第6話「ようやく出てきた逆転要素」

 昼食を終えほっと一息ついた頃、七海ちゃんが窺うように聞いてきた。


「兄さん、体調大丈夫?」

「おかげさまでお腹も一杯。ザ・健康って感じ」


 ここ一週間、俺は俺史上最高の健康度数を日々更新している。分かりにくい冗談だから口に出さないでおこう。苦笑いされたら御の字レベルのクオリティだ。


 それよりもいきなりどうしたんだろう。まさか気づかない内に顔が真っ青になってたとかだろうか。


 あるあるだから心配になったけれど、どうもそうじゃないらしい。


「えっとね、お母さんが、兄さんが大丈夫そうなら、この辺案内してあげなさいって」


 とても助かる、ありがたい提案をしてもらった。でもこのまま本当に頼ってもいいのだろうか。


 休みの日にわざわざ昼食を作ってもらって、その上近所回りにまで付き合ってもらう。


 恐らくは仲の良くなかった兄にここまで振り回されて、七海ちゃんからしたらえらい迷惑な気がしてならない。


 ここは断っておくべきかな、なんてちらっと様子を窺えば、当の七海ちゃんもちらちらと俺を見ていた。


 その瞳に浮かんでいるのは不安。これは、どっちのだろう。


 今の俺には見切れない以上、選べるのは進むか退くかの二択だけ。当然俺は前進した。


「ありがとう、じゃあお願いします。実はこの後、ちょっと一人で散歩でもしてみようって思ってたから」

「……一人で出歩くの、危ないよ?」

「うーん否定出来ない。迷ったらここに戻って来れる自信がない」


 俺はこの辺りの地理にまったく詳しくない。それ以上に外の世界や常識も知らない。


 信号って何色だっけ。どっちで進んでどっちで止まるんだっけ、みたいなレベルだ。


 多分幼稚園児よりも酷い世間知らず、俺に一人でお使いを任せたらほぼ確実に死に至る。迷惑どうこう気を遣っている場合じゃなかった。


 そういう流れで二人並んで家を出た訳だけど。


「それで七海ちゃん、これからどこ行くの?」

「お母さんは、絶対中学校までの道だけは教えてあげてねって」

「……学校かぁ」


 生まれてこの方通ったこと、行ったことすらない。だから知っているのはフィクション特有の大げさな、やたらとキラキラかドロドロしたものだけだ。


 現実は絶対にあんなものではないだろう。たとえば定番スポットの屋上なんて、普通は鍵が閉まってて入れないって聞くし。


 想像もつかないからここは学校の経験者、六年も通っている大先輩に聞いてみよう。


「学校ってどんな感じ?」

「ど、どんな感じ。どんな感じっていうと、どうだろう」

「んー、じゃあ、あれ、七海ちゃんは学校楽しい?」


 話の流れでそこそこ踏み込んじゃったかもしれない。人によって学校の話はセンシティブとも聞く。もし地雷踏んでたらどうしよう。


「うん! あのね、この間お昼休みにね、陽香ちゃんが」


 そんな心配は杞憂で、七海ちゃんは待ってましたとばかりに語り出してくれた。


 口調も軽やかで漏れる笑顔に嘘は見えない。本心から学校が楽しいと感じているのが分かる。うっかり聞いてしまった俺も一安心だ。


 それにしてもさっきの料理の時といい、無口で大人しそうに見えて、この子実は話すのが結構好きらしい。俺もどちらかと言えば聞く方が好きだからウィンウィンだ。


 こうして七海ちゃんの小粋、ではないつっかえつっかえの、それでいて楽しそうな話を聞きながら歩き続けた。


 それだけで俺の気分も明るくなるのは七海ちゃんの話のおかげか、それともこんなにも軽やかに歩けているからか。贅沢にも両方かもしれない。


 そうこうしている内に二十分くらい歩いたところで大きな門、そして古ぼけた建物の前に到着した。


「ここが兄さんの通う、狭間中学校、です」

「はぁー。学校ってこういうのなんだー。ドラマで見たことあるのに似てるなー」


 中身のない感想だった。


 あと思い浮かぶのはなんかボロいなーとか、年季入ってるなーとか。どれもほぼ悪口だから到底口には出来ない。


 かといってこのまま空虚な言葉だけ垂れ流しても、せっかく案内してくれた七海ちゃんに申し訳がたたない。


 何かないかなと空っぽの語彙を探してみれば、なんとかそれなりのものを引き出すことが出来た。


「にしても七海ちゃん、よく中学の場所知ってたね」


