第9話「二人の魔法少女」

 風のように夜の街を駆け抜けること十数分、耕太郎達はレムナントが集積している現場に到着した。


 そこは駅前の居酒屋が並ぶ地区、いわゆる飲み屋街や繫華街と呼ばれる場所である。物珍しさに耕太郎は辺りを見回した。


 色とりどりの小さな、そして錆びた看板が地面に店に、ビルの壁にいくつも掲げられている。全てに明かりがつけばさぞ明るく華やかな、もしくは鬱陶しい輝きが宿るだろう。


 だが今その光景を見ることは叶わない。レムナントの集積、存在してはならない異物を確認した世界は隔離、排除のために結界を張る。そして結界内部には、人の作りし電気など一切通じていないためだ。


 代わりとばかりに、月は通常の数倍ほどに光り輝いていた。その不気味な月明かりに照らされながら、耕太郎は極めて呑気に呟く。


「なんか、前のと雰囲気違うね」

「あれは厄災の日だったからぴょん」

「あっそうそう。それ前も言ってたけど、厄災の日って何なの?」


 彼の大雑把な質問にらびらびは赤い瞳を光らせ、俯きながら言葉を考える。その姿はさながら獲物に迷う殺人ウサギぬいぐるみである。


 やっぱりこいつ怪異の類では。耕太郎は内心確信を深めた。


「端的に言うと大体月に一回満月の頃訪れる、強力なレギオンが必ず発生する日ぴょん」


 いわれのある罵倒を受けていることなど露知らず、らびらびは説明を続ける。


「耕太郎も体験した通りレギオンは強大な力を秘めているぴょん。たとえ魔法少女であっても相手をするのは危険、出来る限り出現そのものを防ぐべきぴょん」

「だからこうして、えぇと、そう、レムナントの段階で対処する、と」


 レムナント。人々が零した心の欠片。


 一週間前に受けた解説を思い返し、耕太郎はこっそりと顔を顰めた。これではまったく説明になっていないからだ。


 心の欠片とは何か。そもそも心とは何か。色も形も書けないそれは、果たして一般的な定義と同じなのか。それとも何か魔法少女独自の意味合いがあるのか。


 正確に理解するためには、およそ解説の解説の解説が必要になるだろうと彼は踏んでいる。ウィキの難解なページを読んだ時と同じような感覚を覚えていた。


 そして今はそのような時間がないことも、彼は既に察していた。


「でさ、らびらび」

「ぴょん」

「ここに来る途中、レムナントは光の霧みたいな感じって聞いたけど」

「ぴょん」


 手抜きの相槌を打つらびらびをひと睨みした後、耕太郎はおもむろに路地裏を指差す。


 居酒屋が詰まったビルとビルの隙間、ゴミ箱とゴミ袋に満ちた小さな道。普段の耕太郎なら近づきもしない場所。


 暗く不潔なそこには、黒い物質で構成された四足歩行の何かがいた。


「あれ、どう見ても固形というか、絶対もうレギオンになってるよね?」

「はい」

「はいじゃないよ。もっと解説系マスコットとしての自覚持って?」


 またしても語尾と説明を忘れたマスコットを再度睨んだ後、彼は数歩下がって建物の影に隠れた。その後ろに続いたらびらびと共に、壁からレギオンの様子を覗き見る。


 鋼のようなもので構成された黒の肉体は、先日耕太郎が打ち砕いたスパイダーレギオンと同質に見える。違いは大きさと形だった。


 病院にも見劣りしない、怪獣と呼ぶほどの巨体を誇ったスパイダーレギオンとは異なり、このレギオンは成人した男性を一回り大きくした程度の体躯しか持たない。


 そして体格は四足歩行の獣。形だけを模した耳や鼻、爪や尾が意味もなく動いていた。


 生物を模倣したレギオンは時折機械的に、思い出したようにこのような動物染みた動作を行う。


 耕太郎達が一通り観察を終えてもレギオンに動きはなかった。未だ彼らの存在には気づかないのか、その場にじっと佇んている。


「見た目は多分猫、かな。ならあれはキャットレギオンか」

「耕太郎、先週のスパイダーレギオンのように、レギオンは見た目通りの能力を持っていることが多いぴょん」

「つまり、あれにも何か猫的な力があるかもしれない。了解、らびらびは危ないから離れてて」


 らびらびの方を向いてそう指示してから、再び耕太郎は路地裏を覗き見る。そして疑問の声をあげた。


「あれ、消えた?」


 キャットレギオンの姿はない。荒れたゴミだけが散乱していた。


 どこへ行ったのかと相談しようと振り向いて、らびらびに影が差しているのを見て。耕太郎の身体は思考を追い抜いて動き出した。


「チッ!」


 彼は舌打ちしつつらびらびの首根っこを掴み、咄嗟に横へ思い切り跳ぶ。


 悲鳴と非難を口にしようとしたらびらびの眼に映ったのは地面を、先ほどまで自分がいた場所を叩き砕くキャットレギオンの姿。


 写し取った姿に似つかわしい方法、ビルを利用した上方からの急襲。そこには過剰なまでの殺意と破壊力が全力で込められていた。アスファルトが粉々に砕け、巨大なクレーターが生じる。


