第25話 血脈

「……失礼いたします、閣下」


 タイミングを見計らっていたかのように、一人の給仕が銀の盆を持って近づいてきた。

 グレートなタイミングだ、リチャード。彼は完璧な『裏方』の顔で、ワインのグラスを差し出した。


「お喉が渇きではございませんか?」


 この一瞬の隙に、もう一度試行錯誤を――次に試すのは決めている一番簡単な指紋から。


 そう思った、瞬間。


「下がれ」


 アインセル公爵の声が、氷点下まで冷え込んだ。

 彼は足を止め、リチャードの方を見ようともせず、ハンカチで口元を覆った。


「なんだ、この『臭い』は」


「……は?」


 リチャードが、わざとらしくきょとんとしてみせる。


「何か、臭いますでしょうか? ワインの香りでしたら……」

「違う。……獣の臭いだ」


 公爵の眼光が、鋭い刃となってリチャードを突き刺した。その目にあるのは、単なる不快感ではない。もっと粘着質な、どす黒い何か。過去の汚物を見るような、憎悪と呼ぶにふさわしい感情が乗っかっているように思えた。


「薄汚い、ドブのような臭いだ。……貴様、混ざっているな?」


 会場の空気が凍る。リチャードの笑顔が、ほんの少しだけ引きつった。公爵は、彼が『獣人とのハーフ』であることを、尖った耳と犬歯を隠しているのに、匂いだけで見抜いたのだ。


「……神聖なる秩序の場に、雑種が紛れ込むとは。警備は何をしている」


 公爵が吐き捨てるように言った、その言葉。

 私の脳内で、リチャードのフルネームが稲妻のように走った。


 ――『リチャード・ロード・アインセル』。


 ロード・アインセル。

 この男は知っているのだ。目の前の給仕が、ただの獣人ではなく、かつて自分が――あるいは自分の血族が『過ち』として生み出し、捨て去った『恥部』と同一の存在であることを。


(……そういうことかよ。度し難い)


 私の胸の奥で、冷たい怒りが沸騰した。

 リチャードが守銭奴として、道化として生きざるを得なかった理由。

 この『秩序』とやらが、彼を弾き出したのだ。


 これはいいな、勝手に積もっていた嫌悪感に怒りと言う免罪符が付与されてしまった。目的からはすこしばかしとおざかってしまうが、それはそれ。


 目の前の下衆を殴れるとすれば、お釣りがくるだろう。


「これは失礼っ!」


 リチャードが慌てて勢いよくステップを踏む。


 恐らく、先ほど私がイザベルの殺意を感じたように、彼も私の殺意を感じ取ったのだろう。観察に長ける彼は『エレノア』が私となる前からの付き合いらしい、故に張り付けた令嬢の笑顔なぞ透けて見えるらしい。



 彼の足音は、私をとても冷静にさせた。


「ええい、雑種からモノを受け取ってしまうとは……!」

「これは大変申し訳ない……」

 


 私が冷静さを取り戻すと同時に、私の手元の装置が、劇的な変化を見せた。


 ――ピピピッ。


 赤色だったランプが、リチャードが近づき、公爵が感情を露わにした瞬間に、鮮やかな『青色』へと変わったのだ。


(……認証クリア!?)


 なぜだ?

 いや、理由は明白だ。セキュリティは血脈にあったのだ。

 このカードキーは『アインセル家の遺伝子』に反応するという事。そして今、公爵の目の前に、もう一人『アインセルの血』を引く男がいる。


 二つの同質の生体反応。システムが、リチャードを『予備の鍵』として誤認したのだ!


(……皮肉なもんだな、公爵!)


 お前が『雑種』と蔑んだその血が、お前の鉄壁の守りをこじ開ける『鍵』になるなんて!


 私はこの千載一遇の好機を逃さなかった。公爵がリチャードを睨みつけている、その死角。


「……閣下、お気を確かに」


 私は公爵の胸に手を添えるふりをして、扇子の柄をカードキーに押し当てた。


 ――『データ抽出:完了』。


 一瞬だった。メテウスの装置が、リチャードの血の助けを借りて、全ての権限データを吸い上げた。


 私は心の中で快哉を叫び、ゆっくりと公爵から離れた。


「……不愉快だ。興が削がれた」


 公爵はリチャードを一瞥し、私に向き直った。


「すまない、ローズ嬢。汚いものを見せた」


 汚いもの。

 彼は、自分の息子と同族の……ともすれば自分の息子かもしれない男を、そう呼んだ。


 私は扇子を閉じ、公爵の目を真っ直ぐに見つめ返した。もう、愛想笑いは必要ない。私は、極上の、しかし毒を含んだ笑みを浮かべた。


「……ええ、本当に。不愉快な『臭い』がいたしましたわ」


 公爵が「だろう?」と頷きかけた、その時。


「――腐りきった『選民思想』の悪臭が、鼻について仕方ありませんもの」

「……な」


 公爵の目が点になる。


 私はリチャードに向き直り、ウィンクをひとつ投げた。

 リチャードが、驚き、そして嬉しそうに目を細める。


「行きましょう。……ここは空気が澱んでいて、肌に悪そうだわ」


 私は踵を返し、呆然とする公爵と貴族たちに背を向けた。


 リチャードが、恭しく頭を下げる。


「へい。……お供します、姫」


 リチャードの声は、給仕のものではなく、頼れる相棒のものだった。


 ざわめきが広がる中、私たちは悠々と会場を後にする。

 私の扇子の中には、この都市を揺るがす『鍵』が収められていた。


 *――*――*


 屋敷を出て、馬車に乗り込んだ瞬間。私はドレスの裾を蹴り上げ、ドサリとシートに背中を預けた。


「……っぷはー! 終わったァ!!もうやらん、絶対だ、二度と!これっきり、お願いね!?ほんと!」


 キャラ崩壊も気にせず、扇子を放り投げ、コルセットのホックを外したい衝動に駆られる。

 イザベルが「お疲れ様です!」と水筒を差し出してくれた。


「……姫」


 リチャードが、御者台から顔を覗かせた。その表情は、いつものおちゃらけたものではなく、どこか神妙だった。


「……おおきに。スカッとしましたわ」

「礼を言われる筋合いはない。私が言いたかったから言っただけだ」


 私は血を煽り、ニヤリと笑った。


「それに、お前の『血』のおかげで鍵が開いたんだ。……礼を言うのはこっちの方だよ、アインセルの若様?」


 リチャードは一瞬目を見開き、それから、観念したように、しかし憑き物が落ちたような顔で笑った。


「……バレてましたか。ほんま、敵いまへんなぁ」


 馬車が走り出す。

 夜風が心地よい。手の中には、目的だった管理者権限データ。隣には、信頼できる仲間たち。


 さあ、次は本丸だ。

 大時計塔。そして、召喚者。


「……待っていろよ。文句のリスト、また一つ増えたからな」


 私は夜空にそびえる時計塔を見上げ、不敵に笑った。

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