第1話 新たな旅たちに向けて

 「おーい、ソラ! そこの部品取ってくれ!」


 倉庫の天井まで響くような、野太い声。

 空を翔け、島と島を結ぶ唯一の移動手段――それが「空船」。

 名前こそ船だが、姿形はどちらかと言えば飛行機に近い。


 世界は二つに分かれている。

人々が暮らす〈上界〉と、波雲に広がる落雷の渦巻く〈下界〉。

上界には空島が点在し、海島は水源として機能する――僕たちは、危うい空の上で生きているのだ。


 雲海を滑り抜ける姿から、人々はそれを「空船」と呼んだ。


 「はーい! じゃあ部品投げるよー!」

 「おい!? 待て、それは――」


 僕はコックピットから身を乗り出し、船底で作業している男に向かって指定の部品を思い切り放った。


 部品は綺麗な放物線を描き――男の頭にクリーンヒットする。


 「いってぇ! だから慎重に扱えって言ったろ! …頭が割れるかと思ったぞ」


 受け取れたようで何よりである。

 声の主はギル。全身作業着、ススまみれの体、身長は二メートル近い大男だ。


 母を失ったあの日から少しして、一隻の空船が村へ辿り着いた。

 嵐によって機体は大破寸前――命からがら飛び込んできたらしい。


 ギル一家は「商船」を生業にしつつ「トレジャーハンター」も兼業している。

 塞ぎ込んでいた僕を見かねた村長は彼らと引き合わせてくれた。

 幸い、母が使っていた空船用の倉庫もあったため、次の航海の準備が整うまで彼らは僕の家で暮らすことになった。


 今は翼の装甲の交換と補強、そして最後の調整の真っ最中。

 これが終われば――一家は再び旅立つ。


 「よし、ソラ。そろそろ飯にしようか」

 「おっけー! 今日の晩飯は?」

 「肉だな! 今日くらいはガッツリいこうぜ」

 「賛成。たまにはいいよね」


 共に過ごす日々の中で、僕は少しずつ笑顔を取り戻していた。

 ――彼らには心底感謝している。

 だが同時に、近づく別れをひしひしと感じていた。


 「そろそろリーゼとシオンが買い出しから戻る頃だな」


 ギルが言い終えると同時に、倉庫の扉が開き二人の女性が入ってきた。


 長身でしなやかな肢体、強く引き締まった体――ギルの妻リーゼだ。その隣にちょこん並ぶのは、娘のシオンである。


 「……何か言いたそうね?」

 「いや? 何でも……」

 「言いなさいよ💢」


 ギルにも劣らない長身のリーゼの横に並ぶ――小柄すぎるシオン。おそらくリーゼの半分もいかないかもしれない。


 言い過ぎかもしれないがなぜこの夫婦からこれほど小さい子が生まれたのか、僕は今も深く疑問である。


 謎だ。本当に謎だ。


 「リーゼ、今日の夕飯は?」

 「今日は肉が安かったのよ。明日には出発だから、今夜はパーッといこうじゃない」


 袋の中には大量の保存食と今夜の食材。

 ギルは目を輝かせる。


 「ってことは酒も!?」

 「パパ、そんな訳ないでしょ。さすがにそこまでの贅沢はできないよ」

 「くぅ・・・」


 シオンのため息を横に、ビールジョッキを掲げるジェスチャーは虚しく空を切る。


 リーゼは空船を見上げ、仕上がりを確認する。


 「いいわね。翼も綺麗に補強されてる。これなら大きい嵐でも大丈夫。今年は去年みたいなのも来ないでしょうし」

 「パパ、ママ。明日は快晴よ。空気も澄んでるから絶好の飛行日和ね! ハンドルの調子も最高よ!」


 コックピットに座るシオンが胸を張る。

 彼女は気象読みに長け、航路設定と操縦を担う重要な存在だ。

 明日出ると決めたのも彼女の判断。


 シオンはハンドルをいじりながら満足げに頷いている。彼女の身長に合わせた調整である。気づいてるかはともかく、しっくりきたのはきっとそのおかげだろう。


 ただそれをいうと鉄拳が飛んできそうなので他言無用である。命が惜しいなら他言無用である。


 リーゼは船体の管理がメインで、船に積んである装備の調整、武装である機銃の操作も彼女の仕事だ。機械に強く、銃をこよなく愛するやや危ない女性である。


 ちなみにギルは――雑用とその他の戦闘担当である。まあ見た目通りと言えば、見た目通りである。

 

