第5話「家族(仮)を始める日」
知らない家族、不思議なウサギもどき、意味不明な怪物。
そんな理不尽三連コンボを食らったあの日から、特に何事もなく一週間が過ぎた。
あれ以来らびらびは姿を見せず、俺は魔法だなんだと問い詰める機会を得られなかった。
代わりに手に入れたのは呆れるほどの検診と、あとは毎日通い詰める母(仮)と妹(仮)との時間くらい。一人の時間、何かを調べる自由時間なんてまったくなかった。
おかげさまで見知らぬ二人についてもある程度は知ることが出来た。
どうやら葵さんの旦那さん、七海ちゃんの父親はいなさそうなこととか、二人は病院から離れた一軒家に暮らしていることとか。
そして二人といることにある程度は慣れた。もちろんどちらも家族と思うには、恐らく到底足りないだろうけれども。そもそもの話、何がどうなれば家族なのかってことも分からないし。
そのせいもあって、もちろん他の理由もある、というかそっちの方が大きいはずだけど、今も緊張で胸がざわめいて落ち着かない。
「こうくん、シートベルト締めた?」
「あっうん。これで、いいんだよね」
「そうそうバッチし!」
そう言って、運転席の葵さんは元気よくサムズアップを決める。
先週からとても親しく優しく、恐らくは息子扱いしてくれる彼女には申し訳ないけれど今も、間違いなくこの先も母と呼ぶのはとてつもなく難しい。
無理難題に近いし、それに俺の母親呼ばわりはある種の罵倒になってしまう。
それでも辛うじて頷きを返して、勝手に感じた気まずさを誤魔化すために窓から外を見る。
道行く車。歩く人々。立ち並ぶビル達。
助手席から見える景色はどこを切り取っても一般社会にありふれたもの。ただし、箱入りの俺にとっては全てが新鮮に思える。
まともにこの席に座るのは、車に乗るのすらいつぶりだろう。こうして病院の外を眺めたのも、果たしてどれくらい前だったか。
そう、病院の外。俺は今日退院することになった。
訳の分からない昏睡を三か月もしていたのにいいのか、なんて思ったけれど、血やら内臓やらの数字はどれもその間改善傾向にあったらしい。それを確かめるための検査地獄だったとか。
目が覚めて記憶こそ飛んでる、もしくはおかしくなっているものの、それ以外は覚醒後も良好。母親(仮)である葵さんの強い希望もあって、この度めでたく俺は病院から放り出された。
退院なんて、もうとっくに諦めてたのにな。
血縁上の母が昔よく冷やしてくれたおかげで、俺の内臓は赤子の頃からまったくやる気がない。
長年移植も治療も見込みがない以上、病院を出ていくのはお隣の田中の兄ちゃん達よろしく、俺も骨になってからだと思っていた。
それが、今はこうして生きて出て。しかも何故か健康に、元気になって。
今まで生きて来た中で一番身体は軽い、呼吸も苦しくない。
にもかかわらず、サイドミラーに映る遠ざかっていく病院の姿に、『神野記念病院』の看板に不思議と溜息が浮かぶ。
まさかここでする訳にもいかないから飲み込むと、代わりに独り言が漏れ出てしまった。
「……そっか。俺、本当に退院するのか」
バックミラーの先で七海ちゃんがこてんと首を傾げる。三つ編みが小さく揺れた。
それから葵さんの運転に身を任せること約一時間、閑静な住宅街を進んだところで車が減速し始めた。どうやら目的地が近いらしい。
そんな俺の予測は正しかったようで、やがてとある二階建ての一軒家、そこの駐車場に車が止まる。表札にはしっかり『時枝』と書かれていた。
予想はしていたけれど、やっぱり家まで見覚えがない。ただ、この知らない家の方が、覚えのあるあの豪邸よりかはよほどいい。見ても虫唾が走らないところが特にいいと思う。
こうして一安心というか、ある種の納得というか。とにかく心の整理を付けて車から降りた瞬間、何故か葵さんに止められてしまった。
「あっそうだ! こうくんはちょっとここで待っててね!」
よく分からないお願いだ。にやにやしているのがますますよく分からない。
その上待つのは一分も、十秒もかからなかった。すぐに葵さんの元気な、もういいよー、という掛け声が届く。
首を傾げながら玄関に向かうと、不思議なことに扉は閉まっていた。
なんだろうな、これ。動画とかだとドッキリのパターンな気がするけど、退院直後の人間にやるほど葵さん達は頭おかしくないだろうし。
何にせよ開けなければ始まらない。疑問を棚上げしてドアノブに手を伸ばす。
