第5話 拒絶
戦場は沈黙に包まれていた。
ゴブリンの群れはひとつ残らず消えた。
悪逆非道なレッドキャップも、木製戦車も、すべて。
助かった。
村は助かった。
しかし――
誰も喜びの声を上げることができなかった。
地面には肉片と骨粉とウッドチップが混ざり合い、膝をついた下半身だけが点々と残っている。
金属弾の熱で蒸発した血の匂い。
そして、その中心に立つ――
小柄なヒーラーの少女。
リリアは震える指先を見つめている。
「え……? ま、また……私……"範囲回復"の魔法を使っただけ、なのに……?」
村人たちの視線が、恐怖・畏敬・感謝の入り混じった色でリリアに集まる。
「……助かった……」
「ありがとう……」
震える声。しかし、その声は広がらない。
その時――
エルナが、ゆっくりと顔を上げた。
「……。
た……、助かったの……?」」
その声を聞いて――エルナさん自身が、固まる。
「……え……?」
(あたしの声が……おかしい……?)
戦闘の轟音で、耳が遠くなっているのだろうか。
いや、違う。
震える手で、自分の頬に触れる。
(この感触……)
周囲を見回す。
(……ん……?)
心なしか、遠くまではっきり見える。
村の門の細かい木目まで、くっきりと。
(年のせいで、ぼやけて見えていたはずなのに……)
視線が、地面に落ちる。
血溜まり。
そこに映る――
女性の顔がくっきりと。
「……誰……?」
エルナの目が、見開かれる。
血溜まりに映る顔が、同じように驚いた表情をしている。
「……あたし……?」
「これが……あたし……?」
自分の手を見る。
シワのない手。
「嘘……嘘でしょ……!」
エルナの瞳が、恐怖に染まる。
若い自警団員が、周囲を見回す。
「エルナさんは? エルナさんはどこだ?」
別の団員が呟く。
「あの女性……誰だ?」
「村に、あんな人いたか?」
団長が、その女性を見つめる。
(……あの顔……どこかで……)
(若い頃の……エルナさん……?)
(いや……でも……)
自分が鼻垂れ小僧だった頃の記憶。あまりにも昔すぎて確信が持てない。
リリアが駆け寄る。
「エルナさん……おばあちゃん! 良かった、無事で……!」
『おばあちゃん』
その呼びかけに、周囲の自警団員たちがわずかに身を引いた。
誰も声を出さない。
なぜか、リリアだけが場違いな存在のように思えてしまう沈黙。
親子――いや、少し年の離れた姉妹にしか見えない。
リリアの手が、エルナの肩に触れようとした――
その瞬間。
「触るな!!」
エルナが、リリアの手を払いのける。
「近づくんじゃないよ、この悪魔!」
若返り――
古来から人類永遠の夢とされてきた。
だが、夢は夢だから良いのだ。
即死寸前からの回復により、普段以上に
失われた目、貫かれた心臓や気管、そして喉――
激しく損傷し、機能不全に陥った主要器官。
それらを再生する過程で、身体全体が「最適化」される。
シミ、シワ、老化――
すべてが「傷」として認識され、修復されてしまう。
この世界には『指紋』のような本人認識手段は存在しない。
同一人物と分からないほどの変化は――
自分が自分であることの証明手段まで、失うのだ。
「あたしの顔を返しておくれ!」
エルナさんが自分の頬を触りながら泣き叫ぶ。
「これは、あたしの顔じゃない!」
「あたしの声を返しておくれ!」
若々しい声で叫ぶエルナさん。その声が、かえって狂気じみて聞こえる。
「誰も、あたしだと信じてくれない!」
「自分の顔が、自分じゃないみたいで……怖い!」
エルナさんの目がリリアを見ている。
まるで、最も忌むべきものを見るかのように。
「エルナさん...私...」
「黙れ! お前なんて、最初から信じるんじゃなかった!」
その言葉が、リリアの胸に突き刺さる。
(信じるんじゃなかった...?)
(じゃあ、あの優しさは...)
(あの「家族になって」は...)
(全部、嘘だったの...?)
「来るな! 触るな! この人殺し!」
リリアの膝が、がくりと落ちる。
「……そんな……わたし、助けたかっただけ……」
涙が溢れる。
リリアは、震える膝で立ち上がる。
涙を拭う。
「……ごめんなさい……」
「……わたしが、いると……みんな、困るんですよね……」
リリアは、ゆっくりと村の出口に向かって歩き出す。
背後でエルナさんが小声で吐き捨てるようにつぶやく。
「二度と戻ってくるんじゃないよ………」
団長が声をかける。
「待て、リリアちゃん!」
この少女は何も悪くない、後を追わないと……!
だがその意志とは裏腹に、足が動こうとしない。
リリアは振り返らない。
「ありがとうございました……短い間でしたけど……」
「……わたし、幸せでした……」
空から、雨が降り始める。
冷たい雨が、リリアの頬を濡らす。
涙なのか、雨なのか、もう分からない。
村の門を出る。
誰も追いかけてこない。
振り返ると――
村人たちが、ただ立ち尽くしている。
エルナさんも、団長も、誰も。
リリアは、小さく笑った。
「……またか……」
「……また、ひとりぼっちだ……」
雨の中を、リリアは歩き続ける。どこへ行くのか、分からない。
ただ、遠くへ。
誰も傷つけない場所へ。
誰にも拒絶されない場所へ。
――そんな場所が、あるのなら。
-------
あとがき
次回で1章完結。紹介文に書いてあるレギュラーキャラの初登場回です。
12/6 18時ごろ公開です!
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