 思わず存在すら怪しい肝を冷やすらびらびとは反対に、耕太郎はいっそ感心したように呟いた。


「らびらび相手にも全力ってことは、もしかすると猫じゃなくて獅子かもね。じゃあ、あれってライオンレギオン?」

「言ってる場合じゃないぴょん! また来るぴょん!」

「見えてる。らびらびはここで大人しくしてて」


 耕太郎は手に持ったらびらびを乱暴に白衣のポケットへ突っ込みつつ、距離を取るためもう一度跳ねた。へぶ、という間抜けな音に彼はつい口元を歪める。


 それを隙と見たのかキャットレギオンは再び跳ね跳び、跳躍中の彼へと襲い掛かった。


 今の耕太郎に空中での移動手段、回避方法はない。よってここが広い空間であれば、それは致命的な一撃になった可能性もある。


 だがここは街中、それも物と建物が犇めく繁華街である。足場となるものは数え切れないほどに存在した。


 彼はその内一つ、ショッキングピンクの看板を使い斜め上へと跳躍し、キャットレギオンの追撃から逃れる。


 更には向かった先のビルの壁に着地、重力に引かれるよりも早くキャットレギオン目掛けて跳び蹴りを放った。


「そらッ!」


 数秒前と同じ攻防、異なるのはお互いの立場、そして結果。


 耕太郎の蹴りは見事空中のキャットレギオンに突き刺さり、その黒い身体を遠くへと吹き飛ばす。


 しかし戦いを決しかねないほどの攻撃を叩き込んだのにもかかわらず、耕太郎の顔には渋面が浮かんでいた。


「手応えが軽い。これがあいつの能力なのか?」

「猫は空でも身軽ぴょん。それを考えると」

「蹴られた瞬間後ろに跳んだ、みたいな。格闘漫画かよ、てか空中だろ」


 二人の考察を証明するようにキャットレギオンは軽やかに起き上がる。その動きに淀みはなく、レギオンという特異性を除いても傷があるようには見えない。


 それから耕太郎は、キャットレギオンは、共にしばらくその場から動かなかった。


 身動ぎ一つせず、ただお互いの様子を観察し続ける。重心の僅かな移動すら見逃さない睨み合いが痛いほどの沈黙を作り上げる。


 そんな秋の夜長に見合う冷たい空気を引き裂いたのは、少女の勇ましい声だった。


「──『シャインレイ』っ!」


 耕太郎は声に合わせて反射的に、何も確認しないまま後方へ大きく跳躍した。避けろと彼の生存本能が告げていたからだ。


「は、なっ、レーザー!?」


 そのため目の間に降り注いだ光の雨、赤いレーザーに驚いたのは避けた後になる。


 初めて見る魔法らしき魔法に、彼は動揺を隠せずに視線を彷徨わせる。その最中にキャットレギオンは姿を消し、再び路地裏に隠れ潜んでいた。


 だが今の耕太郎にそれを追う暇などない。そして魔法を放った者にも、そのレギオンに構う余裕などなかった。


「避けられた!?」

「外したの、あえて!」


 耕太郎が声の先、とあるビルの屋上を見上げればそこには二つの小さな影があった。


 彼がじっと目を凝らせば、やがて溢れんばかりの月光が雲から現れその影を照らす。


 そこには、赤と青の特徴的な格好の少女が二人立っていた。