結果から言えば、それはある意味ドッキリみたいなものだった。
「おかえりなさい!」
「お、おかえりなさい、兄さん」
不慣れな人達に馴染みのない言葉を、それも知らない場所で告げられる。しかも満面の喜びと困惑混じりの声という、相反して反応に困るものを二つ同時に。
「……た、ただい、ま?」
だから俺が咄嗟に返せたのは当然、限りなく後者に近いものだけだった。
少し休ませて欲しいと言って案内された二階の部屋、自室と告げられた場所に入り、慣れないベッドに倒れ込んだ瞬間だった。
「せっかく家に帰ってきたのに、二人といなくても平気ぴょん?」
突然現れたらびらびが俺の目の前、頭上で明かりを背負いながらふわふわと浮いている。
逆光も相まって妙に不気味な印象だ。やっぱりこいつマジックじゃなくてゴシック系の何某かじゃないのか。
そんな戯言はさておき、続いて感じた疑問をすかさず謎ウサギもどきへとぶん投げる。
「いたの?」
「らびらびは君の相棒ぴょん。どんな時でも君を支えるため、いつでも近くにいるのが役割ぴょん」
「いつでもってなんか重いな。にしては最近ずっと出てこなかったけど」
「私用のために有給貰ってここ一週間は留守にしてたぴょん。あっオフはもちろん詮索NGぴょん」
「数秒前の発言覚えてる?」
というか有給あんのかよ妖精。そもそも給料あんのかよ。まさか砂糖本位制とかなの?
とんちきな存在そのもののせいで、発言全てが冗談なのか本気なのかも判断出来ない。このまま掘り下げて聞いたところで多分理解は難しい。恐らくファンシー系理不尽で頭が爆発する。
不条理に諦めの溜息を吐く俺へ、何故からびらびの方が強く詰め寄った。
「それよりも耕太郎、ちゃんと家族は大切にした方がいいぴょん」
「……熟年離婚された中年サラリーマンみたいなこと言ってる」
「誤魔化さないぴょん。今は冗談じゃなくて説教の時間ぴょん」
冗談みたいな見た目の奴が何か言ってる、なんて思考も読まれていそうだ。表情は変わらないのに、ふわふわの癖に自然と視線は鋭く突き刺さる。
この感じ、言い逃れするのは厳しい。それに下手に隠すよりも、ずっと傍にいるらしいらびらびには俺の事情を伝えておいた方がいいだろう。
「つってもさ、らびらび。俺からするとあの人達は家族でもなんでもないんだよ」
「どういうことぴょん?」
「どうも俺、あの人達のこと覚えてないみたいでさ」
そういう訳で俺の記憶喪失、他はともかく家族に関する記憶が一切ないことについて語った。
俺と世界のどちらかがおかしいかも、みたいな話はカット。客観的に考えて、こんな話を大真面目に説明する奴の方が確実にヤバい。病院に逆戻りならまだしも、最悪違う病院に転院する羽目になる。
「………………なるほど」
記憶の欠落はらびらびも語尾のぴょんを忘れる程度には衝撃的だったらしい。
時々付け忘れてたし、やっぱりあれキャラづくりだったのか。自分でやってるのか命令されているのか、どっちにしてもマスコットも大変だ。
嘘みたいな真実と適当な考えでやり過ごそうとする俺を、それでもらびらびは許さない。
「だとしても君はあの人達との、家族との時間を大切にするべきぴょん」
本人も言った通りこれはお説教だ。しかも普段の俺なら訳知り顔に激しく苛立つか、もしくは茶化して場を濁すような内容。
それでも何故からびらびにこれほどまっすぐ真剣に言われると、俺も逃げずに正面から受け止めざるを得なくなってしまう。自分でもよく分からない不思議な感覚だ。
マジカルマスコットパワーかな、なんておちゃらけは苦し紛れ。どう返せばと悩む俺を、控え目なノックが救った。
「あの、兄さん、ちょっといい?」
これまた三歩引いたような声で七海ちゃんが部屋の外から囁いている。
いいかどうかはらびらび次第だ。視線を向ければ首を横に振られた。反応的にらびらびは人前に出てはいけないタイプのマスコットらしい。
だから幸い、俺が扉を開けばお説教は打ち切りとなる。ただここで誤魔化しても、後で部屋に戻った時にすぐ再開するだけだろう。
それを防ぐために、そして本心から、七海ちゃんには聞こえないよう小さく端的に告げる。
「らびらびの話、あとでちゃんと考えとくよ」
その場しのぎにしか聞こえなかっただろうけれど、らびらびにはそれだけで十分だったようだ。ウサギもどきには似つかわしくない、とても重々しい頷きをしている。
とりあえず許されたということにして、俺は外で待っている七海ちゃんの声に応えた。
「いいよー。どうしたの?」
