呼ばれぬ街の存在証明

八宵

序章

誰かしら?

 やり取りの相手の素性については意識してあまり考えないように努めている。考えても仕方がないからだ。わたしがこの手紙の主について知る機会は、たぶん一生、訪れないだろう。

 それでも、ときには知りたい気持ちが抑えきれなくなることはあって。とはいえ調べるすべなどないので、わたしのすることといったら、ただじっと紙の上の筆跡を見つめながらこれを書いた人間に思いを馳せるだけだ。

 ──おそらく、男性。一人称が「僕」である。女性で「僕」という一人称を好んで使う人もいるのは知っているし、あるいはわたしに性別を誤魔化すためにそのように書いているという可能性だってあるが、ひとまず断定する。そういうことを考えだしたら、じつは一人ではなく複数人で書いているとか、そんな突飛な思いつきまで真剣に考えてしまってきりがない。あくまでも手紙の文章から受ける印象からどんな人なのかを考えるにとどめるのが吉だろう。

 この人は本が好きだ。それだけは確かなことだと思う。わたしと手紙の相手の専らの話題は「最近読んだお気に入りの本」なのだから。相手の素性を知らないのでそれくらいしか話題がないとも言える。本の傾向からそれとなく人物像が浮かんでこないだろうかとも思ったが、それは難しかった。なにしろこの人、濫読家……というのも少し違うけれど、読むもののジャンルに結構ばらつきがあるのだ。小説は比較的多いように感じるけれど、たぶんそれはわたしが読むのが小説ばかりだから合わせてくれているのだと思う。彼が話題に挙げるのは、植物の図鑑であったり、料理が趣味の友人に借りたというレシピ本であったり、本当にざっくばらんだ。

 この、友人、というのも、本の話の次くらいに彼の手紙にはよく登場する存在なのだが、これまたあまりヒントになり得ないのである。幼少期からの付き合いであること、料理とお菓子作りに凝っていること、彼と同じ仕事をしていることなど、色々と教えてくれているようでいてふんわりぼやけた情報しかない。わたしに自分の素性を明かしたくないというのは彼の意向なので、当たり前といえば当たり前だが。

 やっぱり、彼も考えて書いているわけだ。わたしに自分の正体がわからないように。それを思うと、いくら考えても答えらしい答えが出ないのは当然で、仕方のないことだと改めて思えた。……なんだか「あしながおじさん」みたいだな、と思う。わたしは彼から支援を受けていないし、彼もあしながおじさんとは違ってきちんと返事を書いてくれるけれど。

 わたしの住む市では、「あしながおじさん」という小説は存在しないことになっている。というか、外国だとか外の世界だとかの概念が、そもそもない。徹底的に閉ざされた街なのだ。一応、何から何まで市のなかで完結しているというわけでもなく、食べ物や雑貨や、それに本も運び込まれることはあるけれど。外から運び込まれた本は、市で確認され、規準を満たさないものは廃棄され、場合によっては部分的に書き換えられたりもする。「外」は禁忌なのである。けれどわたしはずっと、市の確認を経ずに入ってきた本をひっそりと売る本屋で、何冊も何冊も本を買っては読んでいる。ずいぶん前のことだが、市に本屋のことが嗅ぎつけられそうになって存続の危うかったところをどうにかして阻止してくれたらしいのが、手紙の彼というわけなのだ。具体的に何をしたのかは、店主によってぼかして語られたので知らない。その人にお礼の手紙を渡してくれと店主に頼み込んで、なんとご丁寧にお返事が来て。そんなことを繰り返して、今も店主を介したやり取りが続いているのだ。

 この手紙のやり取りを「あしながおじさん」みたいだと思ったことを手紙に書けたならどんなにいいか。いくら相手がわたしのような人間たちを庇ってくれたからといって、彼のまわりの人間がそうとは限らない。他人宛の手紙を覗き込む人間がいないとも、彼が自室でひとりで読んでいるとも言い切れない。強いて言うなら手紙にたびたび登場する「友人」ならば、彼に宛てた手紙を勝手に見るというようなことはないだろうと妙に確信があるけれど、でも、それだって根拠のないことだ。

 ……知りたい。

 あなたは誰で、どんな人で、わたしの手紙をどんなふうに開いて、どんな顔で読んでいるの?

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