 ➖➖自宅➖➖


 「さぁ、できたわよ! 特製の野菜スープ、召し上がれ」

 「おっし! こっちも完成だ。骨付き肉の炙り焼きだ!」

 

 テーブルの上には、リーゼとギルの豪快であたたかな料理がぎっしりと並んだ。

 白い湯気を立てる野菜スープからは香味が立ちのぼり、柔らかく煮込まれた具材がとろりと溶ける。

 対照的に骨付き肉の炙り焼きは香ばしく、表面の脂が音を立てながら滴り落ち、濃厚なスパイスの匂いが鼻をくすぐった。珍しい香辛料まで使っているあたり、本気で祝宴だ。


 「ん〜やっぱりママのスープ最高ね。体の芯まで温まるわ」


 すでにシオンは二杯目に突入している。


 「ソラ、どうだ? 俺の骨付き肉は」

 「美味しいよ。スパイスが効いてて、いかにも男の料理って感じ」

 「ワッハッハ! そいつは嬉しいな。俺たちがここで飯食うのも今夜が最後だ。しっかり味わっとけよ!」


 ギルは僕の背中を豪快に叩きながら、両手サイズの肉を片手で持ち上げ豪快にかぶりつく。


 ――あぁ、あたたかい。


 料理の温度も、家族の笑い声も、僕を包み込んでくれる。

 なのに胸の奥には、じんわり大きな穴が空いていた。

 明日、彼らは旅立つ。それは分かっていたのに。


 覚悟はしたはずだった。笑って送り出せると思っていた。

 それでも、気づけば涙が頬を伝っていた。


 「お、おいおい!? そんなに俺の料理が美味かったか? 参ったな!」

 「そうじゃないわよギル。ソラの気持ちをちゃんと見なさい」

 「あ、あぁ……悪い。そういうつもりじゃなかったんだ。許してくれ」


 リーゼはギルを制して僕の前に膝をつき、目線を合わせる。


 「ソラ。悩んだけどね、ギルと村長と話し合ったの。

 もしあなたさえ良ければ、私たちと一緒に来ない?」


 ――言葉が出なかった。


 あの嵐の夜から一年。僕は孤独と喪失で世界が色を失ったように感じていた。

 味も、音も、温度も消えた世界。

 そんな僕を、彼らは息子のように受け入れてくれた。

 ――その気持ちは痛いほど嬉しかった。


 「……ありがとう」


 袖で頬を拭いながらそう言い、そして――僕は首を振った。


 「すごく嬉しい。でも、僕は行けない。母さんが帰ってくるかもしれないから。その時は僕が迎えてあげたいんだ。だから……ごめん」


 「いいのよ。困らせちゃったわね。こちらこそごめんね」

 「血の繋がりがなくても、お前は息子だ。いつでも帰ってこい。…寂しくなるが、頑張れよ」


 二人がそっと抱きしめてくれる。

 腕の重みと、体温。優しさが痛いほど沁みた。


 「料理、冷めちゃうよ。ほら、一緒に食べよ!」


 珍しく気を使うような声でシオンが言う。

 強がっているのが分かる。目元には、小さな涙。


「泣いてる?」

「な、泣いてないし!? 全然!」

「ありがとう、シオン」

「ふん……たまには遊びに行くからお茶くらい出しなさい」


 ――素直じゃない所が、彼女らしい。


 少ししんみりしたが、その後も笑いながら食事を続けた。

 ちなみに、全体の五割はギルの胃袋に消えた。


 夜も更け、風は冷たさを増す。

 自室のベッドに横たわり、天井の染みを数えるように目を閉じた。

 ふと視界の端――パズルが目に入る。母の形見。


 欠けたピースが一つ。

 わざとか、失くしたのかは分からない。

 ただその絵だけは、今も鮮明に覚えている。


 ――陸、海、空がひとつの景色に並ぶ世界。


 シオン曰く、それはあり得ない。

 陸地=空島、海=海島。

 二つが同時に存在することはない。まして三つすべてが調和した景色など。


 母が残した未完成のパズル。

 それは、僕がまだ知らない世界なのだろうか。


 ➖➖ 空船・倉庫内 ➖➖


 翌朝に向け、ギル一家は最終点検に追われていた。

