第8話

国守は最後に資料を切り替える。

模擬戦の映像。
画面には、先日の“謎のS級戦闘者”が、紅蓮の防御を突破していく瞬間が映し出されていた。

蓮華が息を詰まらせる。
リギアは歯を噛みしめ、生無でさえ表情が曇る。

迦白だけが、まるで自分の胸に突き刺すように真剣に見ていた。


「――見ての通りだ。
 お前たちの“今の強さ”では、S級相手には足りない」


国守の声は平坦だが、事実だけを突きつける冷たさがあった。


「この座学は“脅威を知るための基礎”。
 午後の戦闘授業では――
 その脅威に“対応するための最初の訓練”を行う」


静寂を切り裂くように、チャイムが鳴った。

「……以上だ。質問がある者は残れ」

授業は終わったが、誰もすぐには席を立たなかった。


チャイムの余韻がまだ空中に漂っていた。
誰も動かない。
椅子のきしむ音すらない沈黙が、教室全体を覆った。

最初に息を吐いたのは、蓮華だった。


「……怖い、ですね。S級って」


「怖いとか、そういう次元じゃない」


生無が淡々と言う。
しかし、その声はかすかに震えていた。

「““理解が通じる領域”にもいない。……あれは、理不尽の塊です。」


リギアは映像が止まったスクリーンをじっと見つめていた。

目の奥で、まだ紅蓮メンバーが崩れ落ちる瞬間が焼き付いている。


「……対抗できると思いますか、私たちで」

蓮華が口を開く。


誰に向けるでもない言葉。


だが迦白は、静かにそれに応えた。


「できます」


蓮華が驚いて顔を向ける。
リギアも目を細めた。

迦白は間違いなく、揺らぎのない声で言った。


「“今のままでは無理”ですが……
 “これから”を諦める必要はございません」


その簡潔な答えに、国守がわずかに目を細めた。


「……釈水。なぜそう断言できる?」


迦白は少し考え、淡々と述べた。


「恐怖も、理不尽も。
 “理解した側”が勝つのが戦場でございます。
S級の“事象としての挙動”を第一に知ることが、唯一の生存の道ですので」


国守は静かに頷いた。

「……やはり、お前は色即是空の“頭脳”だな」


迦白は否定も肯定もせず、ただ軽く会釈した。


--ー


生徒たちが徐々に席を立ち始める頃、
リギアが迦白の席の横に立った。


「……迦白」


「なんでしょう」


「お前さっき……ほんの少し、怖がっていたな」


迦白は目を伏せた。
否定はしない。
しかしその表情は、恐怖よりも“意志”に近い何かで満たされていた。


「怖いほうが、冷静になれます」


リギアはその言葉を聞いて、ほんのわずかだけ安心したように微笑んだ。


「午後の戦闘授業。全力で挑め。」


「もちろんです」


二人の間に柔らかな空気が流れる。
それを、生無が冷やかすでもなく静かに見ていた。


「……般若さんがいないと、色即是空はずいぶん静かですね」


蓮華が言うと、迦白は少しだけ困ったように笑った。


「若菜さんは……午後になれば、現れるかもしれません。『座学より殴り合い』だと、常日頃から言っていますので」


「午後は殴り合い……間違ってないのが嫌だなぁ……」


蓮華が肩を落とす。


国守は教壇に立ったまま、その様子をじっと見ていた。


「……色即是空。
 あの2人が揃えば、確かに強い」


小さくつぶやいたその言葉は、誰にも届かないほど微かだった。


彼は画面の映像に目を戻す。

そこには、謎のS級戦闘者が無造作に手を振り下ろしただけで、
空間そのものが“裂ける”ように歪んだ瞬間が映っていた。


(……だが、あれを相手にするには“まだ早い”)


国守の直感は騒いでいた。

──この静けさは長く続かない。

──誰かが、学園の“反応”を試している。

──次はもっと深く、もっと危険な段階になる。


ーーー


教室を出る直前。
迦白はふと立ち止まった。

(……若菜さんの席。
 霊圧が残っている。来た、ということか?)

まだあたたかいような“かすかな残滓”。
彼はほんの一瞬、この教室に来ていた。

迦白は無言のまま、その残滓を指で払った。

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