第2話 放課後のタピオカと、噂の王子様


 数分後、レイアはその日の申込書をまとめ、街外れにあるタピオカ店でLKと合流することにした。


 この店のオーナーは優秀な「脳力配信者(キャスター)」を雇っており、通りゆく人々に黒糖とミルクの甘い香りの脳波を散布している。


 通行人は皆、うっとりとした表情を浮かべる。


 脳で直接感じる濃厚で純粋な香りに勝る体験はないからだ。


 残念なことに、レイアにはその香りが全く“匂わ”ない。


 彼女はこの世界でも極めて稀な「無脳力者(ゼロ・ユーザー)」だ。


 自分の脳波を他人に送ることもできなければ、他人の脳波を受け取ることもできない。


 社会は無脳力者に対して冷淡だ。


 レベル0の「受動者」であれば訓練次第で能力を向上させられるが、無脳力は先天的な欠陥であり、一目で見分けがつく。


 脳力が全ての世界において、彼らはどんな仕事にも就けず、誰とも心を通わせることができない。


 それはまるで、真昼の暗闇を歩く盲人や、喧騒の中の聾者のような孤独だ。


 幸いなことに、保護者であるナツ先生は偉大な発明家だった。


 彼が開発した「脳波受信機(レシーバー)」は、レイアのハンディキャップをいくらか埋めてくれた。


 他人がレイアに向けて放った脳波を、機械が音声データに変換し、耳の中で読み上げてくれるのだ。


 これにより、彼女はなんとかレベル0の受動者を装うことができていた。


 あくまで“聞こえる”だけだ。


 脳波によって直接投影される映像、匂い、感情、そして公共の脳波放送や遠距離通信は、受信することができない。


 レイアがタピオカ店のドアを開けると、テーブルに突っ伏して寝ているLKが目に入った。


 彼は「座れるなら絶対に立たない、寝られるなら絶対に座らない」を地で行く男だ。


 一言で言えば、筋金入りの怠け者。


「俺と怠けさを競うな。競うこと自体が面倒くさい」というのが彼の口癖だ。


 気配を感じたのか、LKが顔を上げた。


 寝起きの整った顔立ちは、どこか幼く、ぼんやりとしている。


 LKとレイアは同い年で、どちらもナツ先生が夕食後の散歩中に拾ってきた孤児だ。


 LKを拾った時、ナツ先生は首輪に「LK」と刻まれた黒猫も一緒に拾ってきたという。


 気だるげな少年は、テーブルに手をついてゆっくりと立ち上がった。


「タピオカ買ってくる。いつものウーロンミルクティー、甘さ控えめ・氷なしでいいか?」


 夕暮れ時、商店街は徐々に賑わいを見せ、あちこちで3Dホログラム看板が極彩色の光を放ち始めた。


 中でも一際目を引くのは、ストーム・テック旗艦店の巨大スクリーンだ。


 そこには今最もホットなゲーム『最初(オリジナル)・ファンタジア』の広告が流れている。


 広告パネルの明滅する光が、タピオカ店の一角を照らした。


 窓際に座るヘッドホンをした青年が、ガラス越しにぼんやりと外を眺めている。


 彼は周囲に対して全く反応がなく、まるで悟りを開いた僧侶のようだ。


 だがそれは見かけだけで、彼の脳波は今、最高潮に活性化している。


 彼は『オリジナル・ファンタジア』と同時発売されたフルダイブ型ホログラム・ヘッドセットを通じて、仮想現実のゲーム世界に入り込んでいるのだ。


 残念ながら、すべてのフルダイブ型ゲームはレイアとは無縁だ。


 プレイするには最低でもレベル1の脳力が必要とされる。


 彼女は羨ましそうに、呆けているように見えるゲーマーたちを見回し、彼らが別次元の宇宙を飛び回っている姿を想像するしかなかった。


 LKに関しては、ゲームを買わない唯一の理由は――金欠だ。


 ふと、ガラス窓の外で小さな騒ぎが起きた。


 黒塗りの高級車が列をなして通りに入ってきた。


 すべての車のボンネットには王室の紋章――「光の女神」の旗がはためいている。


 レイアが暮らすこの国には、名目上の王室が存在する。


 現在の王室メンバーは国王夫妻とその3人の子供たち。


 そのうち、王位継承者である第一王子はすでに成人している。


 国王を含む王室メンバーに政治的実権はなく、彼らは国家統合の象徴に過ぎない。


 チャリティーイベントに出席し、スポーツ大会で開会宣言を行い、様々な声明を読み上げる。


 彼らはギャラが発生しない国家の広告塔であり、国民的アイドルだ。


 黒いスーツの警護官(SP)たちが次々と車から降り、一列に並んで野次馬を整理し始めた。


 中央の車から、LKと同じくらいの年頃の少年が降りてきた。


 一見すると、ブレザーの制服を着たその少年に特別なところはない。


 しかし、その落ち着いた足取りや、一挙手一投足に滲み出る気品は、彼を周囲から際立たせていた。


「あ、リトル・プリンスだ!」


 誰かが叫ぶと、瞬く間に周囲の人々は脳波通信で「王室が街に現れた」という情報を共有し始めた。


 この「リトル・プリンス(小王子)」ことロイ王子も、ある意味不遇な身の上だ。


 若くして王位継承権を剥奪されたのだが、その主な理由は「脳力が絶望的に低いから」だと噂されている。


 もちろんこれは民間のゴシップに過ぎず、真実は誰も知らない。


 レイアはガラス越しに王子の動向を見守った。


 彼もフルダイブ型ヘッドセットを買いに来たのだろうか?


 王子は真っ直ぐにその店へと向かっている。


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