第2話 大銀杏の獣道

「はぁ……道悪っ……」


 数週間に及ぶ長雨の影響で、林内の道は水浸しで足場が悪い。例年、この時期であれば緑豊かなこの一帯は花々のかぐわしい香りが立ち上り、ピクニック感覚で歩くことができるのだが、数週間ぶりに現れた太陽が気温をグングン押し上げ高温多湿の不快空間を作り出している。平坦な道を歩いているにも関わらず、噴き出す汗で服が肌に張り付きより不快さが演出されている。


「日程遅らせればよかった……いや納期的に無理か……」


 毎年実施している春の定期生態調査。これは人類生活圏を囲む、危険地帯に生息する異形の危険生物の生息状況を把握する調査である。人に害なす異業種の異常増殖や縄張りなどの生息場所の変化のを把握し、必要に応じて危険生物駆除を専門とした駆除員や駆除官の派遣などを決定するための基礎的な調査である。四季毎に全国で一斉に実施しており、異常事態もそうそう起きることもないため、基本的には楽な調査……ではある。

 春季調査とは言え、今年は長引いた梅雨により大雨が続き、調査を出来る日が、もはや初夏と言って良い時期になってしまった。その上、例年にない大雨の影響評価のため少し手間が増え、若干気が重い。


「湿気がキツイ……もう1日2日遅らせられれば良かった……」


 地面から立ち上る湯気を恨めしく睨むと、注連縄を巻かれた巨木を見上げる。


「(話通り大銀杏(いちょう)だな……ここが開始地点……)」


 樹齢は分からないが、樹高は50mを超える銀杏の老木である。所々、黄色みがかった朽ちかけの落ち葉の絨毯にそびえ立つ老木は、豊かな葉を蓄え朽ち果てる気配はなく、その太い幹には注連縄が巻き付けられている。この注連縄は周囲の魔力を吸収し作用する道具である魔法道具、魔道具あるいは単に魔具と呼ばれる道具の一種で、副次的な産物として魔力濃度の低い異形種などの危険生物にとって不快な地帯を作り出す。この効果により、注連縄の張られた大木が並ぶ地点が人類圏と危険地帯を区切る壁となるため、注連縄型魔具は結界や障壁魔具などと呼ばれている。実際の所、魔具としての注連縄の機能は劣化防止を目的とした強化魔法なのであるが、実物を見たことがない街の住人は注連縄を物理的な障壁を発生させる魔具と信じている。


「(よし、始めよう……)」


 懐中時計を確認すれば、予定通りに到着出来たようで、時計の針は9時を示していた。


「えっと……水無月(6月)の25日、経路目視調査、9時開始、天候は快晴っと……魔力濃度は3で良いよな……気温に……っと。魔具の状態は良好っと……行こう……。」


 必要事項を手帳に書付けると、目の前の巨木の森へ足を踏み入れる。森に生える木々は若々しく、どれも先ほどの大銀杏に引けを取らない巨木ばかりである。巨大広葉樹の森をしばらく歩くと、春らしく香り立つ森の空気が急激に重くなる。空気中の魔力濃度が上昇した兆しだ。


「入った……、オハギも警戒よろしく。何か居たら教えて」

「キュッ」


 頭上の毛玉をひと撫でし、背筋を伸ばすと、再び足を進める。

 今日の仕事は、指定の調査経路(ルート)を踏査(歩いて移動)し、出現する危険生物を記録する経路目視調査だ。ただし、長雨による生態系への影響を鑑み、一部種の雌雄と成熟度合いの記録をしなければならないため少し手間が増えている。今回の仕事では定期調査に加え、危険地帯を抜ける街道の安全確保までおまけについてきており、通常1日、2日で終わる定期調査が3日はかかる見込みであり、先3日間は人里離れた危険領域での野宿生活が確定している。


「(今日も一日がんばろう……)」

 

 △△△

 △△△

 