 燃料・食料・水・工具・予備武装――必要な物資は山ほどある。

 シオンのおやつは最優先で積まれていった。


 銃弾の補充と動作点検も欠かせない。空賊対策だ。

 リーゼは弾箱を抱えて船に乗り込み、ギルは剣とアックスの刃を研ぐ。

 子どもの身長ほどある武器は傷だらけだが、それが信頼の証でもあった。


 シオンは計器を細かく調整し、航路を確認していく。


 「湿度良し、風向き良し……空気は少し乾燥気味ね」


 ひと通り終えると外へ出た。夜気は澄み、星々が漆黒を埋め尽くしている。

 まるで旅立ちを祝うような光。

 

 「ソラ……ほんとに来ないのかな」


 シオンは小さくつぶやく。その声には、期待と寂しさ、そして少しの後悔が滲んでいた。

 この一年、ソラと共に過ごした時間は、シオンを含め一家にとって何にも代えがたい宝物だった。流浪の旅を続けてきた彼らが、同じ場所に一年も腰を落ち着けることなど、これまで一度たりともなかったのだ。


 しかし、初めて出会った日のソラは、まさに影そのものだった。目は虚ろで、言葉も行動もなく、ただ生きているだけの「生命体」のようだった。あのときの姿は、今でも鮮明に思い出せる。


 そんなソラが、ある日かすれるような声でこぼした一言――

 「一緒に生きて欲しかった」

 その言葉に込められた重さを、どれほどの者が受け止められるだろう。


 ソラにとって、母が嵐の中へ向かった行為は自分を置き去りにした裏切りに近かった。

 資源は尽きかけていたが、嵐が止む可能性はまだあった。危険を承知で出るよりも、ただ傍にいてほしかった。


 そして何より、引き止められなかった自分自身をソラは許せなかった。

 母は帰ってくると信じていた。嵐など笑って返すような人だったから。

 だからこそ、もしあの時必死で止めていれば――そんな後悔が、少年の心を何度も締めつけた。


 もし自分も一瞬で両親を失ったのなら、ソラのように壊れていたかもしれない。

 だからシオンには、彼が抱えた痛みがわかる気がした。

 だからこそ軽々しく「わかる」なんて言えないし、まして「気にするな」などと言えるはずもなかった。


 それでも――ギルとリーゼは諦めなかった。

 リーゼはただ寄り添い続け、ギルは明るさで語りかけ続けた。

 方法は正反対でも、その想いは同じだった。

 やがてソラの瞳に、再び光が戻り始めた。村長もそれを誰より喜んでいた。


 ソラは少しずつ笑うようになり、人と目を合わせるようになった。シオンにとってもそれは、初めて「家族以外の誰か」と繋がる特別な時間だった。


 ――しかしその幸せとも、明日で別れだ。


 一家の胸には、共有した一年が走馬灯のように流れていた。

 暖かく、切ない記憶。

 きっと忘れない。たとえ旅の果てに何が待とうとも。


 気持ちを整理したシオンがきびすを返し倉庫に戻ろうとする。――次の瞬間、シオンは眉をひそめた。


 空気が違う。


 鼻ではなく、肌で感じる異変。

 言葉にできない違和感。

 胸の奥にざらりと張り付く警告。


 思わずシオンは駆け戻った。


 「パパ!! 明日の出発、延期! 今すぐ!!」

 「な、何があった?」

 「空気の匂いが変わった。嵐じゃない……もっとイヤな感じ。荒れるわ、絶対」


 リーゼも即座に状況を察した。


 「分かった。出発は中止。明日は村で待機しましょう」

 「うん、そうしよう」


 一家は急ぎ作業を切り上げ、家へ走った。


 そして――


 シオンの予感は的中した。

 翌日、村は〈ナニカ〉に襲われる。


 炎が天を焦がし、笑い合った家も焼け落ちる。

 あの日を境に、ソラの世界は再び壊れた。

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