「まさか、魔法少女……?」


 耕太郎が思わずそう呟いたのは無理もない。その少女達はまさに典型的な姿をしていた。


 細かい意匠こそ違うものの、基調は同じふわふわのドレスと宝石のようなものが付いた杖。手足はそれぞれ白いグローブとソックス、ブーツに包まれており、イメージカラーなのか瞳や髪と同じ色、赤と青の装飾があちこちに施されている。


 彼は魔法少女の存在を知ってはいたが、まだ理解は出来ていなかった。そのため驚きのあまり、二人がビルから目の前に飛び降りて来るのをただ黙って眺めていた。


 そしてその驚愕は彼に留まらない。赤と青の少女達にも同種の感情が生じていた。


「さっきの、やっぱり聞き間違いじゃなかった! シャイン、あの白黒の人って」

「ええ。姉さんが予想してた通りみたい」


 ただし、そこには耕太郎と大きく異なるものが一つある。


「とうとう現れたのね、ヒューマンレギオン!」


 赤の少女はそれを、警戒と敵愾心をむき出しにして、耕太郎へ杖を向けた。


 覚えのない名前、敵意をぶつけられながらも口を利けただけ彼はよく出来た方だろう。もっとも、残念ながらそれには何の意味もなかったが。


「……いや、俺も魔法少女だよ?」

「何言ってるの! あんたどう見ても男じゃない!」


 ぐうの音も出ない正論であった。魔法も少女もないと、かつて耕太郎は自分で自分に言っていた。


「それに戦ってる様子も少し見てた。あんた魔法使ってなかったでしょ!」

「俺は身体強化一本みたいなところあるから。というかレギオンと戦ってるところ見てたなら、俺もこいつ退治しようとしてたって分かるんじゃ」

「レギオンは共食いする。それくらいあたしたちだってもう知ってる!」


 なお、当然耕太郎は知らない。そして今の彼には説明不足の妖精を睨む暇はなかった。


「えっと、シャイン、とりあえず、ちょっとくらいなら話を聞いてみても」

「駄目! オーシャンも姉さんから言われてるでしょ! レギオンの能力は元になった生物の力を模したものだって。そして、人間の力は」

「……言葉だって、言ってたね。頭も良くて私たちじゃ騙されちゃうから、絶対お話しちゃいけないって」


 比較的温和な態度を取っていた青の少女、オーシャンもまた赤の少女、シャインに合わせて構えを取る。


 年端もいかない子供達には相応しくない、それでいて慣れと脅威を思わせる姿勢。ぴりぴりとした戦意を肌で感じ取り、耕太郎は深く息を吐く。


「……あー、これ戦わなきゃ駄目なパターンだ。前見た修羅場と同じ気配がする」


 彼の脳裏に過ぎるのは、かつて病院で見たことのある地獄だ。


 寝たきりの夫を巡る妻と愛人、そして息子達の仁義なき相続戦争である。最終的にルール無用の殴り合いとなり、見事老妻が勝利した光景は今も耕太郎の記憶に焼き付いている。


「つっても、どうするか」


 迂闊に動いた途端戦いが始まることは今の耕太郎にも読める。そして記憶のように殴り合いをするつもりなど彼にはなかった。女の子、それも雰囲気から年下と考えている相手に暴力を振るうのは、彼の数少ない矜持に反する。


