第18話 墜落する悪夢

その時、レイアのスマホが鳴った。


 セキュリティチェックで没収されるのを防ぐため、受付に預けていたのを、車に乗る時に回収したのだ。


 ナツ先生からだった。


 脳波受信機は近距離の脳波を音声に変換できるが、LKのように転送装置を経由した遠距離の脳波は受信できない。  だから、電話がかかってくる。


「レイア、ストーム・テックのサーバーからダウンロードしたファイルの解読が終わりましたよ」


「アケンのことは私がなんとかする。お前たちはもう手を引くんだ」


 ナツ先生の声は深刻だった。


「回収したファイルの中に『明日(あした)計画(プロジェクト・トゥモロー)』というフォルダがあった」


「開いて数秒で自動消去されたが、中身は……ストーム・テックが極秘に育成している『異能部隊』に関するものだった」


「彼らはその部隊を使って……」


「殿下!!」


 カイの叫び声が響き渡った。


「前! 前方ッ!」


 先行していたSPの護衛車両が、何の前触れもなく宙に浮き上がった。


 乗っていたSPたちが次々と車から飛び降りる。


 この光景、見たことがある。


 次の瞬間、空中に浮かんだ車は内側へと急速に圧縮され、見えざる巨人の手によって鉄屑のボールへと変えられた。


 ドォォォォン!!


 鉄塊が道路に叩きつけられ、アスファルトが陥没し、亀裂が走る。


 カイはハンドルを切り、タイヤから白煙を上げながら、間一髪で残骸を避けた。


「止まってください! 全員降りるんです!」


 王子の命令が終わらぬうちに、車体がガクンと沈み込み、ハンドル制御を失ってゆっくりと浮上し始めた。


 カイは即座に「脳波遮断フィールド」を展開したが、強大な脳波攻撃が一瞬でそれを貫通した。


 LKがドアノブを引いたが、開かない。


「ロックされてる!」


 地面が遠ざかっていくのを、彼は恐怖の目で見つめた。


 同時に、金属のフレームが悲鳴のような音を立て始めた。


 外側からの強烈な圧力が、車体を押し潰そうとしている!


 キャァァァァァ!!


 レイアは悲鳴を上げた。


 普段は傍観者を決め込んでいる彼女も、死の恐怖には勝てなかった。


 悪夢だ、これは絶対に悪夢だ!


 LKは車内の二人を見回し、すぐに屈強なカイに狙いを定めた。


 彼なら、精神操作で限界を超えさせれば、命と引き換えにレイアだけは助けられるかもしれない。


 少年の瞳が暗く沈み、カイを凝視した。


 しかし、彼が能力を発動するより早く――キィィィン!


 耳鳴りと共に、LKの脳内で何かが炸裂した。


 激痛が脳髄を支配し、無数の針で神経をかき回されているようだ。


 LKは苦悶の表情でカイを見た。


 カイも体を折り曲げて頭を抱え、苦しんでいる。


 だが、不思議なことにレイアと王子は何事もないかのようにしていた。


 激痛でLKの意識が飛びそうになる。


 彼は手を伸ばしてレイアの袖を掴んだ。


 充血した目を見開き、最期の瞬間だけはかっこよくあろうとした。


(これで終わりか。缶詰のイワシみたいに潰されて、脳みそぶちまけて死ぬのか)


 LKは力なく笑った。


 せめてレイアも操って、恐怖を感じないようにさせてやればよかった。


 だが、レイアは誰のコントロールも受け付けないのだ。


 レイアは二人の脳内の激痛になど気づきもしない。


 彼女はパニックになって窓を叩き、隣の二人の異変にさえ気づいていなかった。


 冷たいガラスに、王子殿下の横顔が映っている。


 彼は氷のように冷静だった。


 その深藍の瞳の奥で、巨大な嵐が渦巻いているのを除けば。


 バチンッ!


 突然、ドアロックが弾け飛んだ。


「跳んでください!!」


 王子が叫んだ。


 混乱の中で、データ保存機が座席の下に転がった。


 くそっ、届かない!


 王子がレイア側のドアを蹴り開け、彼女を強く突き飛ばした。


 レイアはすでに痛みのあまり気絶していたLKの腕を掴み、道連れにするように車外へ飛び出した。


 景色が反転し、アスファルトの地面が猛スピードで迫ってくる。


 風切り音が耳をつんざく。


 恐怖に目を閉じた。

次の瞬間、体が弾んだ。


 レイアと一緒に弾け飛んだのは、無数のカラフルなボールだった。


 赤、青、黄、緑。


 何千、何万というスポンジボールが、精霊のように舞い上がり、レイアの落下の衝撃を受け止め、四方八方へ散らばっていく。


 まるで夢のような光景だった。


「早く! ここから離れてください!」


 王子が気絶したカイを引きずりながら、レイアに向かって叫んだ。


 レイアはハッとして見上げた。  空中に浮かんでいた車が、一瞬にして鉄屑の塊へと圧縮されていた。


 落ちてくる!


 レイアは慌ててLKの襟首を掴んで引きずろうとしたが、足がすくんで動かない。


 いつの間にか王子が隣に来ていた。


 王子はレイアを突き飛ばすと同時に、LKを思い切り蹴り飛ばした。


 LKはボールの海の上をコロコロと転がっていった。


(このことは、絶対にLKには言えない……)


 ズドン!!


 背後で重量物が落下する音が響き、柔らかいボールたちが衝撃を吸収した。


 レイアが恐る恐る振り返ると、さっきまで自分たちがいた場所に、ひしゃげた鉄塊が深々とめり込んでいた。


 生き残ったSPたちが集まり、四人を守るように囲んで路肩へと退避させた。


 道路の中央には、巨大なボールプールが鎮座していた。


 LKが意識を取り戻し、呆然と呟いた。


「……なんでこんな所にボールプールがあるんだ?」


「殿下、あいつです! ストーム・テックのビルへ逃げ込みました!」


 SPが指差した先には、一度王子を襲ったあの磁力使いの男がいた。


 彼らは皆、その正体を知っている。  かつて王子を二度も襲った男だ。


 レイアがLKを見ると、LKは王子を見ていた。


 LKの瞳の色が深くなっている。  異能を使う時の目だ。


 次の瞬間、王子はSPを振り切り、銀色のビルへと走り出した。


「あんた、王子を操ったの!?」


 レイアが叫んだ。


「ち、違う! 俺じゃない!」


 レイアはLKの言い訳も聞かずに、王子の後を追って走り出した。


 LKは痛む体を引きずって立ち上がった。


 頭の中にはまだ鈍痛が残り、腰も痛い(誰かに蹴られた気がする)。


 だが、未だに気絶しているカイに比べればマシだ。


 彼は深呼吸をして、二人の後を追った。

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