第4種危険生物調査員
百日紅
第1話 巨木の森を跳ねる小さな影
50mを優に超える巨大な針葉樹。通常であれば樹齢数百を超える古木であるが、それらの樹齢は僅か半世紀程と若く、手入れもされていない幹からは何本もの枯れ枝が伸び、分厚く板状にせり出した根が異質な光景を作り出している。空を覆い隠す林冠(林の空側)は若々しい葉が茂っており、林床に届く光は僅かで、巨木の生い茂る森全体は日暮れのような有様である。そんな暗い森の中を、飛び跳ねるように移動している140cm程の小さな影があった。濃緑色の真新しいパーカージャケットに薄汚れ黒みがかった緑のカーゴパンツに泥で汚れた黒いブーツを履いたソレは、幼い少年のような体躯である。少年(?)は、丸太のように太い木の根から根へと、体の何倍もの距離を跳躍しながら木々の間を抜けていくと、やがて崖のような斜面の前でようやくその動きを止めた。立ち止まり斜面を見上げる様は、どう登ろうかと思案しているようである。
そこにそびえる斜面はおおよそ50m高さがあり、ほぼ直角の崖のような斜面には所々に岩が露出し、点々と岩を抱きかかえるようにか細い気が生えていた。獣の通り道であろうか幅10cm程の小さな足場が目に付くも、所々崩落しており、斜面を登るには心元ない。
斜面をしばらく見上げていた少年は、何やら納得したのか頷くと3m程後退し、前傾姿勢になったと思えば、大きく跳躍した。宙を舞った少年は山肌に露出していた岩へ降り立てば、流れるように岩から岩へ、時に朽ちかけの木を蹴り上へ上へと飛び移っていく。そうしているうちに、少年はみるみる間に斜面を登り、気が付けば崖のような山肌の頂点まで登り切ってしまった。
斜面の上は、切り開かれ、苔むして落ち葉に覆われてこそいるが、3m幅程の整地された道が広がっていた。胸を大きく動かし、激しく呼吸を繰り返す少年が頭にかぶっていたフードを外し、細く柔らかそうな漆黒の髪が露わになる。頭髪は頭頂部のやや後ろで組み紐で縛られ、紐の上には小さな毛玉が団子のように張り付いている。息を整え上気した顔は、幼く、少年とも少女とも見えるソレであるが、首筋から胸元に走る刺青のような痣がどこか痛々しい。しばらく深呼吸を繰り返していた少年(仮)は大きく息を吐くと、茶色とも緑ともとれるクリクリとした目を大きく開き、小さな口を開きようやく呼吸音以外の音を発した。
「ふぅーー。着いた……」
山を駆けること2時間、距離にして8キロ程の道のりだが、不整地の山林を警戒をしながら移動するのは、やはり疲れる。
ここは三川(みかわ)県と巳能(みの)県の県境の森を抜ける街道の一角である。
大小様々な島より成るこの国のうち最も長大でかつ人口が集中する島である本州は、その大部分を、人を襲う危険生物が闊歩する広大な危険地帯である山林に覆われている。各地に点在する人類生活圏は遠話魔法により情報の伝達は出来ども、物理的な距離と県境に存在する広大な危険地帯に阻まれており、そんな危険地帯を走る街道は、細くみすぼらしい物であっても重要度は高い。今、俺がこの場にいるのは、数週間にわたり続いた長雨のせいで、延びに延びた定期調査……のついでに押し付けられた仕事をこなすためである。
「……最後の斜面とか、もう崖じゃん!山道ばかりの区間が担当とか、絶対大変なとこだけ押し付けられた……駆除組合主導でやらせればいい物を……」
現在居る巳能路(みのじ)第三街道も八葉木(やはぎ)市へと通じる街道の一つであり、そのうちの所謂難所と呼ばれる峠道の安全確保。それが今日の仕事の内容である。
山を突き抜けるこの街道は細く、道も険しいことから使用者も少なく、通常であればこの手の仕事では優先度が低い。しかし、県内唯一の水晶(といっても魔法触媒用の低級な水晶)の産出地を抜ける街道であるため、放置するわけにもいかず、かと言って大人数での駆除を基本とする危険生物駆除組合(通称、駆除組合)の仕事としては仕事を振り辛い。その結果、道のりが険しい峠など難所を中心に、街道を区切り、危険生物の生態調査を主とする危険生物調査組合員(通称、調査組合)へと仕事が振られているわけである。
