第2話 莫大で無尽蔵の形なき財
「私に必要なのはね──財を成したという事実。我が最愛の妹の自由な人生のために、政略結婚も気に入らない妹婿も、何もかもを薙ぎ払えるだけの──無尽蔵の莫大な財が必要なの。 お分かり? おちびさん?」
そう言って彼女は爛々と目を輝かせる。
そして新たなダンジョンマスターはこう宣った。
「でもまだ出せるというのなら──もしかしたらできるかもね? 無尽蔵で莫大な財を生み出す”仕組み”を作ることが……。あなたの力、使わせてもらうわよ? おちびさん?」
俺は自分の口が勝手に開くのを感じながらも、閉める気力も湧かずにミリスティアを見上げていた。そして彼女は腕を組んで、片手の人差し指を立てて子供に教えるように述べる。
「あなたが出したのは形ある財。つまり使えば無くなる財でしょう? 必要なのは、財を生む財なの。それはつまり、たいていの場合は形なき財で、財を生む仕組みそのものなのよ」
「──ほう」
面白い。財の話なら好きだぞ。乗ってやらんでもない。
ここはひとつ、財というモノへの考え方でぎゃふんと言わせてやろうではないか。
「ならばそうだな、金貨が湧き出るように細工した箱でも望むのか?」
「金貨が湧き出てもそれを詰めたり運んだりしなきゃいけないし、何より形があるじゃない。話聞いてた?」
もう……──早く出て行ってくれないかな。
クソッ! ペースが乱されっぱなしだ。適当に相手をしながらワインでも飲むか。
「あーはいはい。じゃあなんだ? お前が考えるその財とやらを言ってみるといい。聞いてやる聞いてやる」
「まず、お前じゃなくてミリスティア。ちゃんと呼びなさい」
「わかったわかった。ミリスティア。で? なんだ。言ってみろ」
「ちょっと待ちなさい」
「聞いてやるから落ち着け。私はワインが飲みたいのでな」
俺はコントロールルームの端の壁をコツンと叩き、グルンと裏返してワインがずらりと並ぶ棚を呼び出す。そして足元から椅子を呼び出してそれに腰かける。
それから足を組んで、ゆったりとした動作でグラスにワインを注ぐ。
やはり良いものは心を潤してくれる。渋い味は好かないが、良い香りというのは俺にもわかる。この香りがいい物なら、味もいい物であればいいのに。常々残念に思うところだ。
「──ふぅ、それで? なんだ言ってみろ」
「私が支配者なんでしょう?」
「そうだ。アビス・ダンジョンの支配者だ」
つかつかと俺に近づいてきたミリスティアは、上から俺を覗き込んで言った。
「私を敬いなさい。上下関係は大事よ。命令するのは私。実行するのは貴方。これは仕事ではなく、支配なんでしょう? なら臣下たるあなたはそれなりの態度を取るべきじゃない?」
「臣下の態度一つで機嫌を左右される小物が支配者とは、我がアビスはこれで終わりだな?」
「────それも一理あるわね。私がどういう人間かあなたも知らないわけだし、けんか腰っていうのもよくないか」
フン、と鼻で笑って俺は言ってやる。
「どうせお前の妹も贔屓目で言っているだけだろう。人間は贔屓目ですぐに価値をコロコロ変えるし、目もすぐに曇──」
「なあに? なんて仰ったのかしら? 私、聞こえなかったの」
さっきは俺の前に立っていた顔が、睫毛の一本一本まで分かるほどすぐ目の前にある。やや暗い青の瞳が、まるで渦を巻いた深淵のように光無くそこに浮かんでいる。その昏さは──いつかどこかで見た気がする昏さだ。
「いま、お前なんて言った?」
「……お前、じゃない──ミリスティアにとっての価値を莫迦にしたのは、悪かった。今のは、私が悪かった。謝る」
「──よろしい。謝ったから許す。次は……まあ、いいか。次やった時考えるわ」
床にこぼしたワインを見て、俺はため息をつく。
パチッと指を鳴らすと、ダンジョンクリーナーたちがあっという間にワインの染みを取り去ってから床に解けるように消えていく。
「そもそも、あなたって子供でしょう。そんな小さいなりして、半ズボン履いてるのに。しかもわざとらしくワインなんか飲んで。膝小僧も格好付けも丸わかりよ」