 この子はまだ小学生、通っている学校は当然違う。それでもすんなりここまで来れたのは、まさか俺の案内をするために予習してくれていたとか。


「……あのね、私も来年から中学生だから、私もここに通うから」

「うん」

「それでね、制服とか見て、楽しみになって、あの、何回か学校、私も見に来てたから」


 指をもじもじと弄りながら、七海ちゃんは俺と学校を交互に見ながら教えてくれた。


 ぽつぽつとした口調で、どこか遠慮がちに、少し恥じ入るように語る。


 この姿を見れば、この声を聞いてしまえば、絶対誰だって同じことを感じるはず。


「七海ちゃんは可愛いなぁ」


 だから俺もつい、ぽろっとそれを言ってしまった。


 いやだってずるじゃん。今の聞いたら、誰だって無邪気で可愛いなぁって思うじゃん。


「か!? か、かか、かわっ」


 七海ちゃんは顔を真っ赤にして口をぱくぱくとしている。微笑ましい反応でますます可愛らしい。全身が愛嬌と純粋さに満ちている。


 それはいいこととして、意外だな。俺達の距離感からして、七海ちゃんは凄く困るか気持ち悪がるかと思ってたんだけど。世に聞く兄妹って大体そういうものじゃ。


 こういう時は自称女の子マスター、お隣の田中の兄ちゃんの発想に頼ろう。


 今の発言は兄と妹的にどうだったのか。脳内エミュレートした兄ちゃんに聞いてみる。


『いけないぜ耕太郎、これじゃ禁断のルートに辿り着いちまう。現代日本じゃアウトだ』


 思い出の中の兄ちゃんは妄想と幻想に満ちた答えをくれた。


 駄目だ。所詮奴は一人っ子の童貞、何の役にも立たない。聞いた俺が馬鹿だった。


 俺が空想の田中の兄ちゃんに幻滅しているのと同じく、現実の七海ちゃんは俺を呆れたように見ていた。さっき謎の動きをしていた葵さんを見る目と同じ種類だ。


「……兄さんは、そういうことよく言う人なの?」

「そうでもないような、今否定しても説得力ないような」

「もうっ、どっち?」

「言っちゃうかも、しれないです」


 なにせ目の前に前科がいる。


 俺の返答に七海ちゃんは深く息を吐くと、未だ少し赤い頬のまま諭すように告げる。


「女の子に気軽に言うの、絶対駄目だよ。危ない目に遭っちゃうかもしれないから」


 叱られちゃった。でもおかげで距離は近くなった気がするからよしとしよう。



 その後時枝家まで戻る途中、気になっていた公園に立ち寄った。


 公園、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。一体中はどんな風になっているんだろう。わくわくが止まらない。


 けれども、俺のそんな期待は一瞬で裏切られてしまう。


「遊具がない!」

「私が子供の頃からこんな感じだったよ」


 公園は殺風景だった。


 入口から見えるのは小さな滑り台とブランコが少々、あとはそこそこの砂場程度。他には隅っこにベンチがいくつか並んでいるくらいで、他には何もなかった。


「あの噂に聞く、ぐるぐる回る処刑道具みたいな奴は!?」

「同じのか分からないけど、多分それお母さんが子供の頃になくなったって」


 子供を吹き飛ばすために生まれたようなあの球形は存在しないらしい。がっかりだ。


「しょうがない。なら今日はブランコで我慢しよう」

「え、遊ぶの?」

「やったことないからやってみたい」


 目を丸くする七海ちゃんを置いて中へ進む。幸い公園には俺達以外の姿はなく、恥も待ち時間もなくブランコには座れた。


 しかし。


「くっ狭くて小さい、動かしづらいっ」

「当たり前だと思う」

「公園デビューが十年遅かったか……」


 割と冷静な七海ちゃんのツッコミをくらいつつ、何回かふらふらとブランコこぐ。


 言った通りやりづらい。モニター越しに見た動きよりも遥かに小さく遅い。それでも予想以上に結構楽しい。


 そしてそれと同じくらい横で七海ちゃんに、年下の子に見られてると思うと恥ずかしい。


 果たしてどんな冷たい目を向けられているのかと見上げれば、七海ちゃんは俺のことなんて見ていなかった。


 この子の興味は公園の外、ちょうど今横切ったヘッドホンをしている女の子にあった。


 肩くらいまで髪を伸ばした、すらっとした印象の子。歩く後ろ姿は俺から見ても颯爽としていて格好いい。小柄でぽわぽわした雰囲気の七海ちゃんとは正反対の印象がある。ああいう子に憧れている、興味があるんだろうか。