 だが暴力を除いて今の耕太郎に出来ることと言えば、精々が飛んで跳ねる程度。攻撃を避けながら宥めるにも、聞く耳を持たない少女達にどれほどの効果があるだろうか。


 いよいよ開戦の火蓋が切られそうになる中、彼のポケットの中でらびらびが蠢いた。


「この場は退くべきぴょん」

「いつも説明不足のらびらび、ずっと黙ってたから寝てると思ってた」

「恨み言は後にしてこっちを見ないで聞くぴょん。このままだと最悪共倒れになるぴょん」

「そっか、まだレギオンは倒せてないから」


 無益な争いをする最中キャットレギオンに割り込まれてしまい、という想像が耕太郎の脳裏に過ぎる。自分だけならまだしも、という躊躇が生じる。


 そのため後方へ、逃走へと重心が傾き始めた彼の足が、続くらびらびの声で止まった。


「挟み撃ちが一番不味いぴょん。とにかく、今はこの結界から」

「……いや」


 正確には異なる。耕太郎の足を止めたのはもう一つ、別の微かな物音だった。


「その前に、一つやることが出来た」


 らびらびの返事を待たず、耕太郎の重心は前、魔法少女達の方へ大きく傾く。そしてそのまま全力で踏み込み、突然彼女達に向かって走り出した。


 静寂、均衡を裂く暴挙に警戒していた二人は大きく目を開く。一歩後ろへ下がりかける。


 だがさりとて、彼女達は耕太郎よりも遥かに経験を重ねた魔法少女だ。一瞬で冷静さを取り戻し、すぐさま迎撃の姿勢を整える。


 とりわけシャインはオーシャンを気遣うため、一瞬視線を送る余裕すらあった。


「正面からなんて、いい度胸してる。あたしが牽制するからオーシャンが」


 その時シャインが見たのは、空から仲間の背に襲いかかるキャットレギオンの姿だった。


 彼女の意識が加速する。信頼に満ちた視線を返す、友の表情が目に焼き付く。二秒後の光景が目に浮かぶ。魔法を使う時間などないと理性が結論をつける。


「っ」


 だからこそ彼女は咄嗟に手を伸ばし、オーシャンを引き寄せて半回転、その身をキャットレギオンに差し出した。


 そのため立場は逆転、見る景色も変わる。オーシャンの視界にはシャインの背中を引き裂かんとするキャットレギオンの刃が映る。月光を反射して、黒鉄の爪が鋭く光った。


 ただし、シャインと異なりオーシャンに出来ることはない。彼女に許されたのは仲間の、友達の名を呼ぶことのみだ。すぐに決着の時は訪れる。


「よう」

「やっぱ来たッ!」


 そしてキャットレギオンは、横から跳んで来た耕太郎の蹴りによって核ごと一撃で粉砕された。


 先ほど彼に撤退を止めさせた物音とは、キャットレギオンが路地裏を跳ね回る足音だった。魔法により強化された身体、聴力は音にもならないその響きを掬い上げ、迫りくる脅威として認識させていた。


 そしてその矛先が自分ではなく魔法少女達、後方の青の少女だと考えた耕太郎は迎撃のため駆け出し、見事跳び蹴りを直撃させたのだった。


 キャットレギオンの能力、異能染みた軽業もカウンターを前にしては用をなさない。彼は隙だらけの獲物を前に舌なめずりをし、哀れにも自身が狩られたのだった。


 うっかり本名を呼びかけた口は半開き、オーシャンは呆然とその光景を眺める。そんな彼女の無事を横目で一瞬確認してから、耕太郎は吹き飛んだキャットレギオンだったものを観察する。


 それは先日のスパイダーレギオンのように光り輝き、当然の権利のように爆散した。


「よし、一撃!」

「即吸うぴょん」

「後始末も終わり!」

「もう帰るぴょん」


 らびらびの怪しげな動きも終わり、これ以上耕太郎にやることはない。受けた提案通り退散しようとしかけた足が、またしても止まった。人としての義務がまだあったからだ。


「じゃあね、二人とも!」


 挨拶を雑に手を振って済ませ、彼が走り去った後に残るのは、どこか気まずい妙な沈黙。


 オーシャンとシャインは体重を預け合ったまま、心からの疑問に二人して首を捻った。


「……なんだったの、あれ?」

「よく、分かんない」


 答えは見つからなかった。

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