第11話 邂逅(かいこう)
その日、義経は新たな兵となった元タタル兵たちの調練を監督していた。
彼らは恐怖によって統率されてはいたが、まだ体の芯に染み付いた古い戦い方の癖が抜けていない。義経は、馬上から冷徹な目で彼らの動きを観察し、少しでも隊列を乱した者には容赦なく罵声を浴びせていた。
その時、見張りの斥候が血相を変えて駆け寄ってきた。
「ほ、報告! 西から騎馬隊が接近! 数は五十騎ほどですが、旗印が……ジャダランです!」
調練場に緊張が走った。ジャダランといえば、この草原の中部を支配する名門部族であり、その長ジャムカは、若くして武名を轟かせる英傑として知られていた。
「ジャムカが、自ら来たというのか……」
トオリルが顔面蒼白で呟く。彼のような弱小部族長にとって、ジャムカは雲の上の存在だ。
義経は、眉一つ動かさなかった。
(……来たか)
タタルを破ったことで、必ず何らかの接触があるとは予測していた。それが、あのジャムカ本人だとは予想外だったが。
「全軍、戦闘配置につけ。ただし、こちらから手を出すな。私が合図するまで待機せよ」
義経はボオルチュに命じると、自らは悠然と馬を進め、野営地の入り口へと向かった。
やがて、土煙の中から、整然とした騎馬隊が姿を現した。
彼らの装いは、これまで見てきたどの部族よりも洗練されていた。揃いの革鎧を身につけ、馬具も上等なものだ。その一糸乱れぬ行軍は、彼らが高度な訓練を受けた精鋭であることを物語っていた。
その先頭に、一際目立つ男がいた。
純白のデール(民族衣装)の上に、黄金の装飾が施された鎧を纏い、見事な駿馬に跨っている。その端正な顔立ちと、自信に満ちた態度は、まさに「草原の貴公子」と呼ぶにふさわしい。
ジャムカは、義経の前で馬を止めると、馬上から鷹揚(おうよう)に声をかけた。
「貴公がクロウ殿か。噂は聞いている。タタルを一夜にして葬った手並み、見事であった」
その声は朗らかで、一見すると友好的なものだった。だが、その双眸は、冷徹に義経を値踏みしていた。
義経もまた、無言でジャムカを見返した。
(……なるほど。こいつは、他の連中とは違う)
義経の直感が告げていた。この男には、自分と同じ匂いがする。野心と、知性と、そして冷酷さの匂いが。
「……用件はなんだ。ジャダランの長が、わざわざ出向いてくるとは」
義経のぶっきらぼうな物言いに、ジャムカの親衛隊長が顔をしかめ、刀に手をかけた。だが、ジャムカはそれを手で制し、むしろ楽しそうに笑った。
「ハハハ! 噂通りの男のようだ。礼儀を知らぬ野犬かと思っていたが、どうやらただの犬ではないらしい」
ジャムカは馬から降りると、義経の方へと歩み寄った。
「用件は一つだ。貴公に会いに来た。私の目で、貴公という男を見極めるためにな」
ジャムカは、義経の目の前で立ち止まった。二人の距離は、互いの刀が届く間合いだ。
周囲の空気が張り詰める。トオリルたちは息を呑んで見守っていた。
ジャムカは、値踏みするように義経の全身を見回した。ボロボロの毛皮、手入れの行き届いていない武具。だが、その内側から発せられる異様な気配は、どんな豪華な鎧よりも彼を際立たせていた。
「……良い目をしている。獲物を狙う狼の目だ。それも、飢えた狼のな」
ジャムカは、満足げに頷いた。
「クロウ殿。単刀直入に言おう。貴公、私の下につかんか」
それは、予想通りの勧誘だった。だが、その条件は破格だった。
「貴公の実力は認める。我が軍の客将として迎え入れよう。トオリルの部族ごと、私が面倒を見る。貴公には、私の右腕として、軍の指揮権の一部を与えてもいい」
それは、この草原で成り上がるための、最も確実な近道だった。ジャムカという強大な後ろ盾を得れば、義経の復讐の計画は大きく前進するだろう。
だが、義経は即座に答えた。
「断る」
ジャムカの親衛隊たちが、今度こそ色めき立った。
「き、貴様! ジャムカ様のご厚意を!」
ジャムカは、少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑った。
「ほう? 理由はなんだ」
「私は、誰の下にもつかん。私の主は、私自身だ」
義経の言葉には、揺るぎない信念が込められていた。
兄・頼朝に仕え、そして使い捨てにされた過去。二度と、誰かの道具にはならない。それが、彼の決意だった。
ジャムカは、しばらく義経の目をじっと見つめていた。
やがて、彼は再び声を上げて笑った。
「ハハハハッ! 面白い! 実に面白い! 貴公のような男は初めてだ!」
彼は笑いながら、腰から皮袋を取り出し、義経に投げ渡した。
「これは祝いの品だ。タタルの勝利を祝してな。中身は極上の馬乳酒だ」
義経は無造作にそれを受け取った。
「クロウ殿。どうやら、我らは友にはなれんようだ。だが……」
ジャムカの笑みが消え、その目に真剣な光が宿った。
「良き好敵手(ライバル)にはなれるかもしれん。貴公が、この草原の厳しい冬を生き延びることができれば、な」
ジャムカはくるりと背を向け、馬上の人となった。
「精々(せいぜい)、足掻(あが)くがいい。蒼き狼よ。楽しみにしているぞ。貴公がどこまで大きくなるかを」
ジャムカは親衛隊を率い、砂煙を上げて去っていった。
嵐のような男だった。
義経は、手の中の皮袋を見つめた。
(……好敵手、か)
あの男は、自分と同じ高みを見ている。この草原を統一するという、果てしない野望を。
いずれ、必ず激突する時が来る。
義経は、冷たい風の中で、ジャムカが去っていった方向を見据えていた。
彼の胸の内で、新たな、そしてより激しい闘争の炎が燃え上がり始めていた。
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