「はぁ……これで何も出なけりゃあ、赤字確定なんだから……誰もやりたがらないわけだよ……」
この安全確保業務、振られる地点が小さく区切られた飛び地であるため、駆除組合で用いられる簡素な地図上での範囲はとても狭い。しかし、高低差はとても大きい。そのため街道を外れて歩くのは危険生物の有無に関わらず、踏査するだけでもそれなりの時間と危険を伴う。そのくせ、割り振り1カ所あたりの報酬は、地図上の直線距離で計算されるため、駆除した危険生物の報奨金無しでは、食料等の消耗品だけで赤字になる。
「(山間部に平野部の感覚を押し付けるなよ……)」
これは、かつて人類圏の拡大を図った政府が、平野部の安全確保を行った大規模駆除の際に制定した計算方法を、地形的要素など無視し、前に倣えで流用し続けた結果である。おかげでこの安全確保業務は、半ば強制的な慈善活動のようなもので、調査組合員の間で強制奉仕や強制苦行などと言われネタにされている。幸いなことに事情を把握している調査組合が、隣接する地域の調査依頼と抱き合わせで仕事を割り振るため、何とか笑い話に出来るのだ。
実際に真面目に発注元から振られた区間すべてをまとめて受注した者が、時間ばかり浪費し、身持ちを崩し、半年持たずに借金生活に陥いったという逸話がある。このため多少は改善されてはいるものの、未だに改善される見込みはない。噂ではこの慣例を始めたのが大層な血筋の華族の出だったようで、下手に手を出せばと出世に響くと組合職員たちも尻ごみしているとのことだ。
「世の中、厳しいなぁ……」
溜息を吐きつつ街道に立ち入ると、路肩へ無造作に設置された四拾(よんじゅう)と彫られた鳥居に歩み寄る。鳥居に掲げられた古い注連縄(しめなわ)はどれだけ放置していたのか、半ば朽ちかけであり、懐から小刀を取り出し注連縄を取り外し、新しい物へと交換する。
「はぁ。えっと……広至20年水無月 山田和……と。よしっ。それで、今回の担当区域は……げっ60。この感じは峠の上までかぁ……」
新しい注連縄の端に、氏名と設置日を記すと、手帳を取り出し担当する範囲を確認する。
地図と合わせてみれば、現在地から峠の上までの登り坂区間であるようだ。街道の先を見れば曲がりくねっており、先はすぐに見えなくなるも、山の尾根筋に道らしきものが見え、やはり登り坂ばかりであるのは確定だ。
「はぁ、オハギ。……起きてる?」
後頭部へ片手を回し、お団子のように膨らんだ毛玉に触れるも、反応が無い。どうやら寝ているようである。暫く毛玉を指先で刺激するも、何ら反応が無かった為、しょうがなく毛玉をつかみとり、眼前で吊り下げる。
「キュー!キュー!」
急に体を持ち上げられ目が覚めたのか、四肢をダラリと伸ばし、キューキューと抗議の声を上げるこれは、相棒兼ペットのマメウサギのオハギである。体長10㎝程の野兎に似た異形種(野生動物と異なる特徴を持つ生物全般の総称)で、頭の上が居心地が良いらしく、食事と就寝時以外は後頭部に張り付いて丸まっている。抗議をしながら睨みつける相棒を無視し、ポケットから豆を取り出し小動物の前に翳す。
「悪いけど頼むよ。いつも通りに街道沿いに左右1キロを見てくれ」
「キュッ!」
手の平に下ろされた相棒は、その体の割に長い耳をピンと張り、パタパタと動かし始める。普段は頭に張り付くだけのこの生物であるが、感知能力が高く人語も解するため、危険地帯を探索する際は頼りになる相棒である。
特に問題が無かったのか、不機嫌そうに豆を奪いった相棒はハムスターの如く頬袋へと豆をしまい、腕をよじ登り定位置である後頭部に張り付いた。
「じゃあ何か居たらよろしく」
「キュッ」
△△△
△△△
「キュー(いた)」
街道を歩き始めてから数分後、頭上から鳴き声が聞こえ立ち止まる。
