第2話 綺麗な宝石も尖ると痛い
財を持つ物をパートナーとして、その一端を享受しようとした女の話をしよう。
女はパートナーから“偶然に手に入れた財”を見せびらかされた時、初めは素直に喜びを示した。女は常日頃からパートナーを献身的に支えてきた自負がある。純愛という感情を心得、携えてきた。子を成し、己の人生を捧げると誓った。
しかし、女は忘れていた。否、合理的に考えた結果棄て去ったと勘違いしていた。
幼き頃から抱く願望を。育ちの家庭環境という、ある意味で不遇であったと捉えていた境遇への劣情を。
財を持つパートナーが隣にいる環境が当たり前になった頃、女の心に邪な選択肢が生まれた。
女は・・・。
女は・・・、パートナーから財の半分をかすめ取った。パートナーが未来の自分たちの暮らしを想像して、浪費から活用に切り替えようとした頃にソレを行動に移したのだ。パートナーはその事実を知らずに、ただ己が得たチャンスを逃した。
女の結末はというと・・・。語るまでも無い、ありきたりで粗末な転落人生を辿ったに過ぎなかった。
けれど、女が我が身の行動を省みることは無かったのだ。
†
「助けてくださって、ありがとうございます」
雨粒が頬を滑る。濡れた銀色の髪が顔の半分を覆うも、彼女の上目遣いには男としての本能をくすぐるものがあった。
「お、おう。その、なんだ。怪我とかないか?」
まともに女性と話したことなんて何年ぶりだろう。見た目がなんというか、宝石の煌びやかさや春風のような清々しさを連想させる。
「はい、左足を捻挫してしまったかもしれませんが、それ以外はなにも。この鎧も、もう使い物になりませんね」
少女は半壊した緑色の鎧を外し、薄着になるとそのまま近くにあった布を纏った。
「やっと一息付けますね。自己紹介がまだでした。私はスーシャ・レッドスカーフと申します。あなたは?」
「れっどすかーふ?」
れっど、すかーふ
レッドスカーフ
赤いスカーフ
何かを忘れているような気がするけれど、まぁいいか。
「俺はゆ・・・なんだっけ」
危ない危ない、記憶喪失の設定だった。まだこの世界のことも、何もかも全くわからない状態なのだから迂闊に自分の情報を開示するのは野暮ってもんだ。
「ゆ?」
スーシャが俺の顔をのぞき込むように見てくる。その仕草に素直にドキッとしました。女の子ってかわいすぎませんかね。年一回くらいしか行かないコンビニの立ち読みコーナーにある雑誌に写ったグラビア写真なんか霞むレベルの女の子パワーに俺の心は鷲づかみにされてから空中で投げ飛ばされそう。
「その・・・名前がわからないんです。記憶が無くて」
「記憶が無い、それは、なんと申しますか。辛いでしょうに」
スーシャは、左足を庇いながら俺に手を差し伸べてくれる。きっと、これが慈愛というものなのだろう。その手は俺の頬を撫でるし、彼女の目はまっすぐに俺の目を見つめる。
自然と目を逸らしてしまった俺に、彼女は何かを得心したように笑みを浮かべる。
「―――では、あなたに名を授けましょう」
名前を授ける?
