新職場

「本日からお世話になります、回夜徹です」

 月山細菌研究所西棟一階、警備部オフィス。先日まで籍を置いていた会社とはまるで設備の違うそこで、回夜は新人として挨拶をしていた。

「えー、至らぬ点も多々あるとは思いますが、皆様より温かいご指導をいただけますと幸いです。何卒宜しくお願いいたします」

 そこまで言い切って、頭を上げた。大きい研究所だから人員も結構いるのかと思ったが、案外そうでもなさそうだ。少なくとも、回夜の挨拶を聞くためにオフィスにいるのは一〇名もいなかった。その中に、あの夜見た二人はいない。

 というか、雰囲気に張り詰めたものがない。あんな立ち回りをするような人たちの部署だから、もっと針の筵めいた空気を想像していたのだが、拍子抜けだ。

 ぱちぱち、と疎らな拍手が送られる。それから、各々自分の席まで散っていく。歓迎度合いでいれば中の下、といった肌感覚だ。正直言うと、長続きする気がしなかった。

 しなかったが、給金は凄く良かったので受け入れるしかない。そろそろ単車が欲しかったし、外食の機会が増やせれば日々の雑務が楽になる。

 何より、引き込まれた事情が事情だ。軽々に辞めさせてはくれないことは想像に難くない。職業選択の自由はどうなってんだ、と思わなくもないが、そこをカバーしあくまで自由意思で在籍してもらうための手段があの俸給なのだろう。

 大人の世界だなあ、とアホのような感想を抱きながら、用意された自分の席に向かうべく、壁掛けの座席表に顔を近づける。

 ない。名前がない。……、まあそりゃそうか。回夜の転籍出向なんて昨日の今日の話だ。こういったものの更新だって追い付くまい。しょうがないので適当に人を捕まえて聞くことにしよう。

 そう思い話しかけやすそうな人間を探そうと、視線を座席表から離すのと同時に肩を叩かれた。

 さては困っている新人を察知して助けてくれる心優しい先輩か、と先程の居心地の悪さも忘れて笑顔で振り返れば、仏頂面の女性が腕を組んで待っていた。

 昨日の研究室で見たような、拳銃をぶっ放す大男のような人間ばかりの部署かと思っていたから、女性がいるのは意外だ。というか、この業態自体に若い女性は少ない。

「回夜さんの案内係兼指導役の金居かないです」

 金居は腕を組んだまま、顔に見合った素っ気ない口調で名乗る。長身の回夜よりは小さいものの、一般的な女性と比べれば少し大きいため威圧感がある。

「あ、はい。金居さん、宜しくお願いします」

「キミの席、今ここにはないから。ついてきて」

 言うが早いか、金居はくるりと踵を返す。その拍子に、長いポニーテールが軽やかに揺れた。

「あ、はい」

 席がないのは流石にどうなんだ……? と思わなくもないが、やはり急だったからしょうがないのかもしれない。今から多分、備品室なんかに取りに行くんだろう。どこだって新人の仕事は雑用からだ。自分の仕事空間の確保もそれに含まれるんだろう。

「にしても、災難だったね。見たんだって、アイツ?」

 エレベータホールで待つ間、金居が声をかけてきた。

「アイツ、っていうと……例の泥棒ですか」

「そう、泥棒」

「ええまあ、見ました。見たんですけど、何が何だかって感じです」

 人間離れした身体能力をしていることくらいしか、『彼』については分かっていない。たったそれだけ、それだけの情報を部外者に握らせないために、自分は引き抜かれた。

 まるで、人間離れした人間そのものを外部に秘匿したいかのようだ。

「……、何なんですかねアレ」

「さて、何なんだろう。私にも分からないかな」

 明らかに誤魔化しと分かる声音だ。唾が苦くなってきた。

 続けて問いかける。

「何か銃も撃ってましたよね、あの時」

「撃ってたみたいだね。私はその時いなかったから知らないけど」

 それは事実かもしれないが、反応はそうじゃないだろ。

 エレベータの磨かれた扉。そこに映り込んだ金居の目を見る。

「………、一応、違法、ですよね?」

「治外法権なんじゃない?」

「いやいやいやいや……」

 チーン、とベルの鳴るような電子音。ゆっくりと開かれたエレベータに、先客はいない。

 事もなげに撃たれた銃。秘匿される怪物めいた人間。それらをはぐらかすような人。

 ――分かっちゃいたけど、分かっていた以上にヤバい。今からでもダッシュで逃げよう。

 そう決意したのは、金居に尻を蹴飛ばさた一瞬後のことだった。あまりにも見事なミドルキックだった。思わず前に転がり、どすんとエレベータに放り込まれてしまう。

「痛って、は!? 何すんだ!」

「もう面倒くさいから、そういうの全部あとあと。ほら、行くよ」

 回夜が立ち上がるより早く、弾くように階数ボタンと閉ボタンが押し込まれる。

「キミはもうちょっと早く警戒心を持った方がいいね。それかいっそアホを貫くか」

 仰る通り過ぎて耳が痛い。諦めて立ち上がり、貰ったばかりの制服の埃を払う。

 前に来ていたものとデザインはそう大差のない、青シャツにスラックス。備品の類はまだ何もついていないから身軽なものだ。今ので破れちゃいないだろうな、と尻のあたりを鏡で確かめる。幸いにして無事だった。

「……、俺ももう身内でしょ、詳細くらい教えて欲しいんですけど」

「もちろん教えるよ。でも、それはもうちょっとだけ後でね」

 何を勿体ぶることがあるのか。抗議をしようと思ったが、したところで何の意味もない予感があったので体力の温存も兼ねて黙っておくことにした。代わりに、右足がぱたぱたと苛立たし気に床を叩く。

 エレベータが止まったのは、地下二階だった。

 ゆっくり静かに扉が開けば、先には一本道の廊下が続いている。

 先行する金居の後をゆっくりと追い掛け、辿り着いたのは突き当りの扉。

「ここが今日からキミのオフィスね」

 その扉には、『月山細菌研究所警備部 内部警護課』のプレートが下がっていた。

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