「お母さん、そろそろお仕事に出かけるから」
見送ろう、みたいな話か。
らびらびに目配せすると、ふかふかの手をひらひら振られた。早速家族(仮)との時間を作って来いということらしい。
返答代わりに肩を竦めて部屋の外へ。そのままなんだか肩に力の入っている七海ちゃんと一緒に玄関まで移動する。
ちょうど、スーツ姿の葵さんが靴を取り出したところで玄関に到着した。
それにしてもこの人、妙にスーツ似合うな。どうも不思議な貫禄というか、変な話説得力があるというか。
「あれ、二人とも見送りに来てくれたの?」
「まあ、うん」
「そんな、いいのにー。ななちゃんもこうくんもお休みなんだからー」
そうは言いつつ、葵さんはくねくねと喜んでいる。精神力が減りそうな動きだ。おかげで貫禄と説得力は消えた。横の七海ちゃんも白い眼を浮かべてげんなりとしている。
娘の冷たい反応も一切気にせず、それどころか俺達を見る度に葵さんは笑みを更に深めていく。強い。
「やっぱり二人いてくれると嬉しさ二倍、貰える元気も二倍ね!」
「大げさだよ」
「ううん、待って、違った、これは二乗。今、私の中にスーパー家族パワーが漲って来た!」
強いというよりは、もしかすると素でテンションがおかしい人なのかもしれない。両手をぐっと握り変な気迫を出す葵さんを見てそう思った。
彼女はその謎のオーラを全身に漂わせながら、やる気と生気に満ちた足取りで扉に向かう。そして最後に振り返り、黄金みたいな笑顔を俺達に振りまいた。
「じゃ、お母さんお仕事行って来るから! 二人とも戸締りとかちゃんとしてね!」
「はいはい。お母さんも気を付けてね。いってらっしゃい」
「……うん。車とか事故とか、気を付けて。その、いってらっしゃい」
「いってきまーす!」
最後まで元気一杯、子供みたいな声を残して葵さんは玄関を飛び出して行った。その途端、反動で玄関に重い沈黙が訪れる。
「……」
「……」
案の定、今日も微妙に気まずい。
この一週間葵さんはあの通りとても明るく分け隔てなく、表面上は何も気にしていないように振る舞ってくれている。俺が本当に彼女の息子だというのなら、記憶について思うところはたくさんあるだろうに。
その対応を百分の一でも七海ちゃん、まだ六年生の女の子に求めるのは酷だろう。というよりも年上の俺、一応兄らしい俺こそ、この子が気兼ねしないよう意識しなければならないはず。
この子が家に帰って来てからもずっと緊張しているのは、考えるまでもなく俺のせいだ。
記憶について間違っているのは俺か世界か、なんて哲学染みた問題はこの子には関係ない。この子が感じている気まずさは俺に責任がある。
男は責任を取るために生きている。そして俺は男だ。古臭い考えだとしても、よってこの問題は俺が解決しなくてはならない。
「七海ちゃんってさ、今日みたいな休みの日なにやってるの?」
その取っ掛かりとして、とりあえず雑談でもしてみるかと話を振ってみる。俺はこの子のことをまだほとんど知らない。どうするにしてもまずは踏み込んでみないと。
唐突な問いかけに七海ちゃんは一度びくりと肩を震わせたものの、意外とすぐに、そして自然に答えてくれた。
「えっと、お母さんの代わりに、家のお掃除とかお洗濯とか。いつも学校行ってて出来ないところ」
「へー、凄い。七海ちゃん偉いね」
「そう、かな。このくらい、当たり前だと思う。いつもやってるし」
ヤングケアラーという単語が思いついた。この場合ケアされるの主に俺じゃね、という疑問も浮かんだ。年上の沽券という言葉とともに、ひとまず一旦全部流すことにした。
そんな俺の葛藤は幸い伝わらず、今度は七海ちゃんの方から質問が飛んで来る。
「兄さんは、お昼ご飯何食べたい?」
「七海ちゃんが作ってくれるの?」
「うん。昨日お母さんが張り切って買い物してたから、多分何でも作れると思う」
何でもとは結構な自信、というよりかは気を遣ってくれているのだろう。まだ詳しくない俺でも七海ちゃんが優しいことぐらいは既に知っている。
けれども、残念ながら俺はその親切心に応えられそうにない。
「……食べたいものとか、考えたことないな」
「え、そうなの?」
「病院ってほら、基本先生に言われたものだけ食べる場所だから」
我がお袋の味は病院食である。もしかしたら我儘も聞いて貰えたかもしれないけれど、俺はいつも出されたものを粛々と、可能な限り食べていた。