「これは、契約です。私があなたに名を授けましょう。あなたがその名を心に刻んで名乗り続ける限り、あなたは私の護衛を務めなさい」
「契約?護衛?んー」
「どうしました?」
契約に護衛。正直あまり聞き慣れない言葉ばかりで、実感が湧かない。
「なんか、むずかしい言葉ばっか並べてるけどよぉ。それ拒否したらどうなるんだ?」
その時、首に冷たく硬い物が当たった感触が残る。よく見ると、スーシャの手に剣が握られており、その刃先は俺に向けられていた。
いつ抜いたのだろう。全く見えなかった。まるで時間をスキップしたような実感がある。
「拒否しても良いけど、だとしたら、あなたにはここで死んでもらう。私が生きていることがあなたの口から世間に広まらないためにも、確実にあなたの息の根を止めさせて貰いますが、それでも構わないよね?」
唾を呑む音がはっきりと聞こえる。放心状態というものに初めてなった。だって今、今の今まで話していた少女の声が明らかに変わったのだ。まるで人格が変わったような・・・。
この女、まじ怖えぇ。
「なり・・・ます」
「なります?違うよね?契約を?」
「契約します」
女は不敵な笑みを浮かべながら満足そうにこちらを見つめる。
「なら、さっそくあなたの名前を決めなきゃね。うーん、何が良いかな」
女は剣を鞘に納めると、その手で自分の顎に手を添える。たぶん、コレがこの女の癖なのだろう。
酷い条件を突きつけてくる女だけど―――。
「かわいい」
「え?」
「いや、なんでも」
本当に、心底から俺は馬鹿なのだろう。
「・・・ふーん。そう、かわいいときたか」
畜生が、聞き逃されていなかった。気分良さそうに細目にしてこちらを見つめる様子に、心臓がバクバクと鼓動を体内で響かせる。汗が止まらず、視線が定まらない。どこを見れば良いのか、どこを見たらこの動揺を誤魔化せるのか。ただそれだけが脳内を巡る。
「あなたの名前は、そうね・・・。エルムはどうかしら」
「エルム?どういう意味っすか」
「意味は無いよ。音の響きというか、感覚で名付けただけ。強いて言うなら、この間まで飼ってたペットの名前なんだけど」
ペットの名前を俺に・・・?え、俺ペットって事?
「うん、決めた。あなたは今日からエルムと名乗りなさい。これで、契約成立ね」
女、スーシャが満足そうな笑みを浮かべる。
「
んー、でもまぁ、カワいいんだよなぁ。
一息ついて、改めて頭を抱える。
俺ってホント馬鹿。
†
一通り俺の感情が右往左往したり急上昇と急下降を繰り返す。正直、このスーシャという少女と話していると、ただそれだけで疲労困憊になりそうだ。
「エルム、わかったら返事」
「・・・へい」
「育ちが悪いのね。まぁ、返事をするだけまだマシかな」
俺の反応に不満げな様子は無く、寧ろいつも通りだとでも言うような様子。剣を鞘ごと左足を庇うための杖として地面につきながら、高台があったと思われる建物へ向かう。
俺はというもの、ただその背中に追随することにした。少なくとも、俺よりはここのこと詳しそうだし。
「なぁ?」
「ご主人様」
「なぁって?」
「・・・」
「・・・」
「ご、ごしゅじんサマ」
「あら、どうしたのエルム?」
なんだこの女。見た目俺とそんな変わんないか、ちょっと年下くらいなのに。
「いやー、なにしてるのかなって」
「戦争になる前、ここの市長の跡取りとの食事会で一度だけこの町に来たことがあるんだけど、その時に色々案内されてね。たしかこの辺りに兵舎があったと思うんだけど」
俺が気絶している間に、ずいぶんと激しい災害でもあったのか。半壊した高台の下には、ちょっとした商店街でもあったのだろう。地面に落ちた果物、焼けて黒焦げになったテントと、這うようにして横たわっている焦げた死体。
人の死体を見るのは初めてじゃないけど、焼死体はさすがに初めて見る。気分のいいもんじゃ無い。けど、何故かわからないけど見ていて目を背けたくなるほどの逃避をしたくなることはなかった。
