第18話 『勇者の優しさ、たぶん私のことじゃない』

 朝の空気は、いつもより冷たかった。

 昨日までのざわめきが嘘みたいに、ギルドの玄関は静かだった。


(……あれ?

 誰も私のこと見てこない……?)


 視線が少ないのは、普通なら安心材料だ。

 だけど今日は、逆に落ち着かない。


(昨日の“つまずき”を、まだ引きずってるだけ……?

 期待して……恥ずかしくなって……それがまだ胸に残ってる……)


 皿洗い場へ向かおうとして、受付嬢に呼び止められた。


「ゆめちゃん、今日も勇者様の補佐お願いね」


「……はい」


「皿洗いはこっちでやるわ。ほら、勇者様に見てもらった方が、ギルドとしても“助かる”から」


(“助かる”って……

 私じゃなくて、“勇者の補佐官っぽいから”でしょ……)


 胸の奥が、じわっと重くなる。


 



 練習場に向かうと、勇者はすでに剣を振っていた。

 その動きは軽くて、昨日より調子が良さそうだった。


「おはよう、ゆめ」


「あ……おはようございます」


 勇者は何気なく笑った。


「昨日の記録、役に立ったぞ。

 ああいうまとめ、他の新人にも見せたいくらいだ」


「ほ、本当ですか……?」


「うん。助かるよ」


(……また……

 “助かるよ”って言われた……

 昨日、あんなに落ちたのに……

 まだ心が反応する……)


 でも勇者は続けた。


「って言っても、ゆめだけに言ってるわけじゃないんだけどな。

 俺、こういう仕事仲間にはいつも同じ言い方してるから」


(…………あ)


 心臓が、少しだけ縮んだ。


(あぁ……

 そうだよね……

 私だけ“特別に褒められてる”とか……

 勝手に思ってた方がおかしいんだ……)


 勇者は気付かず、さらっと言う。


「誰がやってくれても感謝はするし、

 俺は“平等に”接する方が楽なんだ」


 その言葉は、

 優しいはずなのに――

 私には遠く聞こえた。


(……平等……

 皆に優しいって……

 なんでそれだけで、こんなに胸が痛いんだろ)


 



 作業の休憩中、魔術師が近づいてくる。


「今日のゆめ、なんか顔色悪いわよ?」


「えっと……寝不足で……」


「ああ、昨日の騒ぎのせいで?

 勇者様の補佐官って、本当に大変ね」


「い、いや……その……」


「補佐官は“責任”が重いもの。

 皿洗いとは違うプレッシャーがあるわよね」


(皿洗い時代に……そんなに責任感じたことなかったけど……

 補佐官って……そんなに大げさに言われるようなもの……?)


 



 その後、重戦士も声をかけてきた。


「ゆめ、昨日より動き鈍いな。

 大丈夫か?」


「……大丈夫、です」


「まぁ、勇者の横で仕事するってだけで疲れるのは分かる。

 あいつ、存在が明るいからな」


(そう……

 勇者の明るさが……

 最近、ちょっと眩しすぎる……)


 



 弓使いの声も聞こえた。


「今日のゆめちゃん、なんか静かじゃない?

 勇者様になんか言われた?」


「別にー。ただの仕事仲間ってだけでしょ?」


「そうそう。あの人、誰にでも優しいしね」


 弓使いの何気ない言葉が、胸に刺さる。


(……誰にでも……

 誰にでも、か……)


 体の中心がすうっと冷えていく感じがした。


 



 僧侶が横に座ってきたのは、そのすぐ後だった。


「ゆめちゃん、今日……声、震えてる」


「え……そ、そうですか?」


「うん。

 昨日より……心が静かすぎる」


「……静か……?」


「うまく言えないけど……

 “安心してる静けさ”じゃなくて、

 “何かを閉じてる静けさ”みたいに感じるの」


 僧侶は私の手を軽く握った。


「ゆめちゃん……何か背負ってない?」


「……背負ってる、って言うか……

 勝手に……自分で……」


 自分でも何を言ってるのか分からず、言葉が消えた。


僧侶はただ、優しく、


「……ちゃんと話したくなる時が来たら、聞くからね」


 と言ってくれた。


(……話せるわけ……ないじゃん……

 “期待して恥ずかしくなった”なんて……

 言えるわけ……ない……)


 


◆ 夜


 ベッドに横になっても、胸が妙にざわつく。


(勇者の優しさ……

 普通に接しただけ、なんだよね……

 他の人と同じで……

 特別じゃなくて……

 なのに、なんで私は……)


 何度も何度も思考が同じところを回る。


(期待してない……

 してないつもり……

 なのに……

 胸だけが、勝手に……)


 ぎゅうっと胸がしめつけられる。


(……痛い……

 これ……期待じゃない……

 ただの……自己嫌悪だ……)


 目を閉じると、

 心の中の音がまた小さくなる。


 静けさが、ゆっくり広がっていく。


(……なんか、今日……

 少し息、浅い……)


 気づいた時には、

 呼吸がうまく入ってこなかった。


(……壊れたくないのに……

 壊れるのって……こんな静かに……?)


 ゆめの胸の奥にまたひとつ――

 音のしない穴が落ちていった。

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