第17話 『期待してないはずなのに、心がつまずいた』

 その日のギルドは、いつもより静かだった。

 朝のざわざわも控えめで、昨日みたいな“英雄”“参謀”“婚約”の大騒ぎもない。


(……あれ?

 今日、なんか空気……薄い?)


 皿洗い場に向かおうとしたところで、受付嬢が声をかけてきた。


「ゆめちゃん、今日は勇者様の補佐、お願いできる?」


「え、わ、私……ですか?」


「昨日の記録、評判よかったのよ。

 魔物の癖をまとめたの、他の新人にも見せたいって声があってね」


(評判……よかった……?

 私の……?)


 胸の奥が少しだけ、あたたかくなる。


 ――でも。


「皿洗いはこっちでやっておくから。

 補佐の子は前に行かせた方が、ギルドの見栄えがいいのよ」


(……見栄え?

 あ、そっか。

 私の仕事が褒められたんじゃなくて、

 “勇者の補佐官っぽく見えるから”……か)


 その温度が一瞬で冷える。


 



 勇者は広場の練習スペースにいた。

 木剣を軽く振りながら、こちらに気づく。


「おはよう、ゆめ」


「おはようございます……」


「昨日のメモ、助かった。

 弓使いの癖も参考にしたいから、もう少し細かく書いてもらっていいか?」


「も、もちろんです!」


(……嬉……しい……

 嬉しいんだけど……

 昨日の“期待して恥ずかしくなった感じ”がまだ残ってる……

 どう反応していいか分からない……)


 勇者は何気なく続けた。


「そういえば昨日の騒ぎ、すごかったな。

 ゆめのこと、色んな呼び方されてたろ?」


「え……あ……その……」


「昔から“噂”ってああいうもんだぞ。

 実力と関係ない名前が先に広まるんだ」


 笑うでもなく、馬鹿にするでもなく。

 ただ、淡々と。


(……あぁ、この人は……慣れてるんだ)


 勇者は剣を振りながら言う。


「俺なんか、“魔王の落とし子”って言われてたこともあるしな」


「えっ……?」


「ただの勘違いだよ。強いってだけで言われるんだ」


 その軽さに、少し救われた気がした。


(……そうか。

 私にだけ何か特別なことが起きてるんじゃなくて……

 “噂”が勝手に走ってるだけなんだ……)


 



 勇者が街の巡回に出たあと、

 私はギルドの端で記録をまとめていた。


 すると――聞こえてきた。


「補佐官って大変ね。

 ゆめちゃん、勇者様の後ろばっかり歩いてない?」


「まぁ“立場”は上がってるしね。

 皿洗いと違って」


「でも実力は……ねぇ?」


(……まただ……

 噂って……本当に形がないのに刺さる……)


 心の奥が、ひゅっと縮む。


(私、頑張ってるのに。

 ちゃんとメモ書いて、分析して……

 でもそういうのより、よく分からない“役割”の方が強いんだ……)


 



 午後、僧侶がそっと横に座ってきた。


「ゆめちゃん、今日……少し息、浅くない?」


「え……そ、そうですか?」


「声も……いつもより小さく聞こえるの。

 無理して笑ってない?」


「……だ、大丈夫です。本当に」


 笑ったつもりだったけど、

 頬がうまく上がらなかった。


 僧侶は優しくはにかむ。


「……ゆめちゃんってね、

 “期待しない”って言いながら、

 ちゃんと人の言葉を聞いちゃうタイプなのよ」


「っ……」


「誰かが認めてくれたら嬉しいし、

 誰かが否定したらしんどい。

 本当は……すごく、心が忙しい子」


(……なんで……そんなこと……

 私、自分でも気づいてないのに……)


「だからね。

 苦しかったら言ってね。

 ――私たちは仲間なんだから」


 “仲間”。


 その言葉が胸に深く沈んだ。


(仲間……

 そんなの……今まで言われたこと、なかった……)


 



 夜になり、勇者が帰ってきた。


「ゆめ、今日の巡回記録まとめたぞ」


「おつかれ……さまです」


「あれ、声疲れてる?

 今日は無理しなくていいぞ」


「……はい……」


(“無理しなくていい”って……

 どうして、この人は……

 簡単にそんな優しい言葉を……)


 少し沈んだ胸が、わずかに跳ねる。

 その跳ね方が、怖かった。


(やばい……

 期待しないって……

 決めたのに……

 また……)


 勇者が依頼書の束を渡す。


「そうだ、ゆめ。

 これ、明日の確認頼めるか?」


「え……?」


 束の一番上の紙には、こう書いてあった。


――【黒髪の少女を狙った連続襲撃事件】情報提供求む――


「……っ」


 手が、震えた。


「この街じゃなくて、隣の街の話だ。

 でも……なんか気になってな。

 お前、一応気をつけておけよ」


(黒髪……少女……

 私……?

 なんで……)


 勇者が続ける。


「ただの噂かもしれないけどさ。

 俺、勘だけは当たるんだよ」


 そう言って笑う。


(……また……期待……した。

 優しさに……すぐ引っ張られる。

 期待しないって……何度も何度も決めたのに……

 また……)


 胸が、ぎゅっと痛んだ。


 そして――その痛みを押しつぶすように、

 静けさが落ちてきた。


(……もう……どうでもいいや……)


 それは、

 昨日までの“落ちる感覚”とは違っていた。


 もっと、

 深くて、

 動きようのない静けさ。


……胸の奥に、昨日よりも深い静けさが落ちた。

それはまだ“終わり”じゃない。

ただ、確かに何かが沈んでいく音だけがした。

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