「《沈まれ 消えよ》。近い?何匹くらいいる?」
魔力を込めて呪文を紡ぐと消音と消臭の魔法が発動する。オハギを手に乗せると、取り出した豆を与え尋ねれば、東を向きとキュキュキュ……と短く鳴き声を上げ飛び跳ねる。
「おっけ……一杯……で100m位先?いや……一番近いヤツらを教えて?……うん。ありがとう」
豆を頬張り始めたオハギを定位置へと戻すと林内へと道を外れる。道を外れて大して歩かずにしてぬかるんだ地面に親指が不自然に長い5本指の足跡が目に入る。大きさは15cm程だろうか。近寄りしゃがみ込んでみれば、それぞれの足跡は微妙に大きさの異なっている。
「小鬼……群れか。こっちで良いか……」
異形種の一種である小鬼の足跡である。大きさが不揃いなことからどうやら群れで行動しているのは明らかだ。耳を澄ませながら足追の追跡をしはじめ、暫くすると、林内の窪地に3m程の巨大な岩が目に入り立ち止まる。
「スンスンスン……(獣臭い……)いたかな?」
静かに岩に近寄ればキーキーと甲高い鳴き声が聞こえてくる。
「(この岩裏だな……)」
魔力を全身に流し身体強化魔法を発動すると、岩の上に飛び乗る。腰から吊り下げた鞘から剣鉈を引き抜き、慎重に岩の反対側のぞき込む。
「(居た……黒字確定!)」
見下ろした岩影に座り込む体長130センチほどの影が5つ。全身は薄い茶色の毛で覆われた猿のような生物、異形種である小型危険生物の小鬼だ。一見するとただの大きな猿であるが、皺くちゃ顔の額からは5センチほどの漆黒の角、口元から伸びる異様に長い犬歯がただの山林に出る猿との違いが明らかである。小鬼は小さな体躯から危険度は低そうに見えるも、気性は荒く凶暴で、群れを成して生活するため不意をつかれれば、大の大人でも殺害せしめるため、街道付近では見つけ次第駆除することが推奨される生物である。
「(ん。思ったより少ない?とりあえず、5匹くらいなら適当で良いか……)」
懐から礫(つぶて)を二つ取り出すと、一つ目を礫を軽く放り、続けて2つ目の礫を上空に大きく投擲する。
投擲した礫が放物線を描き、落下するのを待つと、最初の礫が地面に落下しカサリと音を立て、地べたに座り込んでいた小鬼たちが立ち上がり、2つ目の礫が落下した瞬間周囲の警戒を始める。周辺を警戒している小鬼が、岩から数メートルほど先の木陰に注目し始めたところで、岩を飛び降りる。
魔法により、無音で着地すると一足跳びで小鬼の背後に接近し、魔力を振り上げた剣鉈に通しそのまま振り下ろす。
「キ……」
小枝を払ったような感触が手に伝わり、そのまま小鬼の首が跳ね飛んでいく。
(まずは1個……)
踏み込んだ勢いのままに続けて2個、3個と首を刎ね飛ばしていくと、ようやく襲撃に気が付いた小鬼が振り返り、キーキーと叫び声を上げながら歯をむき出して威嚇してくる。
(3個……遅い……)
威嚇する小鬼との距離は既に2mを切っており、勢いを殺すことなくそのまま接近し、首を刎ねる。
「4個……5個っと終わりっ!っと……《清めよ》」
残りの小鬼の首も跳ね飛ばし、呪文を紡ぐと薄い霧が体と剣鉈を包み込んだ。数舜後に霧が晴れると、体と刀身に付着していた小鬼の血が発散する。
剣鉈をしまい、小鬼が座り込んでいた辺りを確認すると、岩陰に捕食していたであろう山鳥の羽が散乱しているだけで、足跡的にも、この群れの狩り残しは居ないようである。
「チッ……(群れが小さい……駆除は本業じゃないんだけどな……)」
小鬼の頭から角をもぎ取りながら、思わず舌打ちをする。街道でのオハギの反応では、少なくとも10匹以上の小鬼が居るはずであるが、群れの規模が小さい。小さな群れがいくつもあっても、移動に時間ばかり掛かっては日がある内に仕事が終わるか怪しい。
「相棒、次の群れはどっち?」
△△△
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