「あった。エルム、ここの扉開けてくれる?」
「自分で開ければいいんじゃないっすかね」
「・・・、開けなさい」
その時、俺の脚が勝手に前へ歩み始めた。
「え、な、なに」
「そうそう、偉いねエルム」
兵舎の扉には縦に10センチ程度の取っ手が付いており、俺の手が勝手に掴んで引っ張ろうとしている。
「そのまま、扉を開けながらその陰に隠れてて」
スーシャはそう俺に命令すると、鞘から剣を抜く。何度か軽くジャンプしながら剣先を扉の方へ向けて構える姿勢をとる。
扉が徐々に開く。開いた面積が広くなるにつれてスーシャの小刻みなジャンプが止まり、右足にすべての力を込めるようにして体勢が傾く。
扉が人一人分が通れるくらい開いた時、瞬きをし終わった時にスーシャはその場にいなかった。
「あれ、すー・・・」
その時、とてつもない勢いの風が向かい風となって俺を襲う。開いた扉が風に押されて俺ごと勢いを増して全開きになる。扉が風を防いでくれたと思ったのは束の間、今度は扉と壁に押しつぶされて鼻に強い痛みと生暖かさが口へ伝っていく。
「痛ってぇ・・・なんだよもう」
扉の裏から脱出して、兵舎の入り口を覗くと鞘に収まった剣が飛んでくる。思わず両手でキャッチすると、室内から嗅ぎたくない匂いが強烈に充満していた。
「その剣、護身用に持ってて。エルムが剣術を嗜んでいるかどうかは知らないけど、何も抵抗できずに一方的にやられるよりはいいでしょ?」
あれだけ鮮やかに穢しがたいほど芸術的な銀髪が、その約半分程度を鮮血にて染め上げられていた。
スーシャが首をかしげてこちらへ問いかける。
「エルムって、意外と度胸あるのかしら?それとも鈍いのか・・・、血とか見慣れてたりしてね」
辺り一面にあるのは、6人程度の兵士の死体。そのうちの数人の胴体には大きな穴が広がり、床の石畳が見えていた。
「すー・・・ご主人様が、こいつら倒したんですか?」
「えぇ、そうよ?」
「あの数秒で?」
「時間を掛けてたら、逆にこちらが不利になりますからね。人数も一人あたりの膂力も兵士さんの方が上でしょう?エルムは素人丸出しで戦力に数えるにはあまりに心許ない。なら、奇襲で即決着。これが定石よ」
「当然のように仰りますけど、こいつらの胴体に空いてる穴見て、ご主人様の膂力が弱いとか思えないんですけど」
「そこはまぁ、乙女の秘密!」
やっぱ怖ぇよこの女!!
†
「その辺に飾られてる新品の防具でも使いなさい。これから変装してこの街を出ます。私、治癒魔法とか得意じゃないから傷薬なんかは沢山持って行きましょうか」
慣れているかのように麻袋に傷薬と思われる薬品を詰め込むスーシャ。正直俺には薬品の見分けとかつかないんだけど。
とりあえず、その変にある物を片っ端から麻袋に詰め込むことにしたが、なんだかスージャからの視線が痛い。
「エルム、もしかして字が読めないの?」
ドキッと心臓が跳ね飛ぶ。
「いやー、どうも記憶と一緒に字までわかんなくなっちゃったみたいで」
「ふーん、まぁいいけど」
危ねぇ。うちのご主人様鋭すぎるんですけど・・・。
「その、赤いラベルの付いた黒い液体。爆薬だから気をつけなさい」
拝啓女神様。最上のお気遣いを賜り、この下僕、従者になれたことを至上の喜びとして生きていきます。
爆薬は麻袋では無く、腰のベルトに付けた小さいポケットに単品で入れておくことにした。
一通りの準備を済ませると、兵士の鎧を身に纏ったスーシャはナイフを持ちながら自分の銀髪を束ねていた。
「ご主人様、どしたの?」
すると、なんのためらいも無く束ねた髪を切った。腰まで伸びていた血で汚れても尚美しい銀色の髪は、首の後ろで収まるほどに短く切られ、続いて両側面の横髪も切りそろえられていた。
「もったいない・・・」
思わず口に出してしまったが、スーシャは一瞬だけこちらを見つめると踵を返すように奥の広間へ歩いて行った。
俺は小走りで後を追う。
