キリスト教入門 〜呼び方の違い〜

 キリスト教の基本知識を得たい人は、ぜひオススメです。


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余談ですが、キリスト教の歴史(新約以降)は、『チ。』に似てると感じます。


『チ。』自体、P国(ポ◯トガル)のC教(キ◯スト教)をモチーフとしていますが。


自己犠牲しながら考えを広め、その考えに関するコミュニティができ、その考え方について会議されたり。


ですから、『チ。』を思い出しつつ、キリスト教の歴史を楽しみながら読んでくださると嬉しい限りです。



【0.前書き】

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 皆さんは、キリスト教関係の呼び名をどのぐらい聞いたことがありますか。

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 たとえば:

「イエス」

「キリスト」

「イエス・キリスト」

「主」

「父なる神」

「ヤハウェ」

「エホバ」

「救世主」

「メシア」

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 このように、色々聞いたことがあることと思います。

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 それぞれが何か、どのような違いがあるのか。

 それをたずねられて、答えられましょうか。

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 今回はその呼び方の違いについてまとめます。


 また、「三位一体さんみいったい」についても、簡単に説明します。

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 ※


【0.5.略述】

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 単刀直入に言います。

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 それぞれの呼び方は同一人物ではありません。

 二人の呼び方です。

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 それは[イエス]と[ヤハウェ]です。

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 整理の仕方として、


 1.人物

 2.呼称の違い

 3.歴史(旧約聖書と新約聖書の違い)


 があります。


 第一に、人物によって大きく分けられ、

 第二に、同一の人物の複数名称は呼称の種類によって分けられ、

 第三に、両者に共通する名称は歴史的違いによって分けられます。

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 順をおって、説明します。

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 ※

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【1.人物】

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 まず、[イエス]の呼び方です。

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 ・イエス

 ・キリスト

 ・イエス・キリスト

 ・キリスト・イエス

 ・主

 ・救い主

 ・神の子

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌※

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 次に、[ヤハウェ]の呼び方です。

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 ・ヤハウェ

 ・エホバ

 ・主

 ・神

 ・父なる神/父

 ・救い主

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 両者に共通しているのは「主」「救い主」です。

 以下、その違いを含めて説明します(【3.】)。


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 ※

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【2.呼称の違い】

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 呼称の違いとして、[固有名] or [称号]に区別できます。


 例:「デビルハンターデンジくん」の場合、「デンジくん」は固有名、「デビルハンター」は称号になりますよね。

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌※


 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 まず、[イエス]です。

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 ・

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 個人名(固有名)です。

 ガリラヤのユダヤ人男性です。

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(よく「ナザレのイエス」と言われますが、このナザレはガリラヤにある地域です。

 イエスが育った場所です。

 生まれた場所は異なり、ベツレムの馬小屋です)

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 皆さんが想像する、長髪に髭をたくわえた人です。


 これは固有名なので、お笑い芸人の次長課長でいうところの「河本」です。


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 ・


 称号です。

「次長」「課長」です。

(コンビ名であることは置いておく)


 また、「メシア」と同語です。

(単語「キリスト」と「メシア」の違いは、【3.】で説明します。)

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 ・


 個人名と称号を合わせた呼び方です。

「キリスト」という称号の「イエス」さんという人です。

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 ・


 これは「イエス・キリスト」と同じです。

 しかし、違う点があります。

 古代ギリシア語では、語順によってどこを強調するか、焦点とするかが変わります。


 この表記の場合、「キリスト」を強調しています。

 キリスト=メシアとしての性質・働きを強調しています。


 たとえば、ローマの信徒への手紙15:5(15章15節)で

「キリスト・イエスにならって互いに同じ思いを抱かせ」

 という聖句せいくがあります。


 これはキリスト、つまり「メシアとしての模倣」に従って、相応しく、というニュアンスです。

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 例を挙げます。

 就職先に若林という部長がいたと仮定します。

 そして、この人を食事に誘うとします。

「部長」として誘う場合は仕事の相談、「若林」として誘う場合は個人的な雑談・遊びでしょう。

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「イエス」と「キリスト」の語順は、個人と役割のどちらを前景化して、逆にどちらを背景化するかの違いです。