「──私は子供ではない。お前よりはるか長い時を生きている。見た目に惑わされるとは、莫迦め」
パシッと俺の手からワイングラスをひったくったミリスティアは、俺が持っていたワイン瓶も奪い取る。
「そもそもワインが好きなら、グラスから立ち上る香りと、口に含んだ香りを楽しんで、さらに味を楽しむもの。あなた、香りは好きだけど味が好きじゃなさそうなのが丸わかりなのよ」
「……──うるさいな。私が何を飲もうと勝手ではないか」
「案外フレッシュなジュースのほうが好きなんじゃないの?」
「ジュースだーぁ? 知らんな。そんな産地は。フン、ワイン自体そもそも人間どもが持て囃す文化だから集めているだけのことだ。フレッシュだのジュースだのというワインがあるのなら私も飲んでみたいものだ」
怪訝な顔をするミリスティアは、ワイン棚に歩み寄ってぐるりと見渡した。そして数本のラベルをくるくると見て回ってから、何か思案するように腕を組んでいる。
こいつに出会ってまだ一時間も経っていないはずだが、こいつが何か考えていると無性に不安になってくるな……。
「なんだ? 何を考えている」
「ねえ、私がこのアビス・ダンジョンの支配者ということはさっきみたいに財宝を出したりできるわけ?」
「そうだ。無尽蔵ではないが、私に準ずる権限があるから物を出すくらい簡単にできる。念じて、具体的に思い浮かべればいい」
「それって、あなたが知らないもので、私が知っているものは出せるの?」
何を言っているこいつは。
このアビス・ダンジョンにものを言っていることを理解していないのか?
「お前のような小娘と私で、その条件か? 逆ならまだしも……。まあ、できる。なにせ、お前の頭の中にあるものを具現化する能力だからな」
「ふーん……」
「なにがフーンだよく聞け! 大事な概念だぞ今の──なんだこの瓶は」
「ジュースの瓶よ。うちの美の天使リュミエルが好きな白ブドウのジュース。ほら、グラス出しなさい」
黙ってグラスを差し向けると、ミリスティアが白ワインと同じ色の液体を注いでくる。見たところ変わった様子はないが……。
「毒なんか私には効かんぞ?」
「配下に毒盛って殺すバカがどこにいるのよ。飲んでみなさい」
この、香り……なんだこれは!
なんだこの、華やかで心躍る香りは。ああ、見たこともないこの果実の畑がまるで目の前に広がっているようだ。緑の葉と──
「さっさと飲め」
邪魔をするな、この──むっ!!
「甘い!! おいしい!! これ好き!!」
「ほらやっぱり。あんた子供舌なのよ。酒に酔わないけど、酒よりジュースのほうが美味しいと思うわよ絶対」
ミリスティアから瓶を奪おうと立ち上がったが、奴は瓶を高く掲げて俺に渡そうとしない。
クソッ! 小癪な!!
◇◆◇
結局、奴の言う通りにテーブルとふかふかのソファを出してやったところでようやく奴はジュースの瓶を寄越してきた。
「ふふん。いい物を手に入れた。これは素晴らしいぞ」
「ああそう。それじゃあ、私は紅茶でも飲もうかしら。うーん……こうかしら? っとぁぁ!!」
ジャバッ! と赤い湯をテーブルに零して叫んだ奴はすぐさま立ち上がってそれを避けた。すぐにこちらをちらりと見たが、俺はこんなことで笑うほど子供ではない。
パチッと指を鳴らしてダンジョンクリーナーたちに掃除をさせつつ、丁寧に解説してやる。
「想定がモノに偏りすぎている。そうだな──まだ慣れていないのなら、ありありと自分が手に取った時の感覚を思い出すようにしてみればいい」
「ああ、こうね。じゃあポットとソーサーとカップも出せるわね。うーん──それじゃあ、こうかしら? あら便利」
奴は次々に中身の入った食器と、食べ物が載った飾り付きの何かを取り出し始める。勝手知ったる風なその動きに、さっき湯をぶちまけたのがわざとだったのかと疑いたくなってくる。
「私を油断させようと失敗してみせたんじゃないだろうな?」
「はぁ? 配下が油断しようとしまいと私に害とかないでしょ。無駄。──ところで、これ食べる?」
「──……なんだ。パンか?」
「あなたマドレーヌも知らないの?」
いちいち腹が立つ奴だな!
