第18話 『勇者の優しさ、たぶん私のことじゃない』
朝の空気は、いつもより冷たかった。
昨日までのざわめきが嘘みたいに、ギルドの玄関は静かだった。
(……あれ?
誰も私のこと見てこない……?)
視線が少ないのは、普通なら安心材料だ。
だけど今日は、逆に落ち着かない。
(昨日の“つまずき”を、まだ引きずってるだけ……?
期待して……恥ずかしくなって……それがまだ胸に残ってる……)
皿洗い場へ向かおうとして、受付嬢に呼び止められた。
「ゆめちゃん、今日も勇者様の補佐お願いね」
「……はい」
「皿洗いはこっちでやるわ。ほら、勇者様に見てもらった方が、ギルドとしても“助かる”から」
(“助かる”って……
私じゃなくて、“勇者の補佐官っぽいから”でしょ……)
胸の奥が、じわっと重くなる。
◆
練習場に向かうと、勇者はすでに剣を振っていた。
その動きは軽くて、昨日より調子が良さそうだった。
「おはよう、ゆめ」
「あ……おはようございます」
勇者は何気なく笑った。
「昨日の記録、役に立ったぞ。
ああいうまとめ、他の新人にも見せたいくらいだ」
「ほ、本当ですか……?」
「うん。助かるよ」
(……また……
“助かるよ”って言われた……
昨日、あんなに落ちたのに……
まだ心が反応する……)
でも勇者は続けた。
「って言っても、ゆめだけに言ってるわけじゃないんだけどな。
俺、こういう仕事仲間にはいつも同じ言い方してるから」
(…………あ)
心臓が、少しだけ縮んだ。
(あぁ……
そうだよね……
私だけ“特別に褒められてる”とか……
勝手に思ってた方がおかしいんだ……)
勇者は気付かず、さらっと言う。
「誰がやってくれても感謝はするし、
俺は“平等に”接する方が楽なんだ」
その言葉は、
優しいはずなのに――
私には遠く聞こえた。
(……平等……
皆に優しいって……
なんでそれだけで、こんなに胸が痛いんだろ)
◆
作業の休憩中、魔術師が近づいてくる。
「今日のゆめ、なんか顔色悪いわよ?」
「えっと……寝不足で……」
「ああ、昨日の騒ぎのせいで?
勇者様の補佐官って、本当に大変ね」
「い、いや……その……」
「補佐官は“責任”が重いもの。
皿洗いとは違うプレッシャーがあるわよね」
(皿洗い時代に……そんなに責任感じたことなかったけど……
補佐官って……そんなに大げさに言われるようなもの……?)
◆
その後、重戦士も声をかけてきた。
「ゆめ、昨日より動き鈍いな。
大丈夫か?」
「……大丈夫、です」
「まぁ、勇者の横で仕事するってだけで疲れるのは分かる。
あいつ、存在が明るいからな」
(そう……
勇者の明るさが……
最近、ちょっと眩しすぎる……)
◆
弓使いの声も聞こえた。
「今日のゆめちゃん、なんか静かじゃない?
勇者様になんか言われた?」
「別にー。ただの仕事仲間ってだけでしょ?」
「そうそう。あの人、誰にでも優しいしね」
弓使いの何気ない言葉が、胸に刺さる。
(……誰にでも……
誰にでも、か……)
体の中心がすうっと冷えていく感じがした。
◆
僧侶が横に座ってきたのは、そのすぐ後だった。
「ゆめちゃん、今日……声、震えてる」
「え……そ、そうですか?」
「うん。
昨日より……心が静かすぎる」
「……静か……?」
「うまく言えないけど……
“安心してる静けさ”じゃなくて、
“何かを閉じてる静けさ”みたいに感じるの」
僧侶は私の手を軽く握った。
「ゆめちゃん……何か背負ってない?」
「……背負ってる、って言うか……
勝手に……自分で……」
自分でも何を言ってるのか分からず、言葉が消えた。
僧侶はただ、優しく、
「……ちゃんと話したくなる時が来たら、聞くからね」
と言ってくれた。
(……話せるわけ……ないじゃん……
“期待して恥ずかしくなった”なんて……
言えるわけ……ない……)
◆ 夜
ベッドに横になっても、胸が妙にざわつく。
(勇者の優しさ……
普通に接しただけ、なんだよね……
他の人と同じで……
特別じゃなくて……
なのに、なんで私は……)
何度も何度も思考が同じところを回る。
(期待してない……
してないつもり……
なのに……
胸だけが、勝手に……)
ぎゅうっと胸がしめつけられる。
(……痛い……
これ……期待じゃない……
ただの……自己嫌悪だ……)
目を閉じると、
心の中の音がまた小さくなる。
静けさが、ゆっくり広がっていく。
(……なんか、今日……
少し息、浅い……)
気づいた時には、
呼吸がうまく入ってこなかった。
(……壊れたくないのに……
壊れるのって……こんな静かに……?)
ゆめの胸の奥にまたひとつ――
音のしない穴が落ちていった。
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