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 ・

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 イエス・キリストに与えられる、使われる称号です。

 多義的ですが、根は、罪から人類を救う者という意味です。

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「救い」というのは罪を赦すこと、永遠の命の約束すること、神と和解することなど、色々なことを指します。

 その救いを行う機能を持つ、役割としての称号となります。

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌※

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 次に、[ヤハウェ]です。


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 ・

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 固有名です。

 イスラエルの唯一神です。

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 ・


 ヤハウェ(YHWH)は畏れ多いため、名前のまま呼ばず、「主(Adonai)」と呼ばれました。


(あの人と呼ばれるヴォルデモートと同じです。もっとも、ヴォルデモートは畏れ多いというより、恐れ多いの方ですが。)


 YHWH+Adonai、というふうに付加して「エホバ(Jehovah)」になりました。

(YHWHの母音を省略して、アドナイの母音を使った、誤読とされる)


この「エホバ」というのは、中世以降(6~16世紀頃)に登場した呼称です。


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 ※

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【3.歴史】

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 呼称の違いについて、宗教の違いと聖典の違いで説明できます。

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 宗教の違いとは、ユダヤ教orキリスト教です。

 聖典の違いとは、旧約聖書or新約聖書です。


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(旧約聖書はユダヤ教の経典の一つです。

 キリスト教は旧約聖書&新約聖書を聖典とします。

 主に、旧約聖書はイスラエル、ユダヤ人の歴史について、新約聖書はイエスについて書かれています。)


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 通史的・時系列的には、旧約→新約の順です。


(また、「約」は契約の「約」です。

旧約は「古い契約(神とイスラエル)」、

新約は「新しい契約(イエスを通して全人類へ)」です。)




