第18話 私、聖女を目指してみます……。

 私がとまどっている間に、先にマッチョさんが口を開いていました。


「なるほど、俺が浅はかでした。隣のペギルク地方から歩いて来たってんなら、見あげた根性でしょうや。ぜひ兵士にください。俺が立派な武人に育てあげますんで」


 ……なんて恐ろしい発言でしょうか。

 冗談じゃありません。

 私のこの貧弱な体で、厳しい訓練なんかしたら、手足がばらばらにもげてしまいます。私は冷や汗をだらだらと流しながら、領主さんに向かって懸命に首を振りました。


「せ、聖女のほうでお願いします……」


 自分でいっていて恥ずかしかったです。なんですか、聖女って。

 私みたいな女の子が、簡単になれちゃうものなんでしょうか。

 よしんば、だれもが修行を積むことで、立派な聖女になれるんだとしても、私みたいなぽんこつを、そんな大層なものにしちゃいけないと思うんです。


 だって、手のひらを開け閉めすることで、心の世界から脱出できると、本気で考えちゃうような女の子ですよ? 自分のことながら、どうしてもっと腰を据えて、物事をじっくり考えることができないのかと、不思議でたまりません。ちょっぴり泣きそうです。


 きっとたぶん、私は普通の人より頭のねじが、4本くらい足りていないんです。


「うん。ぜひとも、聖女を目指してもらえると、僕としてもうれしいな」

「そういえば、まだあなたの名前を聞いていなかったわね」


 ニリンダさんが私に視線を向けます。

 突然、戦場に来てしまってから、ほとんど無理やり天幕に連れていかれ、そこで兵隊さんの治療を、急ピッチで手伝いました。そのどれもがばたばたとしたもので、私には名乗るような暇がなかったんです。注目を浴びる機会に乏しい私は、少し気恥ずかしさを覚えながらも、改めて自己紹介をしていました。


穏香しずかです。石井いしい穏香しずか

「――ッ!」


 それはなんでもない、ただのあいさつのはずでした。

 それなのに、急にニリンダさんは不審がるような顔つきになって、領主さんに向きなおっていたんです。


「……。それは、イシイの集落のシズカ君、という意味でいいのかな?」

「!」


 領主さんの発言で、私は自分が失言したことに気がつきました。


(そっか……この世界に苗字はないんだ)


「あっ……えっと、ただのシズカです」


 ニリンダさんは、私と領主さんを交互に見つめていました。


「本当によろしいんですか、セルジオ様? この子、やっぱりちょっと変ですよ」

「何か事情があるのかもしれない。今のは聞かなかったことにしようよ」

「でも……」

「あれだね。ニリンダ君が僕の代わりに、そうやって心配してくれるから、ますます僕は無茶ができるのかもしれないな。ありがとう」


 そういって領主さんは朗らかに笑います。それはとても、屈託のない笑みでした。


「からかわないでください……」


 口ではそのように話していたニリンダさんも、満更ではなさそうでした。あんなにもさわやかな笑顔で感謝を述べられたら、きっと私だって、釣られてうれしい気持ちになっちゃうでしょう。


「すっかりと遅くなってしまったね」


 領主さんのことばに促され、窓の外を見てみれば、ずいぶんと日が落ちて、辺りが暗くなっていました。心の世界で、長い時間、私は夕暮れの中にとらわれていましたので、現実のほうがようやく追いついて来た具合です。そう考えると、なんだか不思議な気持ちにもなります。


「よし、この話はこれでおしまいだ。これから戦勝を祝って、宴会を開くつもりなんだ。ほとんどが兵士や武人をねぎらうためのものなんだが、よかったら、シズカ君にも参加してほしい」


「いえ、私はそんな……」


 ほとんど何もしていないに等しいのに、私が参加するのはちょっぴりおこがましいです。それに、知らない人が大勢いる輪の中に、自分から進んで入っていくのは、やっぱり私には気が重たかったんです。


 よそ者の参加は、村人たちもいやがるんじゃないかという私の期待に反し、領主さんは立ちあがると、顔に真剣な表情を浮かべて、私へと近づいて来ました。何か怒らせるような発言をしたでしょうか? そう不安がる私の気も知らず、領主さんは深々と私に頭を下げます。


「これは先ほどの話とは別件だ。ノゼンダ地方の領主として、改めて君に感謝したい。シズカ君がいてくれて本当に助かった。もしも、シズカ君が今日この場にいてくれなければ、犠牲者の数はもっと増えていただろう。その中には、もちろん僕たちと親交の深かった者が含まれる。そうしたらば……僕らは、今よりも暗澹あんたんたるみじめな気持ちで、この祝賀会に出席しなければいけないところだった」


 私はいよいよ、どうしていいのか分かりませんでした。

 同級生からも、こんなふうにちゃんとした感謝を、伝えられたことがありません。ましてや、大人の男性になんて、あるはずもないんです。


 学校の先生からは、何回か便利に使われたこともありますが、そのときの謝辞は形ばかりのもので、私のことをまっすぐに見つめたものじゃありませんでした。私じゃなくても、だれでもよかったはずなんです。


 でも、きっと今日は違うんです。私じゃなきゃいけなかったんです。


「あの……頭を上げてください」

「助けられなかった人のことを忘れるつもりはない。だが、生きている者たちを励ますために、もう一度、白魔法の使い手として、シズカ君の顔をみんなに見せてやっては、もらえないだろうか? すでに今日の出来事は、多くの兵士たちにも伝わっているはずだ。自分たちは怪我けがにおびえる必要はないのだと、絶対に勇気をもらえる」


 そんなふうにいわれてしまえば、もはや私に断ることなんてできませんでした。だって、断ってしまったら、どう考えても私が悪者じゃないですか。


「……」


 ずるい言い方をする人だと私は思いました。断りにくい頼み方を、意識してできる人なんだとも思いました。


 私を見あげるセルジオさんの口元には、いくらかの申し訳なさと、それでもためらわないという決意を帯びた、かすかな笑みが浮かんでいます。そのまっすぐな視線に貫かれ、私は気恥ずかしさを覚えずには、いられなかったんです。

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