 一般的に魔力濃度の高い場所では植物の成長は早く強靱に育つとされおり、危険地帯では、通常は膝丈以下の丈である春季性野苺ですら1m程まで育ち、手のひら大の果実を実らせる。今歩いているエリアは水源から距離があるため、水場に依存する水妖などは出現しないハズなのであるが……


「やっぱ居るかぁ……」


 目の前で野苺に群がる20cm程の半透明の不定形生物を見て溜息をつく。明らかに長雨の影響だ。

 水妖。別名スライム。体長は20cm前後で、半透明のゼリー状の体を持ち、植物や腐肉などの有機物をエサとする。人への直接危害は与えないものの、農作物も捕食するため農家の敵である害獣だ。体の大半を水によって構成されており、河川や湿地など水場に出現する異形な生物であり、乾燥に弱く、水場を離れれば2週間程で干からびて死に、体内に存在する紺色の直径1cm程の球である核石を残す。逆に核石を抜き取ってやれば簡単に駆除が可能であるため農家の子供達の小遣い稼ぎの手段でもある。水の無い土地では生存が難しい一方で、水場では核石さえあれば発生繁殖し、その数を増やすため完全な駆除は難しく人類生活圏にも生息する数少ない異形の生物である。


「はぁ……(長雨の後だしなぁ……今年のデータは異常値扱いだろうなぁ……)」


 地図を取り出し、位置と個体数を記録すると再び足を進める。今回の調査地点周辺では半日歩いて数匹程しか出現しない筈の水妖を、既に10個体は確認している。


「(長雨の影響が思ったより大きいな……)」


 水妖事体の危険性は農業被害を除きかなり低いのだが、水妖は体内に多くの水を蓄え、また、エサとなる有機物から魔力を吸収し蓄積する性質がある。このため他の異形種にとって水妖は、水筒兼高栄養価な餌となりえる。そのため、水妖の大量繁殖は厄介な危険生物の増加を招くため注意が必要であるが……。


「(もうすぐ夏だし……こいつら干からびて全滅するよな……)」


 例年通りの気候であれば、文月(7月)になれば気温も上がり、夏は雨もあまり振らないこの森では、水妖を水源代わりに利用する異形種は、一時的にこの地帯を利用することがあってもすぐに元の生息域に戻ると想像がつく。


「(しかし……大狼が居ないな……足跡一つ見当たらない)」

「キュー(きたでー)」

「ん?ちょっと待って……」

《沈まれ 消えよ》


 頭上からのか細い鳴き声に足を止めると、風上から獣の臭いが流れてきたため、消音と消臭の魔法を使い木陰に潜む。少しの間息を潜めて周辺を観察していると、二足歩行の体長80cm程の影がこちらに歩み寄る様が目に入る。


「(小鬼か……小さい……それに単独っぽい)」


 小鬼は体長は70から150、猿によく似るも、四足歩行で歩く猿とは異なり直立し歩行する。全身は毛で覆われ、犬歯が異常に発達しこれに加えて額からは小指程の小さな角を備える。水妖に比べれば格段に凶暴で、血縁で紐づいた群れを形成するのだが、今回は単体である。魔力濃度が低い危険地帯の浅層から出現すため、比較的目にすることが多い生物でもある。小鬼は歩く速度が遅く、生活圏が水場を中心とするため、本来であれば川から遠く離れたこの地帯には出現しないハズなのだが、川一つない森の中を歩いている。


「(若いオス……この辺りで見るのは珍しいな……けど痩せてる?)」


 股座の生殖器を見やれば、やたらとデカい睾丸が目に入る。サイズから見てほぼ成熟していると見えるが、気のせいか毛並みが悪く、歩く速度は遅い。しばらく様子を伺ってみれば、小鬼は野苺に集っている水妖に気付き、フラフラと水妖に歩み寄り、血走った目で水妖を掴み貪るよう喰らいついた。


「(やっぱ水妖か……水源から10km以上離れてるし……。とりえず記録……)」


 手帳に時刻と状況を記録していると、水妖を咀嚼していた小鬼は、その場で座り込み動かなくなったため、身をかがめてその場を離れた。


「(次行こう……)」


△△△


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