ポケットを鳴らさないで

萌 令児(もえれいじ)

ポケットを鳴らさないで

【六文銭】日本における仏葬の副葬品である冥銭のこと。六道銭ともいう。三途の川の渡し賃ともいわれる。(出展:Wikipedia)



列車を指差して「もういるよ」って言ったあとに、犬を撫でながら「くさい」って顔を顰める君が可笑しくって笑うと、君は恥ずかしそうに肩をこづいた。


そのあとに共犯者の私たちは睡眠薬の入ったトロトロに溶けたオムライスを胃に落とす。


私の硬く握った手を開くと、そこには六文銭があった。いつ、どこから握りしめていたのかは覚えていない。ここが何処なのかは、来たことがないはずなのにすぐに理解することができた。もし血が通っていたならば、体温が伝わって銭は暖かくなるところではあったと思う。生憎ここは三途の川の目の前だったので、冷たくも、温かくもない硬い銭をただ握りしめている。長いこと、それはもう途方もないほどの時間をこの川のほとりで過ごした気がする。何故私はひとりなのか、ずっと考えていた。けれど、答えを考えないようにしていた。


川のほとりで私はズボンの裾を捲って、ひとりで足を浸す。鴨川の長家から聞こえる風鈴の音を思い出した。時には寝っ転がって、船に乗り川を渡って行く人々を眺めた。はしゃぐ子供以外は、皆がばつが悪そうに船頭が率いる船に乗っている。


その中に、ひとり身を乗り出して人を探している君がいた。私がずっと待ち焦がれていた君が。


まだ船が岸辺に着く前に、身を乗り出して私の方へ駆けてくる。着物の裾が濡れてしまうよ、と声をかけようとも私の言葉は喉をつっかえて、引き攣った笑顔で迎えることで精一杯だった。ずっと考えていた言葉もすべて忘れて、私も浅瀬を駆ける。


君の手が私の頬に触れたとき、温かい心地がした。

しばらくふたりで抱き合うと、君はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「わたし、先生がいないと生きていけないと言ったでしょう」


「うん、言っていたね」

君の手を引いて、私たちは岸辺へ向かう。


「だから、先生がいなくなってから、どうすれば良いのか、ずっと分からなくなってしまいました」

水を含んで重たくなった洋服が歩みを遅らせる。


「ひとりにしてごめんね」

私は今きっとあなたを不安にさせるような酷い顔をしているのだろう。


「だから、悪いことをいっぱいしました」


「だから、だから……」

君はゆっくりと握った手のひらを開いた。その小さな手のひらの中には五枚の硬貨がキラリと光る。


「ここで、お別れのようです」

君は困ったように笑う。


「先生は私みたいな人をいっぱい助けてきたでしょう。だから私とこの先は行き先が違うと思うのです。私は銭をどこかに落としてきてしまったようです」


私は六文銭の入ったポケットが擦れて音が鳴らないように、ゆっくりと君の元へと近づいた。今にも泣きそうな大粒の雫が瞳から垂れ落ちる前に、その頬を両の手で包んでやりたいと思った。


「私たちはこれからもずっと一緒だよ」


手を取り歩く。今度は離さないように。

気が付かれないように銭を草陰に隠して。

ずっとふたりでいられるように。


私たちは眠る必要なんて無いけれど、私は君の柔らかい寝顔をもう一度見たいと願った。

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