 いや、これは興味というよりは。


 表情から推察し、確認がてら聞いてみる。


「知り合い?」

「あっうん。陽香ちゃん」


 さっき話してた子、友達か。それならと、七海ちゃんに提案してみる。


「ちょっと話して来たら?」

「えっでも」

「大丈夫。ここで公園満喫してるから」


 七海ちゃんは葵さんに言われて、わざわざ休みの日にここまで俺に付き合ってくれている。ここで俺の世話から離れて友達と話すくらいは当然の権利だろう。


 少しの間迷っていたけれど、結局七海ちゃんは小さな駆け足で追いかけて行った。お喋り好きのあの子はやっぱり友達と話したかったらしい。


 俺としても七海ちゃんとずっと一緒にいるのは、とても申し訳ないことに気を遣う。妹(仮)という新ジャンルへの対応にはまだ慣れそうもない。


 だからこうして距離を置くのは俺としても助かる、ちょっとした休憩になる。


 そう目論んでいたのだけれど。


「あれー? なんか男の子いるじゃーん」

「しかもやばっ、ありえないくらい可愛い、涎出てきた」


 なんか来たよ。


 声に顔を向ければそこには茶髪と金髪のお姉さんが二人。しかも北風が顔を覗かせる時期にもかかわらず、肩もお腹も足も盛大に出している。よほど頭か気合がヤバくないと出来ない服装の人達だ。正気を疑う。


 そこも含めて簡素な公園には合わない派手な、どこを切り取ってもギャルって感じの雰囲気がある。病院じゃ中々見なかったから、俺としてはファンタジーと同じ領域に入る人種だ。もの珍しさもあって思わずしげしげと眺めてしまう。


