第7話 作業は続く
「お嬢様! 血をお持ちしました!」
息を切らせたイザベルが、再び銀のゴブレットを差し出す。私はそれを受け取り、一気に呷る。極上の味と喉を鳴らす。味覚も完全に変わっているらしい。
前世の理性がやめろと悲鳴を上げるが、この体の本能がそれをねじ伏せる。
ゴブレットが空になる頃、先ほどまで赤黒く焼け爛れていた指先の痛みが引き、皮膚が徐々に再生していくのが分かった。
だが、遅い。
噴水に触れた瞬間のダメージに比べ、回復速度が明らかに鈍い。
察するに『流水』や『日光』等、弱点と設計されたものからのダメージには回復阻害のデバフでも付いてるのだろう。度し難いクソゲー、なんとも不快指数が高い仕様だな。設計者は好い性格してやがる、直にあったらいい酒が呑めそうだ。
「姫、もう無茶は……」
「無茶も承知だ。だがそれが検証を止める理由にはならん」
私はリチャードの肩から離れて自立すると、空を見上げた。
陽の角度が変わり、光が庭の一部に差し込んでくる。
ちょうどいい、次は一番危なそうな日光だ。
私の中で吸血鬼と言えば、朝日と共に塵と化す夜の化身。
そのアバターともいえるこの肉体が日に晒されればどうなるのか、すごく気になる。
「リチャード、次は『日光』だ」
「本気で言ってます!?」
「ああ勿論本気だ。だが、流水ほど致命的ではないと見た」
私は、荒れ果てたバラ園のアーチが作る『日陰』と、太陽が照りつける『日向』の境界線を指差した。
私の直観が正しいとすれば、一瞬であれば腕の一本ぐらいで済むだろう。
痛みにも鈍くなっているのか、私は自分の底から湧き出てくる知的好奇心を抑えられずにいた。
「イザベル。お前は、この身体が日中に出歩いていたのを見た記憶はあるか?」 「え? あ、はい。お嬢様は日差しが『苦手』で、あまりお外には出たがりませんでしたが……お買い物などで街に出ることはありました。もちろん、日傘は差していましたけど」
「そうか。なら、即死はしないな」
リチャードの呆れたようなため息が聞こえる。
私はまず、日陰から指先だけを日向に出してみた。
……何も起きない。
次に、腕一本。
……少し、肌がピリピリする、か?
そして、意を決して、日向へと一歩踏み出した。
「わぁーお嬢様!」
ジリ、と肌を焼くような感覚。 だが、噴水の時のような激痛ではない。むしろ、全身にまとわりつくような倦怠感。
体温が上がり、思考が鈍る。
まるで、真夏の炎天下をエアコンなしで過ごしていた、あの不摂生時代のようだ。
「……分かった。以前問題は無し」
これなら行動に支障は出るが、即死トラップではない。
私は日陰に戻り、壁に背を預けて息をついた。
「姫、顔色真っ白ですわ」
「……血が足りてないせいか、日光のせいか。まあ両方ともだろうな」
やはり私の推測は的中していた。ベタ設定好きの設計者なら、吸血鬼の弱点をコンプリートするはず。だが、吸血鬼なんぞこの世には存在しない。この身体はあくまで『亜人』や『魔人』と呼ばれる人なのだ。そのあたりでバランスを取っているに違いない。
これで『流水』が致命的。『日光』行動阻害、と判明した。
残るは、この身体の最大の武器だ。
私は、荒れた中庭を見渡し、手頃なもの――ではなく、手頃な『人物』を見据えた。
「リチャード」
「はいはい、なんでっしゃろ」
「お前の剣を抜け」
「……はぁ?」
リチャードの関西弁が止まった。 彼の腰には、護身用らしき簡素なロングソードが差されている。
「すまんな姫さん今、なんて言うた?」
「聞こえなかったか。その剣を抜けと言った」
「姫さん。ワイ、生粋のツッコみ気質ですけど、そのツッコミのキレが鈍るような冗談は好みまへんで」
リチャードの目が、初めて笑っていない。
「冗談じゃあない、至って真面目だ。」
私は日に当たらぬように中庭の中央に進み出ると、彼に向き直った。 イザベルが、何が起きているのか分からず、不安そうに私たちを見比べている。
「この身体の『回復能力』の限界を知りたい。どれくらいの傷なら塞がり、どれくらいで塞がるのか。リソースはどれだけ消費するのか」
「……正気か」
リチャードの声が、ドスが利いたものに変わる。
「ワイはハーフや言うても、獣人や。膂力にはちょぉっと自信がある。手加減したったつもりでも、姫さんみたいにほっそい首、簡単に折ってまうで」
「さてな、何事も試してみなければ分からないだろう?」
私は両腕を広げた。完璧な無防備な姿だ。
「やれ、リチャード。これは『新生エレノア姫』の、最初の『命令』だ」
「――」
リチャードが諦めたかのようにため息を吐いて、ゆっくりと剣の柄に手をかける。
「お、お嬢様!リチャード!何してるんですか!」
イザベルがようやく事態を飲み込み、悲鳴を上げた。
「イザベル、お前は見ていろ。私がどれくらいで治るか、時間を計れ」
「そ、そんなこと……!」
ジリ、とリチャードが剣を鞘から抜く音が響く。
鋭い犬歯が、ギリ、と噛み締められるのが見えた。
「……ええでしょう」
リチャードの目が、獲物を狙う獣のそれに変わった。
「『命令』とあらば。手加減なしでいかせてもらいまっさ」
空気が張り詰める。 リチャードが地を蹴った。
(……速い!)
目で追うのがやっとだ。
これが、獣人ハーフの身体能力。
そして、銀色の閃光が、私の胸を――貫く、寸前。
キィンと甲高い金属音。
リチャードの剣が、私の喉元で弾かれていた。
「……なっ!?」
リチャードが驚愕に目を見開く。 私自身も、何が起きたか分からなかった。
ただ、私の目の前にいつの間にか、赤黒い、茨のような盾が展開されていた。
「……なんだ、これは」
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