そう思ってマドレーヌとやらを受け取った俺はそれを口に運んでみる。
「甘い! これ美味しい! いっぱいくれ!」
「あなたって、キャラクターをもっと統一したほうがいいと思うわよ。別に肩ひじ張らなくていいじゃない」
「うるさいぞ」
「そもそも、あなた自分で出せるでしょ。食べたんだから」
────そう、言われればそうだな。
「ハハハ! そうだったそうだった、ならばそこに載ってるもの全部召喚してやればいいわけだ」
そして、数秒後には俺は後悔していた。
「……人間は、このマドレーヌ以外は砂の塊のようなものを食べているのか……? ウェッ。舌がどうかしている」
「それ、味知らないから味無しのを召喚してるんじゃないの?」
俺は自分が手に取ったものと同じ菓子を奴のほうから取って口に運んだ。
「甘い! これ美味しい! なんだこれ!」
「それはバタークッキーね。なるほど。知らないもの、というか十分に想定できるほど慣れていないものは何らかの変なところがある……と考えたほうがいいのかしら。でも見た目としては精巧にできているのよねえ……」
そういって俺の所から取ったバタークッキーを齧った奴は、それを口に含んでもぐもぐとさせながら何やら分析している。
「素材は別に変ってわけでもないわね? ただ単に……マズイわ」
「こんなもの美味かろうと不味かろうとどうでもいいが、腹が立つ物言いだな」
「要するに貴方、美味しい物っていうものが分かってないんじゃない? 料理とか、お菓子とか、そういうの。あなた、ここで一人で住んでいるの?」
「当然だ。このコントロールルームは支配者の間だ。支配者以外には従僕しかいないとも」
「誰かとご飯──食事をしたりはしないの?」
目を逸らして、俺は口をへの字に曲げる。
俺はアビス・ダンジョンだぞ。混沌の幻魔たる俺が食事など──必要とするわけないだろう。下等な魔物じゃあるまいし。
「私は食事などしない」
「じゃあ排泄は?」
「……。お前」
「ミリスティア」
「ミリスティアは人間の娘だろう。そしてそこそこ人間社会では位が高い。はしたないとは思わんのか」
「あら、生き物なら排泄くらいするわよ。それで排泄はするの?」
「……うるさいな。放っておけ」
「そう。じゃあトイレに行かせないという拷問は貴方には効かないというわけね」
何を想定しているんだこいつは。というか、さりげなく拷問の想定をするとはどういう思考回路をしているんだ。
俺が怪訝な顔を向けているにも関わらず、ミリスティアはこちらを気に留める風でもなく何やらしばらく考えたのちにこう言った。
「大体わかったわ。──じゃあ、本題。形なき財とは何かを話しましょうか」
◇◆◇
テーブルに召喚された山盛りのマドレーヌとバタークッキーに手を伸ばしながら、俺は話し始めたミリスティアの言葉に耳を傾ける。
「形なき財とは、財が財を生む仕組みのこと。つまり、この魔法もその一つと言えるわ。ただし、私やあなたが価値あるものをちまちまと出して売っていたのではおそらくは追いつかないし、価値の高いモノを売り続けていればいずれ価格も下がり、需要も尽きてしまう」
そう言って言葉を切ったミリスティアは、トントンとテーブルを指で叩いた。
「需要と供給の渦に深く食い込む仕組み、これこそ私が求める財だと考えているの。需要も供給も生む仕組みがベストね」
「需要、供給。それは欲望と満足ということか?」
「そう捉えるとわかりやすいかもね。例えば私がリュミエルをいつでも見ていたいと願う。そこにリュミエルを讃える作品を描いた画家が現れる。私はそれをいくら出しても、それこそ画家をどうにかしてでも手に入れる。これが需要と供給よ」
「いま例えの部分で頭がおかしくなったな? しかし論理はわかった。いいだろう続けてみろ」
そう言いながら俺はバタークッキーに手を伸ばす。
サクサクという歯ごたえと、舌の中央から広がる甘みが心地いい。菓子とはすばらしい文化だ。
「その前に、この物を出す能力なのだけど……何を燃料として出しているの? 火は燃料を使い果たせば消え、生き物は動けば疲労し、魔法なら使えば魔力が減る。私の魔力で出すなら、なおさらさっき言ったモノを出す方法じゃすぐに手詰まりだわ」
