庵の剣姫 〜誰からも期待されない剣豪の娘は、妖の姫に成り代わる〜
りっく
第一章 由縁
1.大剣豪の命日
イオリの父は、名の知れた剣豪であった。
戦乱の世を刀ひとつで渡り歩き、人々に降りかかる脅威を払う。あくまで人助けの旅路でありながら、その太刀筋は
その一人娘であるイオリもまた、剣の天才――であればよかったのだが。
残念ながら彼女には、なんの才能も継がれなかった。
イオリが幼い頃、父は実家で剣道場をやっていた。近所の子どもたちを交えて熱心に剣を教えてくれた父の姿は、今でもイオリの脳裏に焼き付いている。
生まれたときから、イオリには母がいなかった。父と、父の名声のために集まった大量の侍従たちと、道場にやってくる近所のガキども。そして、ぎゅっと手に握った、重い竹刀だけがイオリの日常だった。
父のつけてくれる稽古は厳しかった。剣豪として世を生きた人の
しかし、ある日をさかいに、父はイオリに剣を教えなくなった。きっと期待に応えることができずに見限られたのだろうと、イオリは自分で思っている。父はイオリを置いて、代わりに道場で教えていた男衆を何人か連れて家を出ていった。
あれからもう六、七年は経つだろうか。広い家には、全盛期よりは数の減った使用人と、イオリだけ。
それでも、イオリは剣をやめなかった。
父の名声もとっくに形骸化していて、近くに住む人々からは、「鬼の子」「女のくせに」と笑われつづける。ろくに友人もできないまま、一人で少女は大きくなった。
今年で齢十七になるイオリは、今日も道場で刀を振る。
「――イオリ様、イオリ様!」
夜。侍女が慌ててドタバタと道場へ転がりこんでくる。普段女の使用人は道場に近づかないのに珍しい。
イオリは素振りの手を止め、侍女の方へ目線を向ける。
「旦那様が――!」
侍女は息の上がったままそれだけ言って、一通の手紙を差し出した。その様子でなんとなく察しながらも、イオリは歩み寄って手紙を受け取る。
案の定、それは父の訃報だった。
「そう……そうか。やっとくたばったか」
イオリは父が嫌いだ。自分勝手で、家族より剣が大切な父は、まだ幼いイオリの意思を無視して剣を教えたくせに、才能がないと見限って家を出ていった。何度竹刀で殴られても剣を諦めなかった強靭なイオリの心は、折れる代わりに父を憎んだのだ。
父に見限られて、置いていかれてもなお剣をやめなかった理由なんて、一つしかない。
いつか絶対越えてやる。認めさせてやる。
そんな燃えるような野望は、もう叶わなくなった。
才能なんかの問題ではなく永遠に。
「少し出る。帰ったら葬儀について話そう」
「えっ、イオリ様!?」
侍女の声を無視して、イオリは道場の隅へ足を進めた。鍛錬用の竹刀を置き、代わりに愛刀――幼い頃、父から託された真剣を腰に佩く。刀身を鞘から少し引き出すと、鋭く光る銀の刀身に思ったより悲しそうな自分の顔が写って、イオリは嫌な気分になった。
やるせない思いをかき消すように、足早に道場を出る。自邸の広い敷地内を何にも目をくれず歩き、家の裏山に踏み入った。
月明かりしかない夜の山は気持ちを落ち着けるのにちょうどいい。誰も来るはずのないそこで、イオリは刀を抜いた。
草木を相手に刀を振る。頭の上に刀を構え、勢いをつけて振り下ろすと周囲の木の枝がバツバツと斬れて地面に散らばった。少しの爽快感が、イオリの気を紛らわせる。月光を浴びて煌めく太刀筋に震えがなくなるまで、呼吸を深めながらそうしてイオリは何度も刀を振るう。
時には場所を変え、角度を変え、斬る物を変え――そうして何時間、森を相手に剣を振るっていただろうか。
ふと、何があったでもなく、イオリは手を止めた。あるいはそれは本能からの行動だったのかもしれない。額の汗を拭いながら、何気なく空を見上げると月がちょうど真上にあった。もう日が変わる、そろそろ帰らなくては。
そう思った次の瞬間、イオリは思わず身構えるほどの強い殺気を感じた。
ますます早く帰ろうと思うのに、足が動かない。
イオリ以外誰もいないはずの裏山に、何かの強い気配があった。当然、家の使用人たちではない。動物でもない。隠れながらイオリの方を狙っている、知性のある何かだ。
(……来る!)
初撃は完全に見切った。左斜め後ろの死角から飛びかかってきた何者かを、刀で受け流す。敵は黒い服に身を包んでいて素性は見えないが、イオリ同様に刀を持っているのがわかった。イオリの持つ打刀より刀身が少し短いだろうか。
刀身の差はそのまま戦いにおける有利不利を現す。こんなときに父の教えが蘇って、イオリは大層不快な気分だった。苛立ちのままに、敵のいる方向に勢いよく踏み込み、刀を振り下ろす。
しかし、敵は軽い身のこなしでひゅっとその場から飛び去り、また闇夜に紛れてしまった。
「……ちっ」
思わず舌打ちしてしまった。明らかにこういう場面に慣れている相手に対して、闇の中で戦うのは分が悪い。
次の攻撃をいなして逃げよう、とイオリは敵の消えた方向に全神経を集中させる。自らの息の音すら煩わしく思えてきたころ、暗闇の中に煌めく刃紋を見つけた。
(……そこか!)
逃げるためには隙を作らねばならない。イオリは勢いをつけて敵の攻撃を弾き、踵を返した。
瞬間。
「え――」
視線を阻む、もう一人の刺客の影。
状況を理解するより前に、頭部に強い痛みを感じてイオリの意識は途絶えた。
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