シンクとリンジ

 風化した石壁に傷んだ木の屋根が並ぶ町はずれ。

 裏手の路地を大きな革袋を背負ったシンクが歩く。


「よいしょ、よいしょ」


 夕陽に照らされるこの一画はどこか荒んでいるように見えるが、特別この辺りの治安が悪いわけではない。

 依頼をこなしてギルドで酒を飲み、そして寝る為だけに帰って来る冒険者達。そんな冒険者の住居が集まるこの区画はどうしたってくたびれて見えるのだった。


「うーん、ちょっと重すぎたかな」


 そう言うシンクの背中には身長160cm前後の彼女が担ぐにはあまりに大きく重く見える革袋。

 けれど言葉とは裏腹に軽く背負い直すとシンクは目的地に向けて再び歩き出す。


「やっと着いた」


 それから10分程で到着したのは周りと違わず年季の入っていそうな一軒の家。

 唯一違いがあるとすれば、家の裏に高い壁に囲われた空間があることぐらいだった。

 

 シンクは片手で革袋を持つと、もう片方の手で器用に鍵を取り出して玄関の扉を開ける。

 この家がシンクの目的地であり、彼女が所有する住居だった。


「ただいまー」


 シンクの声は暗い廊下の先へ吸い込まれ、返事を連れて来る事無く消えていく。


「まだ帰ってきてないかな」


 シンクは少し気を落としつつも家の中に入り、廊下の先にある寝室へ。


「よいしょっと。ふぅー……流石に疲れたなぁ」


 革袋を慎重に降ろして2つある内の手前のベットに立て掛けると自身もベットに腰を降ろす。

 疲労感からそのまま後ろに倒れ込みたくなる体をなんとか両手で支えると、シンクは窓辺にある小さなテーブルへ顔を向ける。


「でも私が自分で選んで、リンジが応援してくれた道だからね。頑張るよ」


 テーブルの天板にはナイフが突き刺さっていた。


「さて、と。とりあえず何か食べようかな」


 シンクは反動をつけてベットから立ち上がると部屋を後にする。


 そうして静寂が訪れた部屋の中、天板に刺さるナイフに装飾された青い石が夕陽に照らされて鈍く光っていた。




 冷たい。


 肌に触れる空気。

 静寂の中で規則的に響く機械音。

 そのどっちもが冷たく感じる。


 感覚が冴えてくるのに比例し、体に繋がれた機械の感触も思い出してくる。

 けど触れている機械が冷たいだけで、他には何も感じられない。

 

 自分の体を流れる血さえ、繋がれた機械によって凍えるほどの冷血になっているんじゃないかとさえ感じるほどに。

 

