第2話:不死の呪縛

少女が、笑っている。


俺は、動けない。


体が、石のように固まっている。


「ねえ、聞いてる?」


少女──リリアが、もう一度言った。


「私を、殺してみてよ」


声が、出ない。


喉が、締め付けられている。


息が、できない。


リリアの顔が、誰かに見える。


誰だ。


誰の顔だ。


思い出せない。


いや、思い出したくない。


「あんた、人の顔見て話せないの?」


リリアの声が、遠くに聞こえる。


俺は、視線を逸らす。


焚き火を見る。


炎が、揺れている。


「ふーん。相当ヤバいんだ」


リリアが、焚き火の横に座った。


俺から、少し離れた場所に。


「まあ、いいや。いきなりは無理か」


沈黙。


焚き火の音だけが聞こえる。


パチパチと、木が弾ける音。


「ねえ」


リリアが、また話しかけてくる。


「あんた、何人殺した?」


手が、震えた。


「ごめん、聞き方悪かった。覚えてる?」


覚えている。


全員の顔を。


全員の最期を。


でも、数えていない。


数えたくない。


「私ね」


リリアが、膝を抱えた。


「この世界にきて3年で、17回死のうとした」


何を、言っている。


「首吊り、飛び降り、毒、溺死、焼身……色々試した」


リリアの声が、淡々としている。


「でも、全部ダメだった」


「この世界もさ、私の居場所なんてないんだよね」


「最初は頑張ろうとしたんだけどさ」


「やっぱりうまくいかなくてさ」


「なにもかも嫌になっちゃって死のうと思ったわけ」


俺は、淡々と話すリリアを見ることができない。


ただ、炎を見つめている。


「一番キツかったのは、焼身かな」


---


リリアが、話し続ける。


俺は、聞きたくない。


でも、耳を塞ぐこともできない。


「最初、油をかぶったの。体中に」


リリアの声が、静かだ。


「で、火をつけた」


俺の手が、震える。


「最初は、熱いだけだった。でも、すぐに痛くなった」


やめてくれ。


「皮膚が、焼ける音がするの。ジュウジュウって」


やめろ。


「痛くて、痛くて、叫んだ。でも、誰もいない」


リリアの声が、少しだけ震えた。


「そのうち、皮膚が剥がれ始めるの。でも、まだ死なない」


俺は、目を閉じた。


「肉が焼ける臭いがした。自分の肉の臭い」


吐き気がする。


「でも、一番怖かったのは」


リリアが、言葉を切った。


「痛みが、ずっと続くこと」


「普通、人間は死ぬでしょ? 痛みが限界を超えたら、意識が飛ぶでしょ?」


「でも、私は死なない。意識も飛ばない」


「だから、全部感じるの。最初から最後まで」


俺は、目を開けた。


リリアを見た。


彼女は、笑っていた。


でも、その目は笑っていなかった。


「火が消えてから、体が再生し始めた。焼けた皮膚が、元に戻っていく」


「その時の感覚、分かる?」


分からない。


分かりたくない。


「痛いの。再生するのも、痛いの」


リリアが、自分の腕を見た。


「焼けた神経が、元に戻る時の痛み。肉が繋がる時の痛み」


「全部、感じるの」


「で、元に戻った後も、しばらく痛みが残るの。幻痛みたいな」


リリアが、俺を見た。


「ねえ、タクミ。あんた、死にたいと思ったことある?」


ある。


何度も。


「私、毎日思ってる。でも、死ねない」


リリアが、立ち上がった。


「だから、あんたに殺してもらいたいの」


---


俺は、やっと声を出した。


「無理だ」


かすれた声だった。


「なんで?」


「殺意がないと、スキルは発動しない」


「じゃあ、殺意を向ければいいわけだ」


「……お前、本気で言ってるのか」


リリアが、首を傾げた。


「本気だよ。私、あんたに殺意向けられるよ」


「そんな簡単に──」


「簡単だよ」


リリアが、笑った。


「私、他の転生者にも頼んだことあるもん。殺してくれって」


「……何人に?」


「五人だったかな」


リリアが、指を折った。


「最初の人は、剣で私の首を切った。でも、再生した」


「二人目は、魔法で私を吹き飛ばした。でも、再生した」


「三人目は、毒を使った。でも、死ななかった」


「四人目と五人目は──」


リリアが、言葉を止めた。


「途中で、怖くなって逃げた」


「……怖く?」


「そう。私が何度殺されても死なないから」


リリアの目が、虚ろになった。


「最初は協力してくれるの。『分かった、殺してあげる』って」


「でも、途中で怖くなるみたい」


「『お前、本当に人間か?』って言われた」


「『化け物だ』って言われた」


リリアが、自分の体を抱きしめた。


「でも、私、人間だよ。ただ、死ねないだけ」


---


沈黙が、続いた。


焚き火の音だけが、森に響く。


「なあ、リリア」


「ん?」


「お前、なんで死にたいんだ」


「死ねないから」


「それだけか?」


リリアが、俺を見た。


その目は、何かを探っているようだった。


「……それだけじゃ、ダメ?」


「分からない」


俺は、正直に答えた。


「俺は、殺したくない。でも、殺してしまう」


「お前は、死にたい。でも、死ねない」