 まず、歴史について説明しなければなりません。

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌※

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<旧約時代>


 むかしむかし。

 神ヤハウェを信仰するユダヤ人というのがいました。

 ユダヤ人は神ヤハウェがイスラエルを災禍、敵から救う者としていました。

 民族、国家を救済すると信じられていました。


 また、ユダヤ人は神ヤハウェを名前で呼ぶことは無礼として、「主」と呼びました。

 絶対的支配者としての神の称号です。


 ユダヤ人は虐げられており、イスラエル民族を導く、神の代理者としての王、預言者の出現を期待してました。


 これは「メシア(救い主)(受膏者)」と呼ばれました。


 あぶらを注ぐ行為は、神がその人に務めを託した印とされたためです。

 ユダヤ人社会の中で、聖油を注ぐことで王、預言者、祭司が任命されていました。


 ユダヤ人は奴隷としてバラバラになっていました。

 そんな中で、ついに王国ができました。神殿も建てられました。


 他国の奴隷として苦しめられていたユダヤ人。

 それをユダヤ人の王国によって救われ、王は政治的に解放する、メシアとしての役割を強めました。


 しかし、事件は起きました。

 王国が陥落し、神殿は破壊され。

 神に救われたと思った矢先に、その感覚と民族としての誇りが傷つけられてしまいました。


 他国に支配されました。

 ペルシャやギリシャ、ローマなど。

 他国の支配から救ってくれる、きっとメシアが現れてくれる、ユダヤ人はそう期待を寄せました。


 当時、文書・宗教はヘブライ語、日常・会話はアラム語がつかわれていました。


 ヘブライ語の「ヨシュア(神は救う)」は、アラム語の「イェシュア」へ。


 それが古代ギリシア語化して「イエスース」へ。


 そして、ラテン語、英語で「イエス(Jesus)」となりました。


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<新約時代>


 イエスが生まれました。

 イエスはユダヤ教徒の生まれでした。


 しかし、「なぜ神はユダヤ教徒のみを救うのだろう」と疑問を抱いていました。


 イエスは、

「神ヤハウェの救いは、イスラエル民族・国家の救済ではなく、個人救済である」

と解きました。


 イエスの弟子たちは、イエスのことを「メシア」と位置づけ、「神の子」と呼びました。


 ここで、「メシア(救い主・救世主)」の意味が民族的救済から個人的救済に変わりました。


 イエスは弟子たちと共に各地を歩き、神について議論を交わしました。それはある意味、ユダヤ教に対する反論のようなものでもありました。


 ユダヤ教の人たちはよく思いません。ひとり、ユダヤ教徒のある人が、ローマ帝国に通報します。「集まり、反乱を企んでいる者たちがいる」


 イエスは十字架にかけられ、亡くなってしまいます。しかし、イエスは復活し、偉業をなしました。


 時は流れます。


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<初代教会時代>


 パウロという信徒のひとりが布教をはじめます。


 ユダヤ教は、イスラエルの民族、イスラエルの土地に限定されていました。

 イスラエル民族が救われる、という民を選んでいました。


 そのため、パウロは異国の地で、ユダヤ教に縛られない布教を行いました。


 イエス・キリストを信じることによって救われる、と説きました。

 結果として、ユダヤ教と区別され、独立したキリスト教が形成されます。


 信徒たちのコミュニティができ、各地で教会が建ちました。


 初期信徒はイエスを「メシア」「主」「神の子」として信じましたが、


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<教父時代・公会議時代>


しかし、神ヤハウェとの関係を整理しなければいけませんでした。


 そこから時間をかけ、議論を重ね、研究を繰り返し。

「父なる神、子なるイエス、聖霊」の「三位一体さんみいったい」という考え方ができました。

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌※

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

(「三位一体」にまつわる神学史を説明すると長くなるため、簡単に)