 それが不味かったんだろう。目が合うと、金髪の方がニヤリといやらしい笑みを浮かべて近寄って来た。


「えっなに、もしかしてうちらに興味ある感じ?」

「……いえ、あんまりないです」

「いやいや、嘘はダメでしょ。めっちゃ見てたじゃん。ガン見なのバレてってからね?」

「えー、マジー? 綺麗な顔して積極的じゃん。そそるわー」

「ばっか、こういう清楚って雰囲気の子の方がかえってベッドじゃエロいんだよ」


 二人して無遠慮に顔まで近づけて来た。安い化粧品の臭いが鼻に刺さる。不快だ。


 近い、うざい、品がない。この一瞬で見事に三拍子も揃えたことにはいっそ感心する。苛立ちしか返してあげられなくて大変申し訳ない。


 これ以上相手してもお互い不幸になるだけだ。公園は名残惜しいけれど、今日はもう帰ることにしよう。その後はなんとかして七海ちゃん探さないとな。


「すみません。これから用事があるので通してもらえますか?」

「はいうそー。こんなところで一人でブランコこいでる子が忙しいわけないでしょ」

「こんなとこよりもっと面白い場所連れてってあげるからさー。ね?」


 そう言って茶髪は乱暴な手つきでブランコの鎖を掴んだ。激しい金属音が鳴りブランコが揺れる。変則的な壁ドンかな。残念ながらときめきは訪れない。


 更に金髪の方も、逃がさないとでも言うように後ろに回り込んだ。


 つくづく不愉快だな。俺は元々この手の行為、ナンパ自体もする人も嫌いだ。


 だからさっさとお別れしたいのだけれど、いったいどうすればいいのか。手で退けようとしたら、それを口実にまた耳障りなことを言われそうだ。


 解決の手段が何かないかと周囲を見回すと、公園の入口に立っている七海ちゃんと目が合った。その横には陽香ちゃんらしき女の子もいる。どうやら一緒に戻って来たらしい。


 あの子達に助けてもらう、もしくは助けを呼んでもらう。一瞬過ぎった甘えを切り捨てる。それはあまりにも情けない。


 今もあたふたと慌てている七海ちゃんを、可愛い程度で顔を赤くするあの純粋な子を、こんな下品なやり取りに巻き込むべきじゃない。


 そう思い俺が視線を切るのと、陽香ちゃんという子が動き出したのはほぼ同時だった。彼女は迷いなく、とても力強い足取りでこちらに歩いて来る。


 公園の砂を踏み締める音が響き、ナンパ二人組の注意も俺からその子へ移った。邪魔をされたと感じたのか、苛立ち混じりの視線が二人分彼女に突き刺さった。


 だが、その子はそれを意にも介さない。雰囲気にぴったりのはきはきとした口調で、一切の躊躇なく俺に声をかけた。


「呆れた。あんたこんなところにいたの?」

「えっと」

「寄り道が変だし長い。言い訳は後で聞くから。ほら、さっさと立って」


 口振りからしてどうも助けてくれるらしい。内心感じた情けなさは横に置き、ここはその手を掴むことにしよう。いただいた親切はありがたく受け取るべきだ。


 言われるがまま立ち上がり歩き出そうとしたところで、ブランコの鎖を掴んでいた茶髪が慌てて間に割り込んでくる。


「いやいやいや。何あんた、横から入ってきて」

「邪魔。どいて」

「は? いきなり何」

「そこあたしの道。どいてって言ったの、聞こえてない?」


 それを陽香ちゃんという子は一蹴した。強い意志の籠った言葉にナンパ達は声も出せず、無意識なのか一歩二歩と後退する。


 彼女はそれを詰まらなそうに眺め、ついでに鼻まで鳴らしてした。あまりにも強い。この一瞬で完全にヒエラルキーが決まっていた。


 俺もその目つきを向けられ顎でついて来るよう指示されたから、犬のようにおとなしく従うことにした。



 そのままついて行くことおよそ数分。鋭い視線で周囲を確認してから、陽香ちゃんと呼ばれた子はようやく足を止めた。


「ここまで来ればいいか」

「陽香ちゃん、兄さんのこと助けてくれてありがとう!」

「別に、たまたま目に入っただけだから」

「本当ありがとう! すっごい格好よかった!」

「はいはいどうも」


 適当な言葉とは裏腹に、声も顔も完全に照れている。この気安い感じ、二人は想像以上に仲良しらしい。ついでにこの子はそういうタイプらしい。


 それにこうして改めて正面から見ると、後ろ姿から感じた印象は正しかったみたいだ。


 はっきりした目鼻立ち、特に大きな瞳はとても強い輝きに満ちていて、どこか夏の太陽を思わせる。非常に整った顔立ちも相まって、この光に睨まれたあの人達がひとたまりもなかったことに納得した。


 なんて気持ちの悪い観察をしている場合じゃない。俺からもちゃんと言っておこう。


「ありがとうございました」

「……確認だけど、あんたが七海の言ってたお兄さん?」

「はい。じん、じゃなくて、時枝耕太郎です」

「あたしは朝地陽香。この子のあれ、うん、いわゆる友達」


 髪を弄りながら自己紹介する朝地さんの横で、七海ちゃんがぱあっと華やぐ笑顔を浮かべていた。朝地さんからの友達宣言が嬉しかったようだ。一々微笑ましいなこの子。


「七海から事情は聞いてる。だから世間知らずなのは分かるけど、それにしても油断し過ぎ。男なんだからもっとああいうの警戒しなさい」

「……男なんだから?」


 ああいうの警戒しなさい。繋がりが分からないお叱りを受けて自然と首が傾く。


 斜めになった視界の中で、朝地さんは信じられないものを見るような顔をしていた。


「ねぇ七海、あんたの兄さんってまさかぽんこつなの?」

「あのね、それは」


 言葉に迷った七海ちゃんが俺の顔を見上げる。多分、記憶について話していいかー的な確認だろう。


 俺がするよりよほどいいだろう。頷いてお願いすると、七海ちゃんが一生懸命朝地さんに説明してくれた。


「……記憶喪失」


 眉間に皺を寄せて朝地さんが呟く。続いて睨むように俺へ向けた視線には、うっすらと気まずさや罪悪感が見え隠れしていた。


 さっき助けてくれたことといい、この様子といい、朝地さんはかなりいい子らしい。


 やがて彼女は苛立たしげに毛先を弄ったあと、乱暴な手つきで俺を指差した。


「あー、もう! あれこれ言うの面倒だから単刀直入に言う!」

「お願いします」

「女と比べて男は弱っちいんだから、おとなしく守られときなさい!」

「???」


 単刀直入過ぎて訳が分からなかった。

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