「同じじゃないか」


「同じだね」


リリアが、また笑った。


「だから、相性いいんだよ」


「相性って……」


「あんたは、私を殺せる。私は、あんたに殺されても死なない」


「それのどこが──」


「あんた、罪悪感で苦しんでるんでしょ?」


言葉が、止まった。


「人を殺すたびに、苦しんでるんでしょ?」


リリアが、一歩近づいた。


「でも、私なら大丈夫。何をされても、死なないから」


「あんたは、罪悪感を感じなくて済む。私は、死に近づける」


「完璧じゃん」


完璧じゃない。


何一つ、完璧じゃない。


でも、俺には反論する言葉が見つからなかった。


---


「さぁ、やってみよう」


リリアが、言った。


「あ~、今じゃなくていいか。あんたの準備ができたらで」


「準備なんて──」


「できないよね。分かってる」


リリアが、また座った。


「じゃあ、明日。明日の朝、やろう」


「待て──」


「私、ここで寝るから。あんた、逃げないでよね」


「逃げるって──」


「逃げるでしょ? 今までもずっと逃げてたんだから」


図星だった。


リリアは、地面に横になった。


「おやすみ」


「おい──」


「大丈夫。私、あんたが逃げても追いかけないから自分で決めて」


「ただ──」


リリアが、俺を見た。


「あんた、このまま一生逃げ続けるの?」


その言葉が、胸に刺さった。


---


眠れなかった。


リリアは、すぐに寝息を立て始めた。


信じられない。


初対面の男の前で、よく眠れる。


いや、違う。


彼女は、死ぬことを恐れていない。


だから、俺のことも恐れていない。


俺は、焚き火を見つめた。


炎が、揺れている。


リリアの言葉が、頭の中でリピートされる。


「あんた、このまま一生逃げ続けるの?」


逃げてきた。


ずっと逃げてきた。


元の世界でも現実からゲームに逃げた。


こっちにきてもそうだ。あの街から逃げた。


人から逃げた。


自分からも逃げた。


でも、逃げ切れなかった。


人は、俺を見つける。


そして、殺意を向ける。


俺は、意識を失う。


次に気づいた時には──


また、死体が増えている。


このまま、一生続けるのか。


森の中で、一人で。


誰にも会わずに。


でも、それは無理だ。


時々、人が迷い込んでくる。


そして、俺が──


「やめろ」


小さく呟いた。


でも、誰も答えない。


リリアの寝息だけが、聞こえる。


---


朝が来た。


リリアが、目を覚ました。


「おはよう」


俺は、答えなかった。


一睡もしていない。


「逃げなかったんだ。偉いね」


リリアは両腕を天に突き上げ、背筋を伸ばした。


「じゃ、やろっか」


「待て」


「何?」


「本当に、いいのか」


「いいよ」


「痛いぞ」


「知ってる」


「死ぬかもしれない」


「死なないよ」


リリアが、笑った。


「私のスキル、レベル5でMAXだもん。《完全不死》って書いてある」


「……それでも」


「大丈夫」


リリアが、俺の前に立った。


「あのね、タクミ。私、もう3年も一人だったの」


「誰とも話せなかった。話しても、『化け物』って言われた」


「でも、あんたは違う」


「あんたも、化け物だから」


その言葉に、何も言い返せなかった。


リリアが、目を閉じた。


「じゃ、いくよ」


---


数秒、何も起きなかった。


でも、突然──


ゾクリ、と背筋を何かが走った。


「あ」


リリアの瞳が一瞬で大きく開いた。


その目に、殺意が浮かんでいた。


本物の殺意だ。


「嫌なことを押し付けてごめん──でも──死にたい──」


リリアの声が、震えている。


「だから──殺して──」


その瞬間、俺の意識が──


暗転した。


---


最初に感じたのは、衝撃だった。


何かに、ぶつかった。


いや、違う。


何かを、殴った。


次に感じたのは、柔らかいものの感触。


肉だ。


人間の肉だ。


そして、何かが折れる音。


骨だ。


視界が、戻ってくる。


ぼやけている。


徐々に、焦点が合う。


目の前に──


リリアが、倒れていた。


顔が、潰れていた。


いや、違う。


潰れているのではない。


かんぼつしている。


頭蓋骨が、砕けている。


脳が、見えている。


「あ……」


声が、出た。


「ああ……」


手を、見る。


血まみれだ。


骨の破片が、刺さっている。


「あああああ!」


叫んだ。


でも──


リリアの体が、動いた。


---


信じられないものを見た。


リリアの顔が──


元に戻っていく。


かんぼつした頭蓋骨が、膨らむ。


脳が、覆われていく。


皮膚が、再生する。


目が、元に戻る。


口が、元に戻る。


全て──


数十秒で、完全に元通り。


リリアが、目を開けた。


「……痛った~」


そして、起き上がった。


「すごいね、タクミ。容赦ないじゃん」


リリアが、笑った。


でも、その笑顔は引きつっていた。


「頭、殴られたの初めて」


「……リリア。なんで俺の名前を」