 この「父なる神(父)」は神ヤハウェのことです。

 つまり、同一人物ですが、厳密なところ、違いがあります。


「ヤハウェ」とは、旧約聖書における神の固有名で、イスラエルの神です。

 ユダヤ教における、絶対的で一体の存在です。


 しかし、「父なる神」は、新約聖書における、イエスが祈る相手を指す呼称です。


 つまり、

「ヤハウェ」は旧約聖書に登場する、ユダヤ教の神、

「父なる神」は新約聖書に登場する、キリスト教の神

 となります。


 ここまでの説明では


「結局は同一人物で、二つとも神じゃないか」


 と思うかもしれません。


 そこで違いを説明するのに、「三位一体」という概念が欠かせられません。


「三位一体」とは、


 1.父なる神(創造主)、

 2.子なる神(イエス・キリスト)、

 3.聖霊、


 この3つがそれぞれ異なる位格いかく(ペルソナ)を持っている、

 しかし本質は一つの神、とする考え方です。

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「でも、キリスト教って一神教じゃないっけ?」


 当然の疑問です。


 そう、一神教であり、信じるのは唯一神です。


「三位一体」は、3つの神がいるわけではなく、1つの神の内部に3つの区別があるということです。

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 ―――喩えます。

 この「位格」は「ペルソナ」とも呼びます。

「ペルソナ」はキリスト教的文脈のみならず、現代人の我々も使います。

 現代人の我々が使う心理学的文脈では、「仮面」と言います。

 これは、たとえば、私たちは家族の前では下ネタや暴言を言わず、しかし、友達の前では下ネタや暴言、ジョークを言う。

 上司の前の自分(仮面)は大人しく、慎重な言葉遣い。趣味友達・オタク友達の前では自分を出すけれど、学校・職場での自分は暗い、など。

 このように「仮面」を使い分けてると思います。―――

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 これはなぜなのか。


 ユダヤ教は神ヤハウェを唯一神とする宗教ですが、キリスト教は、ユダヤ教の流れをくみました。


 ユダヤ教における神(ヤハウェ)の延長線上に歴史があります。


 イエスが復活後に偉業をなし、イエスを神的存在と確信した弟子たちが、イエスを信仰する宗教を作ったのです。

 それがキリスト教なのです。


 イエスが神(ヤハウェ)に遣わされた。

 神は地上に降り立つことができないため、人間であるイエスを遣わし、人間たちに教えを説き、正しい道を示した、としています。


 神(ヤハウェ)は父であり、イエスはその子である。

 愛する者(父)と愛される者(子)、そしてその間を結ぶ、愛という関係そのもの(聖霊)。


 ―――(この「聖霊」というのは、創世記、つまり神がこの世界を作ったときに、

「神はいのち(神の霊による活性)の息を吹きこんだ」と言われています。

 そして、エゼキエル書では、神の言葉を語らせる霊として、預言者を動かす、とされています。)



 では、なぜ「聖霊」が必要なのか。


 もしも「父と子」という二者関係の場合、愛=AがBを愛する、という二項関係になり、神とイエスの間で愛が固定されてしまいます。


 岡田斗司夫(YouTuber)は、

「ユダヤ教は、ジャイアン(神)が暴力と恐れによって教えを守るべきとする一方、

 キリスト教は、違うよ、ジャイアンは愛だよ、暴力と恐れじゃなくて、愛によって人に教えを与えているんだよ」

 と説明していました。


 この岡田斗司夫の説明は、


 謎に怒ってくる先生は、説教という暴力・恐れによって生徒たちを正しているんじゃなく、愛ゆえに諭しているんだよ。

 その怖い行いの裏には愛があるんだよ。


 こういう意味です。


 キリスト教は、イエスが「愛」を重視した宗教です。

 ユダヤ教を批判し、「愛」を強調しました。

「神=愛」としました。


 そのため、この愛を説明するために、二項関係ではなく、

 人々にもその愛が行き渡るために、「聖霊」という霊が働きかける。

 神がいない地上で、この愛があるために、聖霊が働く。

 イエスという神の子が生まれたのは、神が聖霊をつかい、地上に働きかけた。


 このように、創造・奇跡・救いなどの神の働きを説明するための存在なのです。


‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

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‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

「父なる神」の話に戻ります。


 ユダヤ教における「ヤハウェ」と違うのは、

 キリスト教におけるヤハウェは、三位一体における「父なる神」という称号を持つ、という点です。


 つまり、ユダヤ教と旧約聖書には、イエスに対する信仰もなければ、ヤハウェがイエスを子として世に遣わした、という考え方もありません。


 企画者:父なる神(ヤハウェ)

 実行者:子(キリスト)

 適用者:聖霊

 という考え方もないのです

(父なる神は、人類救済を決定し、時が満ちた時に子を遣わし、聖霊を与えて救いを完成させる)。


 旧約聖書のヤハウェは

 ・正義の審判者

 ・律法(教えのルール)の主体

 ・慈しみ深い赦し主


(ユダヤ教は旧約聖書を経典の一つとする)


 キリスト教でも父なる神は

 ・最終的裁きを行う

 ・罪を赦す源

 ・律法を与えた存在としての権威を持つ


 という役割が異なり、キリスト教では、イエスは裁きを委ねる存在として、父を語りました。


 これは弁護士が法律を説明して、その最終的決定を裁判官に委ねる、そんな感じなのかな?(違うかもしれない)

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌※

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 少々、長くなりましたね。

 以下、呼称の違いをまとめます。

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 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 ・

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 ユダヤ教においては、神がイスラエルに送る受膏者じゅこうしゃ

 王、預言者、祭司などの、神から使命を与えられた人。

 国家的、民族的解放者・英雄としてのニュアンス。


 キリスト教においては、イエス。

 イエスが説いた、個人的救済(ユダヤ人=ユダヤ教徒じゃなくても、人々は救われる)。

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 ・

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 旧約聖書においては、ヤハウェ。

 絶対的支配者で唯一神としての称号。

 ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌

 新約聖書においては、イエス・キリスト。

 神性・権威を帯びる称号として使われる。


(ユダヤ教は旧約聖書を経典の一つとし、

 キリスト教は旧約聖書&新約聖書を聖典とする)

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・《《救い主/救世主》』

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