、す……き……」
そこでカット。
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