「鑑定で見たから。ほら見て、もう治った」


リリアが、自分の頭を触った。


「ちゃんと元通り」


「でも──」


「でも、死ななかった」


リリアの笑顔が、消えた。


「やっぱり、死ねないんだよね~」


---


リリアが、座り込んだ。


膝を抱えた。


「やっぱり、無理なのかな」


その声が、小さかった。


「《殺意感応》でも、ダメなんだ。これならいけると思ったのになぁ」


俺は、自分の手を見た。


まだ、血が付いている。


リリアの血だ。


でも、今回は──


吐き気がしなかった。


なぜだ。


なぜ、吐き気がしない。


リリアを殴った。


頭蓋骨を砕いた。


なのに──


罪悪感が、ない。


「なあ、リリア」


「ん?」


「もう一回、やってみていいか?」


リリアが、顔を上げた。


その目が、輝いた。


「マジ?」


「ああ」


「でも、さっき嫌がってたじゃん」


「お前、死ななかった」


俺は、自分でも信じられない言葉を口にした。


「だから、もう一回やっても──大丈夫だ」


リリアが、立ち上がった。


「タクミ……」


「これが、お前の言ってた『相性』ってやつか」


俺は、笑った。


自分でも、おかしいと思った。


でも、笑いが止まらなかった。


「俺は、お前を殺せる。お前は、死なない」


「完璧じゃないか」


リリアも、笑った。


二人で、笑った。


森の中で。


誰もいない場所で。


---


その日、俺はリリアを5回殺した。


正確には、「殺そうとした」。


でも、リリアは一度も死ななかった。


首を絞めた。


腹を殴った。


背骨を折った。


全て、俺の意識がない間に。


でも、毎回──


リリアは再生した。


そして、毎回──


「死ねなかった」と笑った。


五回目が終わった時、リリアは言った。


「ねえ、タクミ」


「ん?」


「一緒に、旅しない?」


「旅?」


「北に、《スキル破棄の祭壇》ってのがあるらしいの」


「そこで、スキルを捨てられるって」


スキルを、捨てる。


《殺意感応》を、捨てる。


もう、誰も殺さなくて済む。


「本当か?」


「噂だけど」


リリアが、俺の目を見た。


「でも、行ってみる価値はあると思う」


「……そうだな」


俺は、頷いた。


「じゃあ、行こう」


「うん」


リリアが、笑った。


「一緒に行こう、タクミ」


---


その夜、俺は久しぶりに眠れた。


夢を見なかった。


屍も出てこなかった。


ただ、静かな眠りだった。


朝、目を覚ますと、リリアがいた。


焚き火の準備をしている。


「おはよう、タクミ」


「……おはよう」


「今日から、旅だね」


「ああ」


リリアが、笑った。


「楽しみだね」


楽しみ。


そんな感情、久しぶりだった。


でも──


この旅の先に、何があるのか。


本当に、スキルを捨てられるのか。


分からない。


ただ──


一つだけ、分かることがあった。


俺は、もう一人じゃない。


---


森を出る前に、俺は一つだけやることがあった。


埋めた死体の場所に、戻った。


リリアも、ついてきた。


「これ、全部?」


「……ああ」


十三の土饅頭。


十三人の、死体。


俺が殺した人々。


「手を、合わせてからでもいいか」


「いいよ」


俺は、一つ一つの土饅頭の前で手を合わせた。


言葉は、出なかった。


「ごめんなさい」も、言えなかった。


ただ、黙って頭を下げた。


最後の土饅頭の前で──


手が、止まった。


一番小さい土饅頭。


子供の。


「タクミ?」


リリアが、声をかけた。


「……大丈夫」


俺は、手を合わせた。


でも、頭を下げることができなかった。


ただ、立ち尽くした。


どれくらい、そうしていたのか。


「タクミ、行こう」


リリアが、俺の手を引いた。


「もう、行こうよ」


俺は、頷いた。


そして、振り返らずに歩き出した。


---


森を出た。


街道に出た。


久しぶりに見る、広い空。


「北は、こっちだよ」


リリアが、指を差した。


「どれくらいかかる?」


「分かんない。でも、遠いらしい」


「そうか」


俺たちは、歩き始めた。


「なあ、リリア」


「ん?」


「途中で、人に会うと思うんだ」


「うん」


「もし、俺が──」


「大丈夫」


リリアが、笑った。


「私がいるから」


「……お前がいても、俺は──」


「殺しちゃうかもね」


リリアが、あっさりと言った。


「でも、それはあんたのせいじゃない」


「いや、俺の──」


「スキルのせいだよ」


リリアが、俺の手を握った。


「だから、祭壇に行こう」


「そして、このクソみたいなスキル、捨てよう」


俺は、リリアの手を──


握り返した。


「ああ」


「約束ね」


「約束だ」


二人で、北へ向かって歩き出した。


「殺さずにいられない男」と「死ねない少女」の旅が──


本当に、始まった。


---


【第2話 完】

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