第2話 バイト先に異世界が落ちてきた

 ──同じ日。夕暮れも近いJR新宿駅前。


 朝倉真琴は、西口ハルクの足もとで、道行く人に埋もれながらチラシを配っていた。




 いたずらウイッチのコスプレで彼女が抱えているのは、焼肉店のハロウィンイベントのチラシだ。


 歩行者信号が、赤に変わった。


 オオカミ娘の着ぐるみのほうが友人で、人通りがいったん途絶え、その友人が真琴を見た。


「じゃあ、マコトのお父さんって、本当のお父さんじゃないの……?」


 真琴は、チラシの残りを確かめる。


「そう。ボスって呼んでる」


 信号が変わり、人が流れ始めた。


「反抗期的な意味で?」


「ちがうかな。事故で入院したとき、はじめて自分の血液型を知ってさ」


 両親はふたりともO型。けれど自分はAB型だった。


 友人も、手を動かしながら言った。


「血がつながってないってことか」


「わたしは知りたいわけよ。朝倉真琴って、ほんとうはどこから来た誰なのかって」


 真琴は、配る手と笑顔は止めないものの、


(それがわかんない限り、どうも人生が落ち着かない……)


 胸のなかで思いながら、目を曇らせた。


 友人が肘を当てて来た。


「ほら、笑顔、笑顔!」




 サキュバスとゾンビナースのコスプレをした二人組が、一緒に写真を撮ろうと自撮り棒を見せてきた。応じて、多めにチラシを受け取ってもらう。


 見送って、真琴が口を開いた。


「でもヒントはたぶん、昔っからよく見る、あの夢なんだよね」


「赤いマントで、青いよろいの勇者の夢?」


「そう。今日も久しぶりにみた」


 いつになく鮮明だった。息絶える少女が、勇者の胸に抱かれていた。


 すこし、胸が高鳴った。


「まぁ、なんかのトラウマかなって思うんだけど……」


 友人が口をゆがめた。


「トラウマぁ? その割に嬉しそうな顔してんじゃん」






 そのとき、ふたりの前に、壁のように立ちはだかる三人の影が現れた。


 中央の一人は、黒い仮面をつけ、黒のローブをまとっていた。


 周りのざわめきが、すっと遠のいていく気がした。


 見上げると、漆黒の仮面の中、左眼のスリットを縦に裂く金の亀裂が走っている。


 胸騒ぎがした。どこか見覚えがあった。かすかな頭痛の中に、冷たい石敷きの暗い記憶がちらついた。




 彼女らを見下ろしたまま、黒い仮面はつぶやいた。


「そうか。女僧侶キターラは、そのほうに転生したというわけか」



 

(キターラ?)


 面と向かって首をかしげるわけにもいかず、さりとて無視するわけにもいかず、真琴の指が何度か上滑りしながらチラシを一枚とりわけた。黒い仮面と金色の亀裂にはどこか見覚えがあったが、やはり、どうにも思い出せない。


 けれど顔をしかめていたようで、また肘で脇腹をつつかれた。


 見ると、友人の目が言っていた。「とりあえず褒めとけ……!」、と。




 真琴は友人に頷き、そして仮面を見上げた。


「き、気合いはいったお衣装ですね……」


 そして、愛想笑いでチラシを差し出した。


「この先の焼肉店でキャンペーンやってるんです……この通り、コスプレのご来店ですとお肉がサービスなんです」


 




 黒い仮面の横から、真紅の胸甲をまとった女剣士コスが歩み出た。はっきりした顔立ちで美熟女感がすごいが、二の腕も太腿もあらわなままで寒くはないのだろうか。


「魔王さま。こうなると、勇者もこの世界に来ているかもしれません」


 真琴はもう一枚、彼女用にチラシを重ねた。


「も、もちろん勇者コスでも構いませんけど……あ、その方、遅れていらっしゃる感じですか?」


 女剣士は、真琴のムートンブーツの先から髪まで面倒そうに一瞥し、仮面へと振り返った。


「ひとりでいる内に、この女僧侶は始末しておきましょう」


 真琴は思わず復唱していた。


「しまつ? それに、ふたりですけど」


 真琴が横を見ると、オオカミ娘の友人が、まきこまないでと言っているかのように両手と首を振った。


(笑顔しろよ……)


 真琴は、友人に向けて眉をピクつかせた。


 その横から、蛮族コスの筋肉男がチラシを摘みとっていった。


 男は、取ったチラシの中で焼けている肉の画像を、太い鼻で嗅ぎ、舌でべろりとなめたが、味がしないのか、つまらなそうに顔をしかめた。




(世界観がつよい……)


 真琴は、足もとに置いていたリュックサックを友人のものと二つまとめて、静かに抱きあげた。


「……と、ともかく、コスだと、ハロウィン期間は一皿サービスなんで」


 背中に友人を隠しながら、その手を引いて三人に会釈し、急ぎ足で立ち去ろうとした。


「よかったら、この後にでもぜひ。……それじゃ……」


 だが黒い仮面は、見えない巨大な手の指で、真琴の背中のフードを摘み上げた。


「え……?」


 彼女のカカトは宙に浮いていた。そのまま黒い仮面の前に正対させられていく。


「な、なにこれ、手品?!」


 動揺する彼女をみあげて、行き交う人たちが、スマホを手にしたまま避けていく。なかには少し離れた所から動画で撮影を始める者もいた。


(そうか……!)


