野良猫と山
①
忘れもしない。連日、鬱陶しい雨が降りしきる、冬の始まりのこと。
カレンダーは二〇一四年を目前にしていた。
私はその日、黒蝶爛組の本部内の清掃を終え、構成員の面々で広間に集まり、テレビを眺めていた。
広い和室の広間は、組の憩いの場だ。小さいながらも台所と隣接しており、ここで食事をすませる組員も多い。
季節外れの台風のせいで、各地では水害の報告もあり、近所まわりは冠水だの川の氾濫だので大わらわ。組の本部は水害と無縁の高所にあるから、騒ぐほどのことではなかったのだけれども。
氾濫する川を前にキャスターが喚くような大声で実況する様子を見て、「大変なことだなあ」「このカワイコちゃん、川に近づきすぎとちゃうか」などと、組の皆で煎餅を片手に話していた。
雷雲もゴロゴログルグルとやかましく、
「組長たち、いつ帰って来るのかな。今回は「鬱憤晴らし」の日でしょう」
「今日はお楽しみでしょうなあ。組長ったら、目をキラキラ輝かせて、ドス連れていっちゃったもの」
「明日の夜までに帰って来るか賭けます?」
「若頭、大丈夫かな。息子さんが亡くなって、まだ二ヶ月も経ってないなのに」
「潮夕さんなら大丈夫さ、きっと。通夜でも葬式でも泣かなかった人だぞ」
私はお茶を用意する傍ら、組員たちの会話に耳を傾けていた。
今日は組長の後樂堂を含むトップ数名が不在だ。蒼薔薇自治会系列のとの会合に参加するためだと聞いている。
しかし、組きっての武闘派をまとめて連れて行った辺り、最近巷で騒がれている、人身売買組織をついでに潰しに行ったであろうことは明白だった。
その人身売買組織は、中韓人で構成された、たちの悪い人間泥棒どもである。
特に身寄りの無い女子供を路上でひょいっと連れ去っては、腕や足を捥がれて見世物にされたり、ヤク漬けにされて商品として売られているという噂だ。芸の無い連中である。
組の縄張り内でも若い女や子供も何人か連れ去られ、当然ながら連中のシノギは黒蝶爛組を通さないものであったため、組内では問題視されていた。
最初こそ後樂堂は「もう少し静観していようか」と対応は慎重であったけども、こちらを腰抜けと認識して、助長した連中は、ついに白昼堂々と組の若い者にまで手を出してしまった。つい三日前のことだ。
あの人は普段どれだけ温厚でも、自分の所有物を誰かが壊す事だけは我慢がならない。
酔っ払った中国人たちの手で半殺しにされ、ゴミ捨て場に頭から突っ込まれた部下を前にして、組長の行動は早かった。
二日で組織の拠点を調べ上げ、今日の夜には連中が拠点で「パーティー」とやらを開くことも把握ずみだ。
今朝は出立前に、「会合のついでに寄り道して「ご挨拶」しよっか。みんな、着替えちゃんと持ってくるんよ」と遠足でも行くみたいに話していた。もっとも、目は笑っていなかっし、面々は殺気立っていたけども。
今頃、拠点に乗り込んで、おいたをしでかした哀れな人間泥棒たちを血祭りにあげているのだろう。
組長がはっちゃけていないことを祈る。なにせ彼は興奮すると、簪で生きたまま人の脳みそをぐちゃぐちゃにかきまぜたり、内臓を繋げてパーティーのリースみたいにして飾ってしまうのだ。
独特の感性が爆発してしまうのは結構だが、あれを後処理する面々の身にもなって欲しい。
「ただいまあ」
やおら、がらりと広間の襖が開かれ、私たちの頭上から知った声が降ってきた。
皆が振り返り、ぎょっとした。我らが組長こと後樂堂は、頭から血を被ったみたいに、全身が赤黒く汚れていた。だが、皆の視線は血ではなく、彼が担いでいる奇妙な黒い何かに集まっている。
「今日は皆にお土産だよ。会合でいっぱいお菓子もらってきちゃった。誰か食べる人ー?」
そばにいた、若頭の
けれど、みんなお菓子なぞに意識を向けている余裕などなかった。
血がこびりついた、ボサボサの黒い毛。
枯れ枝みたいに痩せ細った褐色肌の手足には、錆びた手錠と足枷ががっちり嵌まっている。着ているものが、血まみれのぼろきれみたいな服であるせいで、痩せこけた人間だと気付くまで数秒かかった。
同行していた組員たちも、組長の背後に追従するように戻っていた。組長のお付き役の
組員みなが目を丸くして見つめながらも、そのうちの一人が「お帰りなさい、組長」と声をかけたので、やっと周囲も我にかえったようだった。
「お帰りなさい」「皆様、お疲れ様です」「何か飲みますか」と労いの声をかける。誰も、担いでいる「なにか」について質問する余裕はなかった。