「この先に人の気配が無い。でも警戒はしておいてね」
「この先に何があるんすか?」
我ながら間の抜けた訊き方をしているとは思うが、俺のご主人様はその辺り全く気にしないらしい。
「この先には地下通路に繋がる、所謂ダンジョンが形成されているはず。私の国にもダンジョンはあったんだけど、そこと同じような環境になっているのだとしたら、奥に進むにつれて人の手が入っていない魔境になってる。でも、ある程度先に進むと反対側の出口に繋がっていて自然の洞窟に繋がっている。そこから先は、地上に繋がっているはずなんだけど・・・」
「それって、危なく無いっすか?」
「もちろん危ないよ?でも、道を間違えなければダンジョンには行かないで済むし、大概は出口までの道は整備されてるから大丈夫なはずだよ」
つまり、緊急時用の非常口に繋がっているってわけか。
「まぁ、整備されてるんなら迷うことはないっすもんね」
†
非常通路の分かれ道、木の板で封鎖されたデンジャーゾーンの反対側に分岐していたはずの通路は、大きな落石によって塞がれていた。
†
「どうしたものかな」
「どうしましょうね」
安全に街を出られる保証は潰えた。さすがの我らが無敵お嬢様もちょっとばかしは困っている仕草が目立つようになってきている。
通れない落石の跡とは裏腹に、こっちへ来いと言っているかのように封鎖された木の板自体が取れかかっているデンジャーゾーン。
「行くしか無いね」
スーシャが先頭を切って木の板を壊し、前に進む。あまりに逞しすぎるその姿に、思わず見惚れてしまう自分がいる。
うちのご主人様、イケメン過ぎませんかね?いや、少女だけどさ。
「ここから先、しばらく狭くて身動き取り辛そうだし暗いから、松明は自己管理にして一気に進みましょう。ちょっと走るけど付いてこれそう?」
「脚を負傷している女の子に心配されちゃぁ、男が廃るってもんよ」
「・・・そう」
ん?気のせいかな。顔が赤かったような・・・。
「―――じゃぁ、一気に駆けるよ!」
スーシャが身を屈めて今度は両足に力を込めている。捻挫した左足は治ったのだろうか。
「あの―――」
あまりに、強い風が俺を壁に吹き飛ばす。
「痛ってぇ!!」
スーシャの走りは恐らくチーターの最高時速よりも速いのでは無かろうか。そんな気すらするほど、気づいたらスーシャの居場所を示す松明の灯りが徐々に遠く消えていった。どうやら、この先だいぶ距離があるらしい。
落とした松明を拾うと、俺はとりあえずスーシャの跡を追うことにした。
道は一本で迷う要素は無い。地面をようく見ると、一定の距離感覚で地面を強く踏みしめた跡がある。よく鎧を着たままこんな芸当ができたものだ。
「はー、はー、あー、んあー、ひー、ひはーァ」
体感2キロほど走った頃、俺の息は絶え絶えに。走るというよりも、大袈裟に歩いているようなスピード感になってしまっていた。
「運動、して、たわけじゃないけどさぁ・・・こんなに体力無かったっけ俺・・・」
前方には暗闇が続き、スーシャの灯りはまだ見えない。
「はー、ご、ご主人、さまー、あいつ何処まで行ってんだよ」
もう走るの辞めて一旦休憩しようかな・・・。そんな気持ちが介入してきそうではあるんだけど、実際に歩みを止める気分にはなれなかった。
俺は、走った。歩くような速さで無我夢中に走った。
数分後には灯りが見えて、ようやくスーシャの姿が見えるようになった。
「以外と速かったね。途中で休憩するのかなって思って気長に待とうとしていたところだよ」
「はー、はー、はー、はひー」
「鎧着て走って、意外と根性あるんだね、見直したよ」
「ご主人様を、待たせて、休みながら、来るとか・・・かっこ悪いじゃん?」
けど、本音はもう走れません。一旦脚を止めたら吐き気まで押し寄せてきやがった。
「うん、やっぱりエルムって良い子だね」
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