十四年間食事は生きるために頑張って食べるものって感覚だったから、生まれてこの方好き嫌いは特にない。
強いて言うなら先週目覚めるまでは、食事そのものが苦手だった。おかげでいざ希望を聞かれると困ってしまう。
「うーん、じゃあ、今日のところはシェフにお任せかな」
「しぇ、シェフ?」
「時枝家のチーフシェフ七海ちゃんに、全てのチョイスを託します」
ここは作る七海ちゃんの好きなもの、もしくは作りやすいものにしてもらおう。自慢じゃないが料理なんてまったく出来ない俺は、今日もお作り頂いたものをそのままいただく所存です。
そんな後ろ向きの提案に、七海ちゃんは何故かいきなり瞳を輝かせる。そしてさっきの葵さんを彷彿させる姿勢、両手を体の前でぎゅっと握り、前のめりになりながら俺に宣言する。
「ま、任せて! シェフのお任せランチ、張り切って作るから!」
この感じ七海ちゃんは乗せやすい、というか勝手に乗るタイプか。分かりやすくて助かるな。
我ながら最低な感想だった。
そういう訳で玄関から台所へ移動。七海ちゃんシェフが準備を進めるのを見守る。料理を生で見るのなんて初めてだ。ここで見逃す理由はない。
後ろで何もせずじっと眺める俺が気になるのか、七海ちゃんは酷く居心地悪そうにしていた。
「見てても、何も面白くないと思うよ?」
「まあまあ。いいからいいから」
適当に宥める俺が引かないと察したのか、シェフは諦めて玉ねぎを手に取りまな板の上に置く。当然続いて取るのは包丁だ。
今更だけど小学生に料理任せて、包丁持たせて平気なのかな。でも七海ちゃん自信ありげだし、小学校にも家庭科という授業はあるらしいし、そもそも小六だからほぼ中学生みたいなものだし。
「おー」
そんな考えは杞憂どころか余計なお世話だった。七海ちゃんは淀みなく、まるで何かの達人かのように滑らかな動きで調理を進めていく。もちろん達人の動きなんて知らないけれど。
「七海ちゃん手際いいねー。動画で見たのより凄いかも」
「兄さん、お料理動画とか見るんだ」
「元料理人の患者さんとかいたからさ、その人の解説付きで見てたりしてた」
いつかお前の飯も作ってやるよ、なんて約束は叶えてもらえなかったけれど、その思い出は今の俺を形作る一つだ。だからある意味、心のご飯ならもう作ってもらえたとも言える。
そんなこんなで調理は進み、予想よりもずっと早く昼食の時間となった。
「というわけでシェフ、こちらの料理は」
「オムライス、です」
七海ちゃんシェフが中途半端な姿勢で手を広げて紹介するのは本日のランチ、オムライスとサラダ、そしてオニオンスープである。
どれも見た目は美味しそう。だがご飯は食べてなんぼという。なので早速実食。
「ど、どう、かな?」
「……」
ごくりと七海ちゃんシェフが生唾を飲む。俺のリアクションを待っている。それを理解してなお、俺は口を開くことが出来ない。
無言でスプーンを動かし続ける俺に、七海ちゃんがとうとうしびれを切らして話しかけて来た。
「あの、兄さん」
「美味しい」
だから俺も端的に感想を述べる。
「ごめん七海ちゃん。星三つだーみたいな小粋ジョークを交えて褒めるつもりだったんだけど」
「こ、小粋なのかな、それ」
「そこは放って置いて」
俺のセンスの問題である。そして意外と七海ちゃんのツッコミは切れ味がえぐい。
「冗談とか言ってる暇ないくらい美味しかった」
「……ほんと?」
「本当。だから、しばらく黙って食べてるかもだけど、それは美味しいからだから」
七海ちゃんのオムライスはとても美味しい。卵は固焼きなのに固くないというか、ふわふわ柔らかいというか。中のチキンライス、ケチャップライス? は鶏肉とマッシュルームがいい感じで、これ単体でも美味しかったというか。
サラダもこう、新鮮だったし、オニオンスープもコク、コクっていうんだっけあの感じ、自分の味覚が分からない。先週起きて以来、どうも味覚が変化した影響もあると思う。
とにかくこの通り、俺には食レポ系の語彙がまったくない。
だから結局俺は気の利いたことなんて言えず、ひたすら黙って食べ続けているだけだった。
七海ちゃんの緊張をなんとかしなければ、などと考えていた奴の行動とは到底思えない。首を垂れて反省するべき、恥ずべき振る舞いだ。
「ふふっ」
けれども不思議なことに、昼食の後俺を見る彼女の瞳は何故かとても柔らかくなっていた。
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