WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─

pochi.

第一章 境界を越えた少年

1-1




 人里離れた山の奥地。常緑の木々に囲まれた一角にひっそりと佇む質素な木造小屋。平家建ての開け放たれた縁側に、一人の少年が駆け戻る。髪を無理やり総髪に纏め上げ、すらりと鍛え上げられた体には臙脂の着物、下衣は黒い野袴、黒足袋。捲った袖から伸びる腕に付けた手甲、黒漆の弓、腰に携えた星七宝柄の矢筒──弓取りだ。


 少年は室内の様子を黙って見渡した後、ぐるりと縁側を周り、土間の勝手口へ小走りに駆ける。その表情は呆れたように、僅かに落胆の色を見せているが、若さが滲み出ていて微笑ましさすら感じられる。


 土間に入ると弓と矢筒を扉の脇に立てかけ、竈門にかけていた鍋の木蓋を開けて中身を覗く。野草と山菜の味噌汁が残されているのを確認すると、薪をくべて火を入れた。


「まだ寝てるのか?」


 竹筒で火に空気を焼べながら火力を調整し、お玉で汁をかき混ぜながら少年が呟く。時刻は早朝。朝露滴る草葉が日差しをみずみずしく跳ね返す、静かな目覚めの頃合いだ。


 少年は温まった汁を碗に掬ってその場で簡単な食事を終えると下の間を抜けて中の間の襖を開ける。しかしそこは予想外にももぬけの空。首を傾げて踵を返し、土間へ戻って燻っていた火を消したところで、玄関の方から聞こえた物音を捉えて振り返る。すると程なくして引き戸が開かれ、巨躯の男が身を屈めるようにして入ってきた。


「──師匠!」


 少年が目を丸くしてその男を呼ぶ。男は、すっかり身支度を済ませている少年と、立てかけられた弓矢、土間に漂う食事の香りに苦笑した。


「また早朝稽古か、タケル」

「好きでやってる事です」


 男は茶の間側の段差に腰掛けると、小さく溜息を吐いた。黒い鈴懸を見に纏い、短く刈り上げた頭に纏っていた銀鼠の裏頭を外す。太い首には数珠を下げており、凡そ眠っていたのではないのが窺える。


「出かけていたんですか」

「……的はまだ使えるのか」


 問いかけに答えず、強引に質問を返す男に少年──タケルは口元を歪める。しかし反論する事なく振り返ると、新しい碗に汁をよそった。


「的なんか……そこにあればいいだけですから」

「命を奪ってはおらんな?」

「当然です。それが教えですから、そう何度も確認しないでください」


 汁をよそった碗と箸を渡し、タケルはひとまず弓矢を自室に引き下げようと勝手口へ向かう。しかしその耳がまた、僅かな音を拾った。反射的に振り返ると男もその音を捉えたようで、半分残った碗を傍に置いて立ち上がる。そして片手でタケルを制すると、玄関扉へと歩いた。


「こんな早朝に──」

「タケル、そこで待っていろ。大事ないとは思うが、何かあれば──教え通りに」

「……でも、」

「いいな。お前をここに置く条件だ」


 男はそう言い残して扉の外に姿を消す。眉間の皺を深めたタケルは、いささか乱暴な手つきで装備を身につけ、弓を手に取る。そして下の間に下がると、雨戸を閉じるため縁側に向かった。


 音の正体は足音だ。それも一人ではない。何人もが列をなして歩く足音。音を殺しているつもりのようだが、山で生きるタケルには通用しない。


「一体何だってんだ? 朝っぱらから来客なんて初めてだ。師匠は一晩家を空けてたみてぇだし……」


 愚痴をこぼしながらせっせと戸締りをして回り、タケルは足音を忍ばせて下の間に身を潜めた。障子越しに外の音に耳をそば立てる。するとちょうど、来訪者が男と接触したようだった。


「穢祓人(エバツビト)の末裔、轍(ワダチ)であるな?」

「──いかにも」

「御前がお見えだ。貴様の昨夜の行動を偽りなく申し開きせよ」


 小屋の周辺を取り囲む気配、高位の者特有の硬い口調。タケルは何事かと固唾を飲む。心臓の鼓動が動揺を誘う。


「……要(カナメ)様」

「轍よ。よもやかような住処に身を潜めていようとは……それで罪を雪げると考えているのではあるまいな」


 男の声に混じり、厳格な女の声が耳に届く。話の内容は不明だが、タケルは師匠である轍が窮地に立たされていることを肌で感じる。


「”罪”……か。一体誰が罪としたのやら」

「──誰の差し金だ? 答えねば命は無いぞ」


 どくり、と重く鼓動が鳴る。どうやら轍は昨夜、何か咎められるような事をしたらしい。タケルは震える手で襖を開き、土間の縁で草履を足に結ぶ。おぼつかない手つきで手間取っていると、その間にも容赦無く外の会話は続けられた。


「答えられぬ」

「何だと?」


 ようやく草履を履き終える。


「約定がある。口にすれば全て終わる」

「貴様一人の行動でこの国が終わるとしても言えぬというか」


 弓を取り落としそうになり、慌てて支える。


「──そうだ」

「……そうか」


 土間の僅かな距離を駆ける。取っ手に手をかけ、乱暴に引き戸を開く。その先の見慣れた草木生茂る景色は、士族である奉行に取り囲まれていた。その輪の中心に、師匠の轍と、要という女が対峙している。


「師──…」


 タケルが呼びかけようとした時、虚しくもそれは斬撃によって遮られた。巨躯の背中から美しい刃が突き出し、その身体がゆっくりと膝をつく。タケルは驚愕に瞠目した。


「な、なんで……」


 轍の体から刃が抜かれ、鮮血が散る。そのまま倒れる体を愕然と見下ろすと、要が刀の血を振って納刀した。


「お前……」


 轍に群がる部下たちに目もくれず、要はタケルを捉えて目を瞠る。しかしタケルは憎悪にも似た怒りに胸を焼かれ、思考を奪われる。握り潰す勢いで弓を握る手に力が込もる。


「なんで、こんな──」


 タケルの黒曜石の瞳が色を無くす。否、文字通り、白とも透明ともつかぬ色に変化する。同時に周囲には鼓膜を押しつぶすような重低音が響き始め、空気が震える。大地はそのままであるのに、草木はざわめき、小刻みに揺れる。明らかな異変にその場にいる全ての者が周囲を見渡し、空を見上げる。しかし要だけはその視線をすぐにタケルに向かって落とした。


「な、なんだこれは⁈」

「何が起こっているんだ!」

「要様、ひとまず退避を!」


 部下たちの声が行き交う。しかしその間にも異変は様相を増し、とうとう空間が歪み始めた。


「てめぇら、いっつもそうだ」


 タケルが静かに言葉を発した。しかしその顔は眉も目もつり上がり、怒りに支配されている。肩で息をするなか、歪みが頂点に達しようとした時、辺りに怒号が響き渡った。


「てめぇらみたいな人非人、──全員消え失せろ!!」


 それを合図としたかのように、急激に空間が渦を巻いた。タケルを中心に、景色が吸い込まれるように曲線を描いていく。鳴り止まぬ重低音と圧倒的な圧力に、要やその部下たちは両耳を塞いで呻き、膝をつく。


 だがその異常な現象は、突如として消え去った。音も歪みも幻のように霧散し、鳥が歌う囀りすら聞こえ始める。呆然と立ち尽くすその場の者たちの視界は、すっかり元に戻っていた。



 ──唯一、姿を消したタケルを除いては。





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