第17話 『期待してないはずなのに、心がつまずいた』
その日のギルドは、いつもより静かだった。
朝のざわざわも控えめで、昨日みたいな“英雄”“参謀”“婚約”の大騒ぎもない。
(……あれ?
今日、なんか空気……薄い?)
皿洗い場に向かおうとしたところで、受付嬢が声をかけてきた。
「ゆめちゃん、今日は勇者様の補佐、お願いできる?」
「え、わ、私……ですか?」
「昨日の記録、評判よかったのよ。
魔物の癖をまとめたの、他の新人にも見せたいって声があってね」
(評判……よかった……?
私の……?)
胸の奥が少しだけ、あたたかくなる。
――でも。
「皿洗いはこっちでやっておくから。
補佐の子は前に行かせた方が、ギルドの見栄えがいいのよ」
(……見栄え?
あ、そっか。
私の仕事が褒められたんじゃなくて、
“勇者の補佐官っぽく見えるから”……か)
その温度が一瞬で冷える。
◆
勇者は広場の練習スペースにいた。
木剣を軽く振りながら、こちらに気づく。
「おはよう、ゆめ」
「おはようございます……」
「昨日のメモ、助かった。
弓使いの癖も参考にしたいから、もう少し細かく書いてもらっていいか?」
「も、もちろんです!」
(……嬉……しい……
嬉しいんだけど……
昨日の“期待して恥ずかしくなった感じ”がまだ残ってる……
どう反応していいか分からない……)
勇者は何気なく続けた。
「そういえば昨日の騒ぎ、すごかったな。
ゆめのこと、色んな呼び方されてたろ?」
「え……あ……その……」
「昔から“噂”ってああいうもんだぞ。
実力と関係ない名前が先に広まるんだ」
笑うでもなく、馬鹿にするでもなく。
ただ、淡々と。
(……あぁ、この人は……慣れてるんだ)
勇者は剣を振りながら言う。
「俺なんか、“魔王の落とし子”って言われてたこともあるしな」
「えっ……?」
「ただの勘違いだよ。強いってだけで言われるんだ」
その軽さに、少し救われた気がした。
(……そうか。
私にだけ何か特別なことが起きてるんじゃなくて……
“噂”が勝手に走ってるだけなんだ……)
◆
勇者が街の巡回に出たあと、
私はギルドの端で記録をまとめていた。
すると――聞こえてきた。
「補佐官って大変ね。
ゆめちゃん、勇者様の後ろばっかり歩いてない?」
「まぁ“立場”は上がってるしね。
皿洗いと違って」
「でも実力は……ねぇ?」
(……まただ……
噂って……本当に形がないのに刺さる……)
心の奥が、ひゅっと縮む。
(私、頑張ってるのに。
ちゃんとメモ書いて、分析して……
でもそういうのより、よく分からない“役割”の方が強いんだ……)
◆
午後、僧侶がそっと横に座ってきた。
「ゆめちゃん、今日……少し息、浅くない?」
「え……そ、そうですか?」
「声も……いつもより小さく聞こえるの。
無理して笑ってない?」
「……だ、大丈夫です。本当に」
笑ったつもりだったけど、
頬がうまく上がらなかった。
僧侶は優しくはにかむ。
「……ゆめちゃんってね、
“期待しない”って言いながら、
ちゃんと人の言葉を聞いちゃうタイプなのよ」
「っ……」
「誰かが認めてくれたら嬉しいし、
誰かが否定したらしんどい。
本当は……すごく、心が忙しい子」
(……なんで……そんなこと……
私、自分でも気づいてないのに……)
「だからね。
苦しかったら言ってね。
――私たちは仲間なんだから」
“仲間”。
その言葉が胸に深く沈んだ。
(仲間……
そんなの……今まで言われたこと、なかった……)
◆
夜になり、勇者が帰ってきた。
「ゆめ、今日の巡回記録まとめたぞ」
「おつかれ……さまです」
「あれ、声疲れてる?
今日は無理しなくていいぞ」
「……はい……」
(“無理しなくていい”って……
どうして、この人は……
簡単にそんな優しい言葉を……)
少し沈んだ胸が、わずかに跳ねる。
その跳ね方が、怖かった。
(やばい……
期待しないって……
決めたのに……
また……)
勇者が依頼書の束を渡す。
「そうだ、ゆめ。
これ、明日の確認頼めるか?」
「え……?」
束の一番上の紙には、こう書いてあった。
――【黒髪の少女を狙った連続襲撃事件】情報提供求む――
「……っ」
手が、震えた。
「この街じゃなくて、隣の街の話だ。
でも……なんか気になってな。
お前、一応気をつけておけよ」
(黒髪……少女……
私……?
なんで……)
勇者が続ける。
「ただの噂かもしれないけどさ。
俺、勘だけは当たるんだよ」
そう言って笑う。
(……また……期待……した。
優しさに……すぐ引っ張られる。
期待しないって……何度も何度も決めたのに……
また……)
胸が、ぎゅっと痛んだ。
そして――その痛みを押しつぶすように、
静けさが落ちてきた。
(……もう……どうでもいいや……)
それは、
昨日までの“落ちる感覚”とは違っていた。
もっと、
深くて、
動きようのない静けさ。
……胸の奥に、昨日よりも深い静けさが落ちた。
それはまだ“終わり”じゃない。
ただ、確かに何かが沈んでいく音だけがした。
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