第22話

リリアン・フォン・エルステッドの、呪詛にも似た絶叫が消え去った後。


貴族議会は、まるで嵐が過ぎ去ったかのような、重苦しい静寂に包まれていた。


リリアンに加担し、わたくしどもを陥れようとした侯爵は、自らの名前が財務官の口から出た瞬間から、顔面蒼白のまま、死人のように椅子に沈み込んでいる。


だが、これで終わりではない。


アルベール様とセドリック様が暴いたのは、リリアン様という「実行犯」の罪。


しかし、その実行犯を「動かした」者たち、あるいは、「利用された」者たちの責任が、まだ残っている。


わたくしは、静かに国王陛下の横顔を見つめた。


陛下は、わたくしやセドリック様が提示した証拠の山と、リリアン様と繋がっていた侯爵のリストを、冷徹な目で見下ろしている。


その視線が、やがて、ゆっくりと持ち上げられた。


向けられた先は、国王陛下の妃であり、エドワード様の母である、王妃陛下だった。


「……王妃よ」


国王陛下の声は、低く、何の感情も含まれていなかった。


それが、かえって、この場にいる全ての貴族の背筋を凍らせた。


「は……はい、陛下」


王妃様は、先ほどまでの激しい怒りの形相は消え、自らの立場が危ういことを瞬時に察知し、か細い声で答えた。


「そなたは、リリアンという小娘の、あの稚拙な涙と嘘に踊らされた。それだけではない」


国王陛下は、言葉を区切った。


「そなたは、王妃という立場を利用し、第一王子の婚約破棄という、国家の体面に関わる問題を、感情的に追認した。……あまつさえ、その小娘に加担し、我が国に長年尽くしてきた忠臣、ヴァルガス侯爵家を、『反逆罪』というありもしない罪で、断罪しようとした」


「そ、それは……!あの女が、あまりにも王子に不敬であったから……!」


「黙れ!」


国王陛下が、初めて声を荒らげた。


「そなたの、その愚かな『嫉妬』と『見栄』が、国政をどれほど混乱させたか、理解しておるのか!王妃でありながら、他国の王女に、いとも容易く操られ!ヴァルガス家を陥れたあの侯爵の、腐敗した策略の片棒を、喜んで担ぐとは!」


王妃様は、わなわなと震え、もはや反論の言葉も出てこない。


「王妃よ。そなたには、王妃としての資格はない」


「……!」


「追って沙汰があるまで、一切の公務から退き、北の離宮にて謹慎を命ずる!王妃の座も、剥奪を検討する!」


王妃剥奪。


それは、事実上の、王妃からの追放宣告だった。


王妃様は、その場で崩れ落ちそうになるのを、侍女にかろうじて支えられながら、引きずられるように議場から退出させられた。


そして。


議場に残された、最後の「責任者」。


国王陛下の視線が、自らの息子である、エドワード様に向けられた。


エドワード様は、わたくしが応接室で拒絶したあの夜よりも、さらに憔悴し、しかし、どこか覚悟を決めたような、虚な目で、床の一点を見つめていた。


「……エドワード」


「……はい。父上」


「そなたは、この一連の騒動の、全ての発端だ」


国王陛下の声には、息子へのわずかな同情もなかった。


「そなたは、第一王子でありながら、自らの婚約者(リリアン)の本質を、何一つ見抜けていなかった。いや、その前の、長年の婚約者であったエレノア嬢の、その忠誠と努力をも、だ」


エドワード様の肩が、びくりと震えた。


「そなたは、己の『感情』を優先した。王子としての『責務』ではなく、男としての『好み』で、国の根幹を揺るがす『婚約破棄』を、公衆の面前で、最も愚かな形で実行した」


「……」


「その結果が、これだ。王妃は謹慎、忠臣は傷つき、他国の陰謀を易々と招き入れた。……そなたのような、感情に流され、物事の本質を見誤る男に、この国の未来を託すことが、できると思うか?」


それは、第一王子に対する、死刑宣告にも等しい問いだった。


エドワード様は、ゆっくりと顔を上げた。


その視線が、一瞬だけ、わたくしを捉えた。


わたくしは、その視線を、何の感情も浮かべずに、ただ、見返した。


彼は、ふっと、自嘲のような笑みを漏らすと、国王陛下に向き直り、膝をついた。


「……いいえ。父上」


彼の声は、静かだった。


「今のお言葉、全て、その通りでございます。わたくしは……わたくしは、第一王子としても、一人の男としても、あまりに愚すぎた」


彼は、わたくしが突きつけた『所有欲と後悔』という真実を、この三日間で、骨の髄まで理解したのだろう。


「わたくしは、この国で最も価値のある宝を、自らの手で捨てました。……その愚か者が、国王の座を望むなど、万死に値します」


エドワード様は、その場で、深く、深く、頭を床に擦り付けた。


「わたくしに、弁明の言葉は、何一つございません。……いかなる処分も、お受けいたします」


全てを失った男の、最後の、潔さだった。


国王陛下は、目を閉じて、長く、息を吐いた。


「……エドワード・フォン・ロートリンゲン。そなたの、王位継承権を、『無期限』で剥奪する」


議場が、息を呑む。


「そなたは、本日をもって、全ての公務を解かれ、東の辺境領にて、自らの愚かさを、生涯をかけて見つめ直すがいい。……二度と、王宮の地を、踏むことは許さぬ」


王位継承権の剥奪。


そして、事実上の、永久追放。


「……御意」


エドワード様は、立ち上がらなかった。


ただ、床に額をつけたまま、その裁定を受け入れた。


彼が兵士に連れられていく間際、彼は、もう一度だけ、わたくしを見た。


その瞳には、もはや『後悔』や『所有欲』はなかった。


ただ、全てを諦め、全てを失った人間の、『無』だけが、そこにあった。


わたくしは、彼が完全に視界から消えるまで、その姿を、冷たい瞳で、見届けた。


ざまあみろ、とも、可哀想だ、とも、思わなかった。


ただ、わたくしの『復讐』の一つが、こうして、終わった。


それだけだった。

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