 ああ、駄目だ。

 あまりこっちで意識をハッキリさせちゃいけない。

 軸足がこっちになってしまう。


 感覚を手放し、意識をゆっくりと闇の中へ沈めていく。


 その先の、熱のある方へ。



「……んぁ?」


 目を覚ますとそこは最近になって見慣れてきた寝室。

 どうやらこっちの世界に戻って来れたらしい。

 軽く手を握ったり開いたりして体の感覚を確かめる。


「すっかり夕方か……」


 眩しさに目を細めつつ窓の外を見ると、橙色の夕陽が西の山に沈もうとしていた。

 とは言っても今見えている夕陽が俺が最後に見た太陽から何周したものかは分からない。


 感覚的に1日以上経っていそうだが最近はこの消失にも慣れてきてるし、流石にそう何日も経っては無いはず。


 意識を失う前の記憶を探りつつ、軽く体を伸ばしてから天板に刺さっていた自分のライヴズナイフを引き抜く。


「えーっと、最後に倒したのはデカいミノタウロスみたいなヤツだったはずだな」


 思ったより苦戦したせいで瞬間移動リバイヴを2回も使ってなんとか討伐。

 けどその影響で無事にここまで帰って来た後、そのまま意識と肉体を失ったんだった。


 慣れてきたとはいえこんなに寝てたのは初めてウェアグリズと戦った時以来、久々だ。


 ガチャリ。

 記憶を整理していると寝室のドアを開いてパンを持ったシンクが姿を見せる。


「あ、戻って来たんだね。おはようリンジ」

「おはようさん。とは言ってももうそんなに早くはなさそうだけど」

「そうだね。もう夕方だし、それもリンジが消えてから丸1日後のね」


 シンクも眩しそうに外の夕陽を見つめる。


「やっぱり1日は経ってたか」

「前みたいに何日も帰ってこなかったどうしようって思ってたから、1日で帰ってきてくれてよかったよ」


 そう言ってパンを齧るシンク。


「また迷惑かけちゃったな」

「むっ!」


 そこで突然シンクがパンを口に詰め込んだまま俺の言葉を手で制す。


「むぐむぐ……」


 慌てて口の中のパンを咀嚼して飲み込むと少し怒ったような顔で口を開く。


「迷惑はかかってないし、いつもは私がかけてばっかりだから気にしないよ」

「ああ。ありがとう」

「でも、なるべく心配はかけないで欲しいかなって」


 シンクからすれば組んでいる相手が目の前から消えて、いつ帰って来るかも分からない状態だ。

 確かにいらないを心労をかけているのは間違いない。


「心配させて悪い。だけどもしまた同じような場面があったとしても俺はリバイヴを使うのは躊躇わない。使う必要があれば使う」

「リンジの言いたいことも分かるよ。でも思い返すとリンジが使うときはいつも私がピンチな時ばっかりな気がするんだ」


 腰に手を当てて不服そうなシンク。

 どうやらまだ納得はしてもらえてないようだ。


「それは、シンクが大切だからだ」

「──えっ」


 俺の言葉に意表を突かれたような表情になるシンク。

 何がそこまで響いたかは分からないが、どうやら会話の主導権を握れたらしい。


「シンクが思ってる以上に俺にとってシンクは大切なんだ」

「う、うんっ。……ありがとう」

  

 さっきまでの勢いが嘘のように、俺の言葉にシンクはモジモジとする。


「俺とシンク、単純な戦闘能力で比べれば強いのは間違いなくシンクだ。だから戦闘での勝率を上げる為にも基本的にはシンクを主軸に必要なリスクは俺が負うのが安定だ。分かってもらえたか?」

「……分からないし、分かりたくないし、分かってないね。……はぁ」


 びっくりするほど手応えなし。追撃に溜息までもらう始末。

 どうやら会話の主導権はもう俺の手を離れたらしい。早すぎる。何を間違えたんだ。


「まず戦略的な話ならリンジに任せてるけど、それとは別に私のリスクを無理してリンジに負ってほしく無い。それに私はリンジの作戦立案が無いとリンジが言ってるほどの力を発揮出来ないから、私が多少のリスクを負ってでもリンジを優先すべきだと思う」


 私の方が打たれ強いし、と腰に手を当てて付け加えるシンク。


 意見は平行線。


 今まで俺の作戦を信頼してくれてるからこそ了承してくれていたが、どうやら不満はあったらしい。

 そのままふくれっ面のシンクとにらめっこをしていると、シンクの頬は嘆息と共に萎む。


「……ま、結局そうは言ってもどうせリンジはやめてくれないだろうし、私も従うしかないから、そんなことが無いように強くなるしかないんだけどね」


 シンクはそう言うとベッドに立て掛けてあった革袋を持ってくる。


「そのために今日も稼いできたんだから。はいこれ」


 ズシリとした革袋の重みに思わず驚く。


「まさか中身、全部……?」

「うん。まぁ、簡単なクエストついでに弱い魔物のだけどね」


 何でも無さそうに言うシンクだが、この重みを1日で稼げる冒険者はこの町には殆どいない。


「はは、流石ハートコレクターだ」


 確かに俺なんかがリスクを負うよりシンクに任せれば大抵のことは跳ね除けてしまうかもしれない。

 そう思ってしまうほどの成果だ。

 

「あー、その呼び方あんまり気に入ってないんだからね」

「響きは可愛いと思うんだけどな」

「響きが可愛くても、理由を知ったら可愛くないでしょ」


 わざとらしくぷんぷんと怒っている。可愛い。


「さてと。折角シンクが集めて来てくれたんだし、お待ちかねのスキル習得タイムにするか」


 革袋を肩に担ぎ扉へと向かう。


「待って。それなら先にこのパン食べ終わってから」


 そう言って慌てて残りのパンを口に詰め込むシンク。

 確かに『あの後』に食べる気にはならないか。


「なら先に行ってる」


 扉を開け、裏庭へと続く裏口へと向かう。




 リンジの持つその袋の縫い目から、赤黒い液体が垂れていた。

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