第23話
貴族議会は、エドワード様の追放という、王家の歴史に残るほどの重い裁定をもって、ようやくその幕を閉じようとしていた。
リリアン様が去り、王妃様が去り、エドワード様が去った。
議場は、あまりにも多くのものが清算された衝撃で、静まり返っている。
残されたのは、リリアン様に加担しこの国を裏切った腐敗の貴族たち。
国王陛下は、セドリック様がまとめたリストに基づき彼ら残党の爵位剥奪と捕縛を冷徹に命じていく。
もはや、抵抗する者はいなかった。
そして、全ての裁きが終わり、国王陛下は疲労困憊の表情で、わたくしたちヴァルガス家の前に立たれた。
「……ヴァルガス侯爵。そして、エレノア嬢」
国王陛下の声は、一人の父親としての深い後悔に満ちていた。
「この度の、我が息子の愚行、そして王妃の暴走……。王家として、弁明の言葉もない。忠臣である貴殿らを、反逆者として弾劾するなどという、あってはならぬ事態を招いた」
国王陛下は、玉座から降り、わたくしと父の前で、わずかに頭を垂れた。
「王家として、そなたたちに、心より謝罪する」
議場にいる全ての貴族が、息を呑んだ。
国王が、臣下に頭を下げる。
「ヴァルガス侯爵家の名誉は、本日、王家の名において、完全に回復されたことを、ここに宣言する。……この償いは、必ずや、させていただく」
「……もったいなき、お言葉にございます」
父が、震える声で答えた。
わたくしは、静かにカーテシーをした。
「陛下の、公正なるご判断に、心より感謝申し上げます」
わたくしの復讐は、この瞬間、公式に、全て終わった。
ヴァルガス家の名誉は、回復されたのだ。
議会が閉会し、わたくしたちが議場から退出しようとすると、それまでわたくしたちを「反逆者」と罵っていた貴族たちの視線が、明らかに変わっていた。
恐怖、畏怖、そして、計算高い賞賛。
「エレノア嬢!見事な論破であった!」
「ヴァルガス家こそ、真の忠臣の鑑だ!」
わたくしは、その変わり身の早い声には一瞥もくれず、父と、そしてわたくしたちに寄り添うセドリック様、アルベール様と共に、王宮を後にした。
馬車の中は、重い沈黙が続いていた。
「……終わりましたわね」
わたくしが、誰にともなく呟いた。
「いいえ」
わたくしの言葉を、セドリック様が、静かに、しかし冷たく訂正した。
「まだ『第一幕』が、です」
ヴァルガス家の屋敷に戻ると、父は、まるで十年も歳を取ったかのように、執務室の椅子に深く沈み込んだ。
「エレノア。……本当に、終わったのだな」
「はい、お父様。ヴァルガス家の名誉は、守られました」
「お前のおかげだ。お前という娘は……この父を、遥かに超えてしまった」
父の目に、安堵と、誇りの涙が浮かんだ。
わたくしは、そのゴツゴツとした手を、そっと握った。
これでいい。
わたくしが守りたかった、家族の誇り。
それは、取り戻せた。
だが、わたくしたちの安堵は、その日の夕刻には、早くも新たな喧騒に打ち破られた。
老執事のセバスチャンが、困惑しきった顔で、わたくしの部屋にやってきた。
「お嬢様……。議会がお開きになってから、王都中の貴族家から、お見舞いと、面会の申し込みが、ひっきりなしに……」
テーブルの上には、瞬く間に、有力な貴族たちの名が記された招待状の山が築かれていく。
「……そして、お嬢様。これらを、いかがいたしましょうか」
セバスチャンが、最も扱いに困るという顔で差し出したのは、数通の、分厚く、印蝋で封をされた手紙だった。
「……縁談?」
わたくしは、その手紙の束を、乾いた笑いと共に受け取った。
わたくしは、「婚約破棄され、反逆罪の容疑をかけられた哀れな令嬢」から、一夜にして、「王妃と王子を失脚させ、国王の謝罪を受けた、最も価値のある令嬢」へと、その立場を変えたのだ。
エドワード様がわたくしに向けた、「手に入れたい」という『所有欲』。
今、この手紙の主たちがわたくしに向けている、『取り込みたい』という『政略』。
結局、何も変わらない。
「これが、貴族社会の『現実』ですわね」
わたくしが、その縁談の申し込み書を、冷ややかに眺めていると、アルベール様とセドリック様が、夜の訪問者として現れた。
セドリック様は、その手紙の山を一瞥すると、まるでゴミでも見るかのように鼻で笑った。
「……愚かな。彼らは、まだ貴女を、『取引の道具』としてしか見ていない。貴女という人間の本質を何も理解しようとせずに」
「セドリック様。わたくしとの『同盟』は、まだ有効ですの?」
わたくしの問いに、セドリック様は、執務室の大きな地図を広げた。
「当然だ。リリアンは去った。エドワードも消えた。だが、彼らを操ろうとした『腐敗の根』は、まだこの国にも、エルステッドにも、深く残っている」
アルベール様が、わたくしを、真っ直ぐに、しかし、どこか心配そうに見つめた。
「エレノア様。貴女個人の、エドワード王子とリリアン王女への復讐は、終わりました。……ヴァルガス家の名誉も、回復された」
「……」
「これ以上、貴女を、我らランティエ家の、血塗られた戦いに引き込むのは……」
アルベール様は、わたくしが、この縁談の山の中から、最も「安全」で「幸せ」なものを選び、貴族の令嬢としての、穏やかな人生に戻ることを、案じているようだった。
わたくしの選択。
エドワード様を失脚させた令嬢として、今度は別の、高位貴族の元へ嫁ぎ、二度と表舞台には立たず、波風の立たない「幸せ」な奥方として、一生を終える。
それも、一つの道だろう。
わたくしは、縁談の申し込み書の一枚を、ゆっくりと手に取った。
そして、その手紙を、ためらうことなく、そばにあった暖炉の炎の中へと、投げ入れた。
「……!」
紙は、一瞬で炎に包まれ、この国の有力な貴族家の紋章ごと、灰になっていった。
「わたくしが、今更、あのような『人形』の生活に戻れると、お思いになって?」
わたくしは、燃えさかる炎を、冷たい目で見つめた。
「エドワード様とリリアン様は、わたくしから、確かに多くのものを奪いました。……ですが、同時に、彼らはわたくしに、新しい『未来』を与えてくださった」
わたくしは、アルベール様とセドリック様に向き直った。
「わたくしの『本当の気持ち』?……決まっておりますわ」
わたくしは、燃え残った縁談の申し込み書を、さらに火の中へと押し込んだ。
「わたくしは、もう、誰かに選ばれるだけの令嬢ではない。わたくしが、選ぶのです」
「わたくしは、この『悪役令嬢』という仮面ごと、わたくしの新しい人生を選びます。……この戦い、まだ『第一幕』なのでしょう?」
わたくしは、二人に向かって初めて心の底からの笑みを浮かべてみせた。
「最後まで、お付き合いいただきますわよ、共犯者様?」
アルベール様が、驚きとそれ以上の深い安堵と喜びに目を見開いた。
セドリック様が、わたくしの聡明さと何よりその『覚悟』を認め、満足そうに初めて本当の笑みを浮かべた。
「……喜んで。我が主よ」
アルベール様のその言葉と共に、わたくしの本当の人生が、今、始まった。
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