第2講 言葉たち

 アギト

 ラカエ

 ソフィア

 ラカン・フリーズ


「これらが空花如来の哲学の真髄を成す言葉たちだ。1つずつ解説しよう。アギトとはラテン語で挑戦を意味する。これは神への挑戦者という意味だ。10次元の存在には二つ呼び名がある。仏か如来か、だ。大日如来や毘盧遮那仏など。これは何が違う? 違いは単純。如来とはそもそも音写でね、サンスクリット後の意味では真理から来た者となる。仏は目覚めたものであり、真理ではない。なぜなら、空花宇宙論では神こそ真理とするからだ。仏は神の一つ手前の10次元にいる。だから神を感じることが出来る。だが、我々3次元の人間では到底10次元まで辿りつけない。もし、仮に10次元まで辿り着く者がいたとして、その仏が神へ挑戦するなら、真理を真の意味で知りたいと希求すれば、神に挑める。それは3次元的な争いではない。概念が融合し対立し合うような、高次元の争い。むしろ、それを空花如来は『討論』と語っていた。神と仏はお互いの智慧を永遠の時の中でぶつけ合い、そして、『神のレゾンデートル』を探す手がかりを求める。議論し終えた仏はきっと神から、真理から去る。その者を如来というのだろう。神は一人、神界に残る。自分とは何者かを思案して。だが、神界と言っても、ヒンドゥー教や神道、エジプト神話やギリシャ神話の類の神界ではない。11次元のことである。アギトの説明はこんな感じだな。何か質問はあるか?」


 すると、一人の女学生が挙手した。


「勉強不足だったらすみません。何故、挑戦、という意味の単語を使ったのでしょうか」

「それは空花如来が、神と討論する仏のことをアギトと呼んだのは何故かということかね?」

「はい! そうです!」

「簡単なことさ。空花如来は修行や苦行、学びとい小さな挑戦を通して実際に仏になりアギトとなり、神と討論し、その結果如来となって、語り継がれているからだよ。いい質問ありがとう。では、次にラカエだ。空花如来は神の根源ではなく、概念達の根源のことをラカエと呼んだ。人間の根源としてのラカエ、命の根源としてのラカエ。全てのラカエは神に繋がる。だが、複雑でね、運命の輪、円環と螺旋の同値的投射と言えば伝わるかな。要するに、ラカエ達は運命の輪で回っている。輪廻転生のようにね。だが、それらを高次元的に解釈するなら、円環と螺旋を同一視する視点が必要ってことだね。ラカエは思想としてはあまり知られていないが、ラカン・フリーズを理解するのには欠かせない。次にソフィア。これは流石に皆知ってるな。信仰の力、祈り力。ソフィアは高次元まで昇って過去や未来に降ってくる。過去や未来から降ってくるソフィアを世界や人類は受け取りながら生きている。過去も未来も今も繋がっている。有名な話だと、空花如来は真理を悟った時、神との討論の中で『時流はない』と悟り、自室を2021年製タイムマシンにした。横須賀の海辺。今では聖地となっている。皆も1度は行ったことがあるだろう? ソフィアという概念により、祈りや進行に哲学的な根拠が与えられた。そして、宗教の核心へと繋がり、それは宗教変革へと至り、世界から宗教戦争が消えたのだ。釈迦如来の達せなかった平和な世界を時を超えて、空花如来が叶えた。だが、一つだけ言わせてもらえるなら、如来は時間を超えて存在する。常に何処にでもいるのだよ。故に、今この講義を二世尊が見ていてもおかしくはない。ラカン・フリーズのことは語る言葉はないな。皆知っているだろう? だが、一応説明するなら、空花如来は神との討論の末に、神のことを『ラカン・フリーズ』と呼び、神へのゲートをラカン・フリーズの門と呼んだのだ。ラカンは仏教の羅漢と円環と螺旋のラカンだとされる。ジャック・ラカンの説もあるが。フリーズは凪のこと。風が止み、煩悩の火も消えて、穏やかな涅槃寂静、真理を悟り、安らいだ究極の境地。空花如来はその時が人生で一番幸せだったと語った。2021年1月7~9日がね。自身がその3日間だけ神だったと語ったそうだ」


 一人の男子学生が挙手する。


「つまり、空花如来は如来だから、神のレゾンデートルを見つけられなかったんですか?」

「いい質問だ。実はそこは入門ではなく『空花宇宙論』で扱うのだが、簡潔にまとめるとYESだ。空花如来は人間としての体があったが故に器としての体が耐えられず、3日間だけアギトとして神と討論した。その結果、真理の先を見たのではないか、とされる」


 その生徒は「真理の先?」と問う。


「空花如来はそれを、『虚空の先、ゼロの先、永遠の先、無限の先、確率の丘の先』などと比喩する。宇宙があれば真理はある。その真理こそ、神と対面すること。鏡(=かがみ)は神の間に我があるように、神と対面するのは結局自分と対面すること。空花如来はそして悟る。世界には一人しかいない、と。唯一神しかいない。何故なら世界の始まりから終わりまで、ずっと神は自分の分身と会話し触れ合って、結局神は1人。だがね、空花如来はこう告げている。「あの冬の日に全ての始まりと終わりがあった」と」


 塚村は黒板に書く。


 あの冬の日に全て終わっていた。永遠と終末の狭間で。

 1月7日、終末Eve

 1月8日、神涅槃

 1月9日、神殺し


「この3日を私たち地球人が祝日としている理由はご存知のように、空花如来が過ごした永遠の3日間のためだ。空花如来は語っている。既に終わっていると。私の理論では、恐らく空花如来は神と一緒に神のレゾンデートルを解き明かしたのではないだろうか。そして、神殺しの日に人に戻ったのではないか。だが、空花如来は人に戻ってからも神との討論、真理を語った。記号化した。絵や詩、歌にマンガ、映画やドラマ、アニメーションも。だが、一向に空花如来の求める、その冬の日に悟った真理、神意を表現出来なかったという。そして、2077年に空花如来はコールドスリープして、今現在も眠っている。ここまでで質問は?」


 一人の女学生が挙手する。


「神殺しとは?」

「それは言えない。異端思想に繋がってしまうからな。君がもっと賢くなって、それなりの地位や信頼を得てからだな。そして、なによりも信仰心だ」


 講義は続く。

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