第8話 現状把握

 キィン、という甲高い残響が、荒れた中庭に響き渡る。リチャードは、信じられないものを見たという顔で剣を構えたまま硬直していた。


「……なんや、これ」


 無理もない。

 誰あろう私自身、何が起きたか分からなかったのだから。


 私の喉元、リチャードの剣先が触れる寸前に展開された、赤黒い茨の盾。それは禍々しい光を放ちながら、確実に彼の渾身の一撃を防ぎきっていた。

 見れば、私の意思とは関係なく、手首から染み出した血液が盾を形成しているらしい。


「お、お嬢様……! い、今のは……!?」


 イザベルが腰を抜かさんばかりの勢いで目を見開いている。


 私が『盾』をじっと見つめていると、リチャードが脅威ではないと判断したのか、あるいは役目を終えたのか、盾はスウッと血の霧になって消えた。

 そしてその霧は私の手首へ吸い込まれるように戻っていった。

 


「……」


 私は自分の手首を見やる。

 傷ひとつない、陶器のような肌がそこにあった。


「……成程ね」

「な、なにが『成程』なんです!お嬢~!」


 イザベルが泣きそうな声で叫ぶが、私は至って冷静だった。


「フルオートの防御機構か。ご丁寧なことだ」

「ふ、ふるおーと……?」


 チッと、 思わず舌打ちが出た。


「回復能力の限界を試したかったんだが。これでは検証にならん」

「……姫」


 リチャードが、警戒を解かないままゆっくりと剣を下げた。


「……あんた、ホンマに何モンですの」

「さっき言った通りだ。三十路の不摂生女だよ」


 私はリチャードとイザベルに向き直った。この二人は、まだこの状況を飲み込めていない。まあ、無理もない。


 私だって、こんなご都合設定が発動するとは思っていなかった。

 自殺願望はない。


 それは確かだ。いくら身から出た錆で死んだとはいえ、積極的に死のうと思ったことは一度もない。


 だとすれば、この自動防御は、この身体か、あるいは私の魂か。

 どちらかの『生存本能』が発動させたものだろう。

 あるいは、あの別嬪か、私を呼んだ『召喚者』か、はたまた『設計者』とやらが仕込んだ死なせないためのセーフティロックか。


 ……いずれにせよ、答えは分からない。いくら推論を並べたとて結局は推論、今論じるべき問題ではないか。理由は今わからなくてもいい。これは後半まで取っておくべき謎であるということにしよう。


 ともかくとして、今重要なのは『そういう機能がある』という事実そのものだ。


「まあいい。これも重要なデータだ」


  私はパンパン、と土埃を払うように手を叩き、二人に告げた。


「検証結果だ。第一に、この身体は『流水』に極端に弱い。第二に、『日光』は行動を阻害する。第三に、持ち主の意思に関わらず、致命傷と判断された攻撃を自動で防ぐ『何か』が備わっている」


 私が淡々と分析結果を述べると、リチャードは乾いた笑いを漏らした。


「はは……。姫……いや、姫様。あんたさん、最高にイカれてますわ」

「褒め言葉として受け取っておこう」


「お嬢様……」

 イザベルはまだ少し青い顔をしていたが、私が平然としているのを見て、覚悟を決めたようにスッと背筋を伸ばした。 まるで別人のような状態が再起動したらしい。


「……承知いたしました。お嬢様の『特性』、インプット完了です。では、リチャード」

「へいへい。仕切り直し、ですな」

「その通りだ」


 私は、あの空白の地図が待つ城の自室へと踵を返した。


「デバッグのような自己分析はここまでだ。これより本格的に、『旅の準備』フェーズに移行するとしよう」


 私は、まだ見ぬ『召喚者』に思いを馳せた。


(待っていろ、賢者とやら。お前がどんな顔で私を『招いた』のかは知らんが……)


 私は、リチャードの犬歯とは違う、私自身の鋭い犬歯がうずくのを感じながら、不敵に笑った。


(どうせ見てやがるんだろう。せいぜい、この『招かれざる中身』を、たっぷりと楽しむがいいさ)


 *――*――*


 自己分析は完了した。次は、具体的な行動計画の策定だ。


 城の自室に戻った私たちは、再びテーブルを囲んでいた。

 机上には、あの空白の地図、イザベルの手帳、そしてリチャードが持っていたいくつかの硬貨が並べられている。


「……で、現状の活動資金はこれだけ、か」

「ええ、残念ながら。これが手持ちの全財産ですわ」


 リチャードが肩をすくめる。


 銀貨数十枚と金貨が数枚。この世界での貨幣価値はまだ把握しきれていないが、三人で旅をするには心許ないことくらいは分かる。


「イザベル。私が蔵から持ち出せる『動産』のリストはあるか?」

「はい、こちらに」


  イザベルが手帳のページを開く。そこには、母上(先代)の遺品である宝石類や、儀礼用のドレスなどが細かく書き出されていた。


「ふむ。先ほど部屋でも言ったがこれを売れば、当面の資金にはなるな」

「いや、問題がある言いましたやろ。それを『どこで売るか』ですわ」


  リチャードが口を挟む。


「城下町の連中は、この城が金に困ってることなんざ百も承知です。足元を見られるのは目に見えとります」

「つまり、もっと大きな市場……都市部まで行く必要がある、と?」

「あるいは、別の領地の大きな商業市か……どちらにせよ、元手となる旅費が必要ですな。ワイ一人でてってこ歩いて出稼ぎに行ってもええですが、べらぼうに時間がかかってまう。それでええなら一っ走り足延ばしまっさ、どないしましょ」


 ……鶏が先か、卵が先か、だな。

 資金を作るための旅費がない、という典型的な貧乏スパイラルだ。

 かと言って時間をかけすぎるのはナンセンスだ。どうしたものか。


「先ほどは言っておりませんでしたが……ひとつだけ、手があります。」


 イザベルが、少し躊躇いがちに手を挙げた。


「なんだ」

「お嬢様……いえ、先代様が昔、懇意にされていた『闇商人』の方がいらっしゃいまして……」

「闇商人?」「はい。表の市場には出せないような……その、少し『ワケアリ』の品を扱っている方で。この城の地下倉庫にも、その方が持ち込んだ『変なもの』がいくつか……」


 ……ほう?


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