 真琴は直感した。これは迷惑な配信者か何かだ。ドッキリの撮影に違いない。





 彼女は、着ぐるみの友人にリュックを投げ、「行って」と目配せした。友人は顔を真っ青にしてうなずくと、駅のほうに駆けていった。


 真琴は、なにか見えない力につり上げられたまま、腕を組み、仮面を睨みつけた。けれども内心ではほっとしていた。友人だけでも逃げてくれれば安心してキレられる。




 呼吸をととのえると、自分の腰を両手で叩いて、気合いを入れた。


「あのね、なんの手品か知りませんけどね……!」


 黒い仮面に開いた両眼のスリットに、歪めた顔を近づける。


「ドッキリの撮影だったら、事前に許可をくださいね?!」


 けれど、その仮面の金の亀裂から、地鳴りのように、突然、脳裏にかけて冷たい大広間が見え、ゆらめく松明の灯りがフラッシュバックした。


 真琴は、宙吊りのままのけ反った。


「って、あんた、あの夢の……魔王!」




 黒い仮面の魔王は、真紅の胸甲の女剣士の足もとへと、真琴を魔力で吊り下げたまま降ろした。


「……ニーム。この女僧侶の処分は任せる。のちほど合流しろ」


 そう名で呼ばれた女剣士は、真琴の襟元を掴んで立たせた。


「有り難き幸せ。で、魔王さまはどちらへ?」


「この世界、備えはどれほどなのか知りたい。つついてみる」


 魔王のローブがひるがえった。


「付き合え、ソルバウ。威力偵察だ」


 ソルバウと呼ばれた筋肉男は、湿ったチラシのシワを律儀に伸ばし、真琴へ返すと、黙ったまま斧を担ぎあげ、その背中につき従った。




 両名を見送る女剣士・ニームに肩を組まれたまま、真琴は首をすくめた。


「……あの」


 そう言いかけたところで、ニームの指先が、真琴の小さなあごを持ちあげた。


「なあに」


「いや……夢の中とかで、お会いしたこと、あります……?」


 ニームは、彼女のいたずらウイッチの衣装に目を上下させながら言った。


「そうね。こっちはさっき会ってたところだけど、いつ魔法使いに転職したの、キターラちゃん」


 真琴は顔をそむけ、眉を寄せてひとりごちた。


「だからキターラって、誰……!」


 ニームの真っ赤な爪の先が、真琴のうしろ髪の乱れを整えた。


「とぼけんじゃないわよ。あなたの名前じゃない。この髪はこっちで染めたの? なかなかいいじゃない」




 そして集まり始めている野次馬を見渡し、ニームは鼻を鳴らした。


「で、どうなの。勇者はどこ。今日は別行動?」


 真琴の胸で心音が、一つ、はね上がった。思わず身をのりだした。


「勇者って、それ、青い甲冑と赤いマントの男子のことですか?!」


 ニームは、まつ毛をしばたかせ、納得したように言った。


「──そう。わかったわ。あなた記憶がないのね。じゃあ処分で」


 言いながら彼女は胸甲のサイズを固定する留金を外した。


 けれど、真琴は、それが何を意味するか知らない。


「いや、でも、さっき遅れて来るっておっしゃってましたよね、じゃあ、勇者さんもここに来るってことですか⁉︎」


 ニームは可笑しそうに笑んだ。


「さぁ。あなたが知らないものは、アタシにもわかんないわ」


 言いながら、彼女の身長がひとまわりも大きくなっていく。


「あるいは、間に合わなかったのかもね、たぶん、その勇者は」


 巨大化していくニームの手の爪がカギ状に変化し、真琴の両肩を鷲掴みにしたまま、とらえて離さない。強く引き寄せられて、首すじに濡れた牙が触れた。


 その姿は二メートルを越え、額から二本の角が生えている。


「さて。名残りは惜しいけれど……キターラちゃん」


 足がすくみ、膝が震えた。見上げたまま動けなかった。


「ここでお別れよ。ひと仕事の前に、ランチにさせてもらうわね」


 真琴は腕を突っ張った。


「ち、ちょっと待ちましょう、なんか思い出してきました……!」


 鬼面のニームは、首筋に吐息をふきかけて甘やかに焦らす。


「そうなの? もう遅いわ、さっきはね、魔王さまに取られちゃったのよ。美味しそうな魔法使いだったんだけどさぁ……」


 枯れ葉のようになった遺骸が目に浮かび、真琴は思わず目を閉じた。腕を突っ張ったまま、動けなかった。助けを呼ぼうにも、声が出ない。






 ──そこに、青い影がとびこんだ。



 タイヤを斬って断つような音がして、直後、風に足もとをさらわれたように体がふっと浮き、次の瞬間には──


 もう、真琴の腰は、勇者の片腕の中に収まっていた。



 薄目を開くと、視界いっぱいに赤いマントがはためいて、自分たちは遊歩道の下スレスレ、宙にいた。







 足もとの群衆は、ハロウィンのイベントか、フラッシュモブのたぐいだと思っているのだろう。あちこちから「やば」「はやく、スマホ!」と声があがっている。


 そんな歓声の中、車道へと、勇者は着地した。


 抱えられたまま真琴が見上げると、彼の横顔は精悍で、黒い髪色も、青い甲冑も、片手で持つ剣も、夢と何一つ違わなかった。


 ハルク前の歩道に目を向けると、巨大化した鬼面の女剣士の足もとに、カギ爪の手が落ちている。


 その鬼面が歯噛みして、先の無い右手首を掴んだまま、黄色い目でこちらを睨みつけていた。




 勇者が、小脇に抱く真琴へ目をくれた。


「待たせたな、キターラ!」


 仔犬のような笑みだった。




 動悸が、胸を内側から叩いた。


 が、すぐに、彼は、鬼面の巨大な女剣士へと、険しい視線を戻した。

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