第3話 再会への一歩

 私は外から見ると“ちゃんとしてる”。

 だけど内側は、静かに泣き疲れて、恋を抱えたまま止まってる。


 ⸻


 朝、鏡を見て「よし」って口に出す。

 ちゃんと笑って、仕事して、友達ともご飯に行く。

 誰にも心配かけたくないし、「元気そうだね」って言われるのが何よりの防波堤だった。

 でも夜、部屋が静かになると——理人の声の残響がまだそこにある。


(“弥刀が隣にいなきゃ、意味がないんだよ”)


 思い出のフレーズが、空気の中にまだ漂ってる。

 スマホを握りしめて、何度も名前を打っては消す。

“りひと”って入れた瞬間に涙が滲んで、指が止まる。


 そのくせ、街で似た横顔を見かけるたび、心臓が勝手に跳ねる。

 でも近づいて違うとわかると、急に力が抜けて、ひとりで笑ってごまかす。


(ちゃんと前を向こう。理人がいないからって、止まってたらダメだよね)


 ジムに通い始めて、美容にも気を使って、少しずつ生活を整えていく。

 それでも、どんなに新しい服を着ても、どんなにメイクが上手くいっても、心の奥の“誰かに見せたい部分”が空洞のまま。


(あの人に“綺麗になったね”って言われたいだけなんだ、私)


 強くなろうとするたびに、心の奥ではまだ理人の名前が鳴ってる。

 寂しさを隠して笑う術は覚えたけど、完全に手放すことはできなかった。

 それでも、彼を想う気持ちは悲しみじゃなくて、静かな祈りに変わっていく。


(いつか、もう一度だけ、友人としてでもいい。あの笑顔を間近で見たい)


 別れてから1年が経っても、私はずっと、理人のことを忘れたふりして過ごしてきてた。

 俳優として活躍してたし、SNSで確認しては、どこか遠くの存在になった気がして、きっと私のことなんて忘れてるだろうなって思ってた。


 でも、あの日。

 私は、仕事でお客様との大切な商談でミスをして、責任を取って辞めようかと思うほど落ち込んでた。


 泣き腫らして、精神的にも追い詰められて、疲れ果てた体を誤魔化すようにお酒を飲んで、ぼろぼろになってた日。


 酔いと落ち込みが手伝って、ついスマホを手に取り、理人の番号をタップしてしまう。

 別れてからこれまで、1度も連絡なんてできなかったのに。人って落ちると開き直れるんだ。

 どうせドン底、出なくてもショックは受けないって、ほぼ勢いでかけた。


(出るわけないよね……でも、どうしても聞きたい。声が、ただ、聞きたいだけ)


 手が震える。画面の向こうの彼に届くのか、不安と期待が混ざり合う。

 出なかったら……もう、諦めるしかない。


(でも……出てくれたら……会いたい、すぐに)


 息を飲みながら通話ボタンを押す指先。


 心臓がドキドキして、頭の中がごちゃごちゃになる。

 過去の思い出、今の想い、少しの期待と大きな不安が一気に押し寄せる。


(理人……もし出てくれたら、もう泣いちゃうかも。でも、会いたい……)


 スマホを握りしめたまま、息を整えようとしても、手の震えは止まらない。

(ああ、やっぱり……私は、ずっと……理人が好きなんだ)


 そして、ほんの少しの沈黙のあと、心臓が跳ねた――

(……電話……出た……!?)


 その瞬間、全ての理性が一気に溶けて、期待と緊張で胸がいっぱいになる。



 ー


 部屋の中は、静まり返っていた。

 深夜の撮影から帰って、ソファに沈み込んでいた俺のスマホが、不意に震える。


「弥刀」


 一瞬、視界が揺れた。

 まるで心臓を直接掴まれたような衝撃。

(……嘘、だろ……? 何ヶ月?一年ぶりだ……?)


 通知が来るたびに一瞬期待して、違うたびに笑って誤魔化してきた、あの名前。

(……夢じゃないよな?)


 名前を見ただけで、時間が止まる。

 あの声、あの手、あの笑顔。全部、思い出の底から一気に浮かび上がってくる。


 震える指先でスマホを掴む。

(出たら、また壊れそうだぞ俺……でも、出なかったら、もっと壊れる)


 息が荒くなる。

 何を話せばいい? 責められるかもしれない。

 それでも、声が聞きたい。

(どうして今……)


 スマホが鳴り続ける。

 一秒ごとに心拍が跳ねる音が重なって、もう息をするのも苦しい。


 そして――気づいたら、指が動いていた。

 通話ボタンを押していた。


「……みと?」


 その一言を口にした瞬間、胸の奥に溜めていた一年分の想いが一気にあふれそうになって、喉が震える。

(声……震えてる。ああ、まだ全然、終わってなかったんだ、俺)


 電話の向こうの小さな呼吸音が、すぐに涙腺を刺激する。

(たまんねぇ……ずっと、聞きたかったのに。なんで、こんなに懐かしいんだよ……)


「……どうしたの?」とやっとのことで言葉にする。

 けれど、本当は聞きたくなかった。

「会いたい」って言われたら、もう止められないと分かっていたから。



 ー


「……みと?」

 その声が耳に届いた瞬間、呼吸が止まった。

 心臓が、キュッと掴まれたみたいに痛くなる。


 一年分の我慢が、たった一声で崩れていく。

 変わってない。

 あの優しい、低くて少し掠れた声。

 泣きそうになる。

(だめだ、こんなのずるい。聞いた瞬間に、あの頃に戻っちゃう……)


 頬を伝う涙を拭こうとするけど、手が震えてうまく拭けない。

 電話の向こうで「……どうしたの?」って、静かに問いかける理人。

 その言い方が優しすぎて、涙が止まらない。


(何も変わってない。優しいまま。

 別れても、こんな声で名前呼ぶのずるい……)


 息を整えようとしても、嗚咽が漏れる。

 もう、平気なふりできない。

 気づいたら、口が勝手に動いてた。


「りひとぉ……酔って動けない……電車も、もうないの……」


 沈黙の向こうで、彼が息を吸う音が聞こえる。

(ほんとは、来てほしいなんて言っちゃだめなのに……)

 でも、もう止められなかった。

 一年分の寂しさが溢れて、心の中の“理性”が音を立てて崩れた。


「……迎えに来て……お願い、りひと」


 声が震える。涙が喉に絡む。

 それでも、最後の言葉はちゃんと伝えた。


(会いたい。

 やっぱり、あの人じゃなきゃ駄目なんだって、こんな夜に気づいてしまった)

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