「燃料、か」
もう一枚、バタークッキーを口に放り込んでサクサクと口の中で咀嚼し、甘さを楽しみながらも考える。
火にとっての燃料。それは幻魔族たる俺にとっては、体内に流れ出た魂の波だ。しかし、人間にそのような概念が伝わるものなのだろうか──。
「いうなれば、このダンジョンで観測する魂の揺らぎ……あるいは動いた軌跡とでも言おうか。それが我がアビス・ダンジョンに吸収されると力として溜め込まれるわけだ。私自身のものもそうだし、お前のものでもそうだ」
「魂、ねえ……」
人間は、修行を積んだものでないと魂を見ることも感じることもできないと聞く。奴に理解できるかどうかは定かではないが、一応は言い切ってしまうか。
「ただし、それは私たちが生み出した生き物のものではだめだ。私はアビス・ダンジョンそのものだが、私たちが生み出したダンジョン生物はアビス・ダンジョンの肉そのものだからな。それは差し引きゼロになってしまう。ミリスティア、ゼロの概念は知っているか?」
「バカにしてくれるわねえ。一応これでも貴族の端くれよ? 算術の心得くらいは教養に含まれているわ」
「なら話は早いな。バカでなくて助かる。フン、バカに話を通じさせるのは苦労するからな」
「それはあなたがバカに合わせて調整する能力が足りていないだけよ。相手に合わせて喋るのも能力のうちだわ。バカをバカにするバカというやつね」
……クソがッ! ああいえばこう言う奴だ。
せっかく褒めてやったというのにこれだ。まあいい、マドレーヌを口に放り込んでその甘さで心を癒すとしよう。
「ところで、今あなたを思い切りバカにしたのだけど。その心の揺らぎは一応カウントされると考えていいのかしら?」
マドレーヌを口に含んでいた俺は思わず吹き出してしまった。
こいつ、この短時間で仕組みを理解して実験していたのか!? しかも俺相手に!! なんて奴だ!!
「ああ、クソが。まあ──そうだ。そうともその通りだ」
「じゃあ──」
「待て。だが私一人を罵倒して痛めつけていたとしても、結局は魂一つ分だ。いくら私の魂が強大だとしても、揺れの大きさはそこまで大きくないからな。魂は大きければ大きいほど動きづらくなる。小さければよく動くが動いても波は小さい」
この悪魔族のような思考回路を持つ娘に向かって俺は、こいつがしたのと同じように指を立てて言う。
「ダンジョンは多くの者が訪れ、嘆き悲しみ憧れ狂うことでこそ力を得るのだ。秩序の者でも混沌の者でも、外から来たものは例外なく我が贄となりうる」
「──秩序だか混沌だかはよくわからないけど、要するに感情が大きく揺さぶられればいいってことよね?」
「それはまあ、そこそこの大きさを占めてはいるが……。実入りとしては魂で鎬を削る戦いや、生死の狭間で彷徨うことのほうが大きいのだが……」
「そんなリピート間隔が広そうなゲインを追いかけていたら、回転数が稼げないんじゃないの?」
「リピート……ゲイン? え? いや、なんだって?」
「だから、それじゃ頻繁に来れなくて困るんじゃないのってこと。死んだりしたらそいつ来なくなるじゃない」
ダンジョンを何だと思っているのだこいつは。子供の砂場ではないのだぞ。
つい、むきになった俺は椅子から腰を浮かせながら、重要なことだとわからせるように言ってやることにした。
「ダンジョンとは、畏怖され敬遠され踏み込むだけで震えるほどの混沌に満ちた闇でなければならないのだ。しかし、放っておけばそこから湧き出る魔物に蹂躙されるという危惧も与えてやらねばならない。存在を示し! 畏怖を集め! 避けて通れぬ関門たりうることこそ! ダンジョンのだな──」
「それはまあ、それらしいのだけど? 前にその方針でやっていて、ついに封印されたわけでしょ、あなた?」
俺は静かに着席した。
その一言への反論はちょっと繊細だ。だから考えてから言うことにしよう。
決して、言い負かされたわけではない。
____________つづく
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