第4話 再会
耳に届いたのは、泣きそうな、でも懐かしい声。
あの独特の甘えたトーン。
“みと”の声。
……壊れる。
「……どうしたの?」って、やっと言葉を絞り出す。
でも、その声が想像以上に優しく出てしまって、自分でびっくりする。
(違うだろ、もっと冷静に、線を引いて話せよ)
でももう、無理だった。
一年間、忘れたふりしても体が覚えてる。
この人の泣き声の温度も、甘え方の呼吸も。
「……りひとぉ……酔って動けない……電車も、もうないの……」
泣きながら甘える声に、心臓がきゅっと縮む。
“助けて”なんて言葉じゃないのに、俺の体はもう答えてた。
無意識にジャケットを掴んで、鍵を探して、靴を履いてた。
(やめろ、また同じ繰り返しになるって分かってるのに……)
(でも——放っとけるわけ、ないだろ)
「……迎えに来て……お願い、りひと」
電話の向こうで泣いてる彼女の声が、心に刺さる。
涙と一緒に混ざった“お願い”が、全部の理性を壊した。
(弥刀が助けを求めてる。それだけで、全部の判断が消える)
(俺は結局、弥刀が泣いたら動く。どんな距離があっても)
「……わかった。待ってて」
短く答えて、電話を切る。
ポケットの中の携帯がまだ震えてる気がする。
胸の奥も、震えっぱなしだった。
考えるより先に、車のキーを掴んでた。
玄関を飛び出した瞬間、冷たい夜風が顔に当たる。
でも心の中は灼けてた。
靴を履く手も、エンジンをかける手も震えてる。
(やばい、完全に冷静じゃねぇ。俳優の俺どこいった)
(いい。今日は男でいい。弥刀に会いたい)
アクセルを踏み込む。
夜道の信号が流れるたび、頭の中で一年分の記憶がフラッシュバックする。
撮影帰りに電話してた声。
「おかえり」って笑ってくれた顔。
俺のTシャツを着て、髪をまとめてたあの手。
全部、脳裏に焼き付いてて、ひとつも消えてなかった。
(なんで、あのとき離したんだろう)
(弥刀は我慢してた。俺は気づいてたのに、気づかないふりしてた)
ウィンカーの音がやけにうるさい。
目の奥が熱いのに、涙は出ない。
代わりに、ハンドルを握る指に力が入る。
(もう一度だけ……もう一度だけ、会えたら)
(何も言えなくてもいい。ちゃんと迎えに行く。それだけは)
(終わったはずの恋なのに。
会いに行くって決めた瞬間、世界が少しだけ明るくなった)
——
その一言を聞いた瞬間、息が止まった。
待ってて、って。
本当に、来るんだ。
理人が。
涙と酔いでぐちゃぐちゃになった顔のまま、スマホを見つめて動けない。
(どうしよう、ほんとに来る……どうしようどうしよう……)
さっきまでただ泣いてただけなのに、今は心臓の音が暴れてる。
鼓動のたびに、記憶がよみがえる。
一緒にコンビニでアイス選んだ夜とか、
寝落ち前の「おやすみ」って声とか。
全部、ついこの前のことみたいに蘇る。
でも、鏡に映る自分がひどい。
目は真っ赤、髪も乱れてて、マスカラも涙で線になってる。
(やばい……一年ぶりの再会がこれ? 終わってる)
バッグから慌ててリップを探して塗ろうとするけど、手が震える。
(待って、こんなことより……なに話すの? 最初に……なんて言えばいいの?)
「……ひさしぶり?」
「……ごめん?」
「……会いたかった?」
どの言葉を口にしても泣き崩れそうで、息を呑む。
(別れたくて別れたわけじゃなかったのに。“寂しい”って言葉を我慢しすぎて、壊れただけなのに)
でも、冷静に考えると元カレに迎えに来てだなんて、図々しいにもほどがある。
それでも——顔を見たい。
ちゃんと“あの声の人”が、本当にまだこの世界にいるって、確かめたい。
(お願い、理人。来てくれるなら……)
(せめて、笑って“ひさしぶり”って言える私でいたい)
頬を軽く叩いて、涙を拭く。
でもすぐまたにじむ。
そのとき、外から車のライトが差し込んで、心臓が跳ねた。
「……りひと……」
唇が震える。
会いたい。
怖い。
それでも、心の奥は——確かに、嬉しかった。
―
ヘッドライトが遠くの角を照らした瞬間、胸の奥がぎゅっと縮まった。
白い息が夜気に溶ける。
まさか——ほんとに来てくれた。
ゆっくり止まった車のドアが開いて、運転席から出てくる人影。
街灯の下で、その顔を見た瞬間、世界の音が全部遠のいた。
「……りひと……」
声が勝手に震える。
一年ぶりなのに、見た瞬間に全部が蘇る。
夜の中で光って見えた。
懐かしい目の形も、少し伸びた髪も、何も変わってなかった。
助手席のドアを静かに開けて、
「乗って」って短く言われた声に、心がほどけるように崩れた。
「なんで……なんで来てくれたのぉ……」
言った瞬間、堰が切れたみたいに涙が止まらなくなった。
泣き顔を見られたくないのに、もうどうしようもなくて。
理人が、そっと肩を抱いてくれた。
その手の温度が、懐かしくて、優しすぎて、余計に涙が出る。
何も言えないまま、素直に助手席に滑り込む。
ドアが閉まる音が、二人を外の世界から切り離したみたいに響いた。
車の中は静かで、ワイパーのリズムと私の息だけが聞こえる。
涙で滲むフロントガラス越しに、街の灯りが流れていく。
泣きながら、少しずつ呼吸が落ち着いていった。
(本当に、来てくれたんだ……)
(ずっと会いたかったのに、もう無理だって思ってたのに)
(まだ、私のこと覚えててくれたんだ……)
ぽつりと顔を上げると、理人が前を見たまま小さく息を吐いた。
その横顔に、いろんな気持ちが溢れてきて、
「来てくれて……ありがとう」ってやっと言えた。
泣き顔で、笑おうとしたけど、涙がまた一粒こぼれた。
それを見た理人が、ゆっくりこっちを見て、何も言わずに目だけで「大丈夫だよ」って言ってくれた。
その瞬間、胸の奥が温かくて、苦しくて、
(あぁ……やっぱり、この人だ)って思った。
一年分の寂しさが、静かに溶けていった。
夜の街を抜けて、交差点の信号が赤に変わった。
ハンドルを握る指先が微かに震えてる。
胸の奥では、ずっと抑えてた鼓動が暴れてた。
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