第13話 兵隊さんの顔、兵隊さんの意思。

 私はきょろきょろと周りを見回します。

 いつの間にか、先ほどまでいた天幕の中に、自分が戻って来ていることに気がつきました。

 体感では、あんなにも長い時間を、黄金色の麦畑で過ごしたはずですが、ニリンダさんは、私が兵隊さんの腕を握ったときとそっくりの姿勢のまま、私の隣にいました。きっと、ニリンダさんが頭の怪我けがを治したときと、おんなじなんでしょう。白魔法を使っている間は、時間が全然進まないんです。


「……」


 そういえば、実際のところ、兵隊さんの具合はどうなったんでしょうか?

 はっとして、私は横たわる男性の足元に視線を向けます。


(よかった、治っている)


 本当に、肩から重たい荷物をおろしたような気分でした。

 安堵あんどする私に、ニリンダさんが苦笑します。


「見事なものね」

「あ、ありがとうございます」


 どうにも私は心配性なものでして、ニリンダさんへの返事とは反対に、念のために兵隊さんの顔色も確かめました。


 ぐっと寝台に覆いかぶさるようにして、私は兵隊さんに視線を向けます。

 赤みがかった、淡いピンク色の髪。

 汗と土でいくらか汚れているようですが、本来の美しさがかげるほどじゃありません。

 顔立ちは男性らしく精悍せいかんですが、額やほほの皮膚はまだしなやかで柔らかく、少年らしさを残しています。


「……ッ」


 なんて整った顔立ちなんでしょう。

 さっきは全然気がつきませんでしたが、改めて見れば、兵隊さんはとてもカッコいい人だったんです。兵隊さんがほかでもなく異性であるということを、このとき初めて自覚してしまった私は、どうしていいのか急に分からなくなってしまい、その場で硬直していました。


 そんな私を知ってか知らでか、ゆっくりと兵隊さんのまぶたが持ちあがります。顔をのぞきこんでいた私の目と、兵隊さんの青いひとみが確実に交差しました。


 透き通るような美しいひとみです。

 自分がうそをつくことも、相手にうそをつかれることも許さないといった気高さが、ひとみの中に宿っているように、私には感じられました。


 時が止まってしまったかのようです。

 こんなにも至近距離で、男の人と見つめ合ったことは、これまでの人生で一度としてありません。心臓がばくんばくんと脈打っています。これまでとは違う意味で、私の胸はどきどきしていました。


 先に動きだしたのは兵隊さんのほうです。

 まもなく、疲れきったようにまた目を閉じてしまっていたんです。私は不安になりましたが、静かな寝息が聞こえて来たので、兵隊さんがねむっているだけだということは、すぐに分かりました。遅れて、私の周りの世界も動きはじめます。寝台の奥から近づいて来た女性が、私に向かって声をかけていたんです。


「すみません、また急患です!」


 たぶんですが、この人も薬師くすしなんでしょう。この不思議な世界に来てから、まだ少ししか時間がっていませんが、私にもなんとなく想像がつくようになって来ていました。


「はい、今行きます!」


 本当は私じゃなくて、ニリンダさんを呼びたかったのかもしれませんが、もうニリンダさんは白魔法を使えません。一方の私に、目立った体調の変化はなく、まだまだ白魔法を使えそうでした。どうして経験者じゃない私のほうに、余力が残っているのかは疑問ですが、やっぱり頭の怪我けがを治すのと、足を治療するのとでは、勝手が違うのかもしれません。


 立ちあがって、女性のあとをついていこうとする私のことを、ニリンダさんが不思議そうな目で見ていました。


「まさか、あなたも聖女なの?」

「え……」


 思ってもみないことばを投げられ、私はぽかんとしてしまいました。不本意ながら、私がおバカな表情をしているのはいつものことですが、今のはそれどころじゃなかったでしょう。問われた単語の意味が、私にはまるで分かっていません。


 聖女?

 ニリンダさんが、どのような人を指して聖女ということばを使っているのか、私には想像することもできませんでした。ですが、その正体がどのようなものであろうと、私がそんな大それた呼び方をされる人間じゃないことだけは、確かなはずです。


 私はぶんぶんと首を横に振りました。それはもう、このまま首が胴体と離れて、どこか違うところへと、大きく飛んでいってしまうんじゃないかというほどに。


「ち、違います! 全然、そんなんじゃありません!」

「そう……。体は平気?」


 なんだか釈然としていなさそうな表情のニリンダさんですが、それ以上、私に追及して来ることはありませんでした。


「はい、全然大丈夫です」


 私は頭を下げてから、女性のあとを追って歩きはじめます。ですが、3歩目の足を前に出したときに、ふと思いなおしていました。


 次の方の治療を始めるよりも前に、私が麦畑でった出来事について、ニリンダさんに尋ねたほうがいいんじゃないかと思ったんです。白魔法の先輩であるニリンダさんであれば、あの世界で起こった不思議な現象も、何か知っているんじゃないでしょうか。


 足を止めた私は、ニリンダさんのほうを振り返ります。


「あの、ニリンダさん……。私、麦畑に井戸の水をかけちゃったんですけど……」


 これだけのことば数では、私が何を知りたいのか伝わらないかもしれません。そんな不安もたしかにありました。ですが、一から全部を話すことには、どうしても私はためらいを覚えてしまいます。


 私自身、あのときの体験をどう説明すればよいのか、あんまり分からなかったことも、もちろん理由のひとつではあったんですが、他人にその詳細を語ってもいいものなのかどうか、私には判断できなかったんです。


 私が聞きたかった内容というのは、たったひとつだけです。

 もしも、あの井戸水が兵隊さんの心にとって、何か重要なものであったならば、それを消火のために使ってしまったのは、まずかったんじゃないかということです。

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