「会合お疲れ様でした。その、不動様。それは「誰」でございますか?」
だが、同じく出迎えた白頭巾頭……もとい
すると、片腕で受け取った茶を呑んでいた組長は、にんまり笑って、ソファに担いでいたものを下ろした。
「野良猫。拾った」
それだけである。野良猫とやらを一瞥すると、ぴくりとも動かない。
私は好奇心に駆られ、そっと近寄って顔を見やった。体つきからして男だ。ガリガリに痩せ細って、長い髪のせいで、一見すると胸のない厳つい女にも見える。
目の下には濃いクマ、爪はぼろぼろ、背中や内股には煙草の根性焼きや蚯蚓腫れ、首や腕には無数の注射痕。典型的な安い男娼といったところだろうか。血まみれであることを除けばだが。
困惑する一同をよそに、後樂堂組長は懐からキセルを出すと、優雅に一服する。
「ビデオのキャストですか?」
「いや、豚どものねぐらで飼われていたのさ。かあいそうに、部屋の隅っこでガタガタ震えていてねえ」
「……なぜ血まみれなんです?」
おずおずと組員の少女・
息が掌にかかったのか、小さく「生きてる!」と驚いたあと、友人の
ちっとも起きる気配がないあたり、瑞花特製の鎮静剤を打たれているのだろう。
「どうも、例のクソ豚どもを、この子が一人で全員ヤッちまったのさ。包丁一本でね」
「!?」
「いやあ驚いた。カチコミかけて挨拶かけようか思うて、連中のお家のドア開けたらな。
もう天井も壁も床も、みーんな血まみれ。揃いも揃って、クソと血をぶちまけてくたばっとった」
へらへら笑いながら、後樂堂は当時の状況を説明し始めた。
会合を終え、組の面々が襲撃をかけた時点で、人身売買組織は壊滅してしまっていたのだそうだ。
組織は「仕込み」もかねてパーティーを開いていたそうだが、悪趣味なことに、子供の耳を削いで炙って食べるという、おぞましい晩酌も交わしていたらしい。
現場には、まだ仕込まれていない「商品」たちも大勢いた。そのうちの何人かは、既に耳を削がれた後だったという。
現場を目撃していた商品たち曰く、裸に剥かれて薬を打ち込まれた後、耳を削がれそうになった「野良猫」は突然暴れだし、包丁を奪って全員を斬り殺してしまったそうだ。
手足を錠で固められていたにも関わらず、狭い室内で、少年は気が狂ったように男たちへ噛みつき、斬りつけ、首や腹をずたずたに包丁一本で切り裂いてしまったのだ。
──それが事実なら、おそろしいまでの戦闘センスと狂気を兼ね備えた逸材だろう。この枯れ木みたいな子供の姿からは、到底想像もつかないが……。
「で、連れ帰ってきたんですか」
「活きの良い獣は好きだよ。目を見れば分かる。「これ」は、仕込めば良い兵士になると思うてね」
そんな話をしていると、少年がやっと目を覚ました。
私たちを見るなり、少年は青ざめると、ばっと身構えて「フウウーッ!」と唸りだした。成程、その挙動は警戒心丸出しの猫である。
後樂堂は笑みをたやさず、「名前は?」と少年に尋ねた。だが少年は答えるどころか、「ウガアアアッ!」と怒鳴り声を張り上げて、組長へ体当たりを仕掛ける。
さっと後樂堂は身軽にかわし、その先にいた面々もぎょっとして全員が飛び退く。前に広間で巨大なオワタリアシダカグモ出てきた時も、似たような騒ぎになったなと思い出した。
「おやおや、やんちゃな子だ。躾け甲斐があるね」
後樂堂は着ていた上着を脱ぐと、片手で上着をひらひらはためかせた。闘牛士気分だろうか。
少年は血走った目で、ちゃぶ台の上に置いてあった灰皿をむんずと掴むと、組長へ駆け寄って「アアアーッ!」と大声を上げて振りかぶる。
だが振り下ろされた灰皿を、後樂堂は紙一重の距離でふらり、と躱すや否や、「危ないって」と苦笑いして、その腹に強烈な拳を打ち込む。
鈍い音がして、少年はくの字に体を曲げると、その巨躯の腕に身を預けるように、どさりと倒れ込む。あっという間だった。
後樂堂は「軽いねえ」と笑うと、少年をソファにもう一度放り、「これを風呂に入れてやって」と組員へ押しつけて、自室へと軽い足取りで去って行く。
広間に残された一同は、気まずげに視線を交わし合った。これを風呂に入れる?起きたら引っかかれるだけじゃ済まなさそうだなと、誰もが思ったに違いなかった。
◆
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