勇者04──防衛省異世界対策室の少年

朱実孫六

禁忌魔法の少女

1 死と再生

第1話 禁忌魔法の少女──その夜、勇者パーティは消えた

 ──その夜。


 勇者パーティは魔王城で窮地を迎えていた。




 石造りの間に、松明が揺らめいている。


 女僧侶キターラは、勇者の腕の中、瀕死のまま、なおも魔王をにらんだ。


「卑怯……」


 そのうめきに魔王は低く笑った。


「卑怯とはどちらのことか。多勢で押しかけて。のう、女僧侶」


 彼女を胸にいだく勇者は、仲間ふたりの亡骸を目に、唇を噛みしめた。


「いや……すべては、この僕の甘さのせいだ」






 仮面を割られた魔王が、蛮獣の戦士と美貌の女剣士を召喚したのが、つい先ほどのこと。


 退路の間口からも屍鬼の群れがあふれてきた。


 勇者たち四人は、包囲され、背中あわせに武器を構えるしかなかった。




 すぐ、蛮獣の戦士が跳躍し、勇者の剣に白い火花が弾けた。剣と斧がぶつかり火花を散らす音が、次第に遠のいていく。


 闇の中、赤い光が走り、キターラは勇者を防御魔法で囲った。しかし魔王の狙いは彼女だった。魔法弾が急に向きを変えて、鼻先で炸裂した。受け止めきれず背中から石壁にたたきつけられた。


 それきり壁際で倒れ、彼女は肺がつぶれたのか、肩で息をしていた。


 閉じゆく瞳に、青い光の残像が映っていた。屍鬼を盾にして、挟み撃ちの魔法弾を爆発させる戦士と、闇の中を駆けめぐり、その爆炎の中から蛮獣へ斬り込んでいく勇者の光だ。


 けれども形勢は、しだいに魔王の手中へと落ちていく。


 天井の継ぎ目から、何度も埃がこぼれた。






 静寂に気づいて、彼女が目を開けたとき、玉座の間には、松明の炎だけが揺れていた。


 見ると、戦士は、すでに息絶えていた。


 魔法使いは、生きたまま、魔王の渇きをうるおす血袋になったらしい。枯れ葉のような骸となって今はその足もとに転がっている。




 キターラは、青い手甲の腕に頭を支えられ、わずかな声をしぼり出した。


「……勇者、さま……」


「しゃべるな、呼吸をつづけろ」


 目をあけると、彼の顔が見えた。安堵した。勇者の目は、まだ暗闇の向こうに活路を探している。


 しかし、彼女は、からだと首に力をこめた。


「禁忌魔法の、使用許可を……ねがいます」


 勇者は彼女の顔を覗きこんだ。


「いや、だめだ、命には換えさせぬ」


 けれど、キターラは知っている。自分の命の残り火を。


「この世界を……救うには、もう……」


 閉じた目に、勇者の歯ぎしりが聞こえた。


 彼の腕を枕に、キターラは微笑んだ。


「どのみち、わたしは、もちません……」


 勇者の腕の中、精いっぱいの息を吸いこんだ。


 思い残すことはない。


 最期のさいご、望みは、こうして叶っている。




「勇者さまは、どうか、ご転進を」


 そこでいっそう強く自分が抱きしめられたことに、薄目がひらいた。


 触れあう位置に、彼の頬があった。


「わかった。だが一緒にいくぞ。キターラ」


 彼女は微笑んだ。


「なりません……」


 重たくなった腕を持ち上げて、勇者の髪にそっと触れた。


「まだ、よろいが光っています」


 彼は黙っていた。




 魔王の声が暗闇に反響した。


「別れはすんだか」


 魔王が手を突き出すのが見えた。魔力でこちらを握りつぶしていく気にちがいない。


「たむけだ。望み通り、ひとつにしてやろう。余の手でな」


 縮まっていく空間に、勇者の骨がきしむ。身を突っ張って抵抗しているのだ。


「……すまなかったな。寂しい思いばかりで」


 涙があふれた。


「いいえ、たのしかったですよ……」


 本心だった。


 ほかに何を言えたろう。彼女は勇者の背を、そっとなでた。


 そのまま背中に両腕を回し、呪文を口にする。


 世界と世界の境を穿つ、一族の禁じられた術式。


 あたたかい音韻の、故郷の言葉が迎えに来た。




 時の輪が、動き出したように、空気が震えた。


 直後──


 瞬間、次元が縦に裂けたことも──


 勇者が、キターラに口付けしたことも──


 力が抜けた、その後のことを、彼女は覚えていない。






 ◇ ◇ ◇






 ──平成38年、10月31日。日曜日。




 朝倉真琴は、スマホに起こされて頭をかいた。ベッドの上で大きく伸びをする。


「んー……!」


 そこで、夕方のバイトを、思いだした。


 しまったと眼鏡をとり、スワイプするスマホには高校の友人の名が見えた。


「ごめん、寝てた!」


 友人の声は落ちついていた。


『だと思ったから、早めに連絡したよ』


 真琴は、髪にクシを入れている手を止め、口を開いた。


「へぇっ⁉︎」


 友人は穏やかなまま告げる。


『まだ三時だよ。外、見てみなよ』


 振り向くと、西新宿の空が霞んでまだ青かった。


「よかった……」


『ゆっくり用意しなね。確認するけれど、場所は新宿ハルクの前だかんね』


「わかった。ありがと」


 通話を切った。


 遠くで解体工事の音がしている。


 まだ動悸がしている。久しぶりにみたあの夢のせいだ。真琴は寝癖のついた黒髪の毛先を摘んだ。


「なんで夢だと、そういえば白いんだろ」




 そのとき、ふと、誰かに呼ばれた気がした。


 彼女が振りむいた窓の外で、西の空は晴れている。


 そう。晴れてはいる。だが、その先が妙に気になって、目を凝らす。


 新宿の高層ビル群が、霞んで見えている。


 その下に、誰かがいる──。


「だとしても、見えるワケないよね……」


 眼鏡を拭く。


 けれど、胸騒ぎは止まらなかった。




 久しぶりの夢。


 けれど内容は、やっぱりあの夢。


 子どもの頃から、何度も見てきた、同じ夢。


 青い鎧の少年と、白い髪の少女の、しあわせな旅が終わる、切ない夢……。






 ◇






 ──同じ頃。


 勇者がマントの裾を払って立ち上がると、そこは晴れわたった空の下だった。




 車道──というものを彼が理解しているはずもない。


 迫ってくるトラックを振り向きざま、彼はクラクションごと両断した。


 剣をしまう。


 真っ二つになった車体の右半分は、運転手ごと中央分離帯に乗りあがった。もう半分は、ガードレールに火花をあげて燃えあがった。


 勇者は、逃げ去る運転手の背中を目で追った。


 ビル風に、マントと炎と黒煙がたなびく。


 歩きだすと、道の端で足をとめた人々が、薄い箱のようなものをこちらに向けてくる。


 勇者は、彼らの前を行きながら、並び立つ巨大な塔を見あげた。


 陽光を反射する高層ビルが、空を囲むようにそびえ立っている。


 真紅のマントをたなびかせながら、兜の先をあげた。勇者は天を仰いだまま口を閉じられずにいるようだった。




 緑まばらな、そこは──新宿副都心。


 ここが東京だということを、まだ彼が知る由もない。


 けれど、その時。


 背中からの風に、かすかな気配がした。


 マントの少年は、通りで振り向いた。


 空の向こうで、今、彼女がこちらを見た──ような、そんな気がした。


「生きて、いるのか……キターラ」


 そうつぶやいて、彼は顔を明るくした。

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