内部警護課
扉には錠前が二つ縦に並んでいた。金居は慣れた手際で鍵を二本出すと、それぞれを差し込んでがちゃがちゃと開錠していく。そればかりか、何の変哲もない壁に社員証を当てれば、もう一度がちゃんと鍵の外れる音がした。大魔王でも封印しているのかと思わんばかりの厳重さだ。
部屋の中は、明るいとは言い難がった。
埃を被って本来の性能を発揮しているとはいいがたい照明。右手の壁際に並んだロッカーは、誰かが殴りつけたのか、一つは損壊している。
それから、別の壁際に並んだ拳銃のホルダー。この国において、警官以外に拳銃の携行は許可されてなかったような認識でいたのだが、どうも例外規定があったらしい。昨日にぶっ放されたのも、あのうちのどれか二つなのだろう。
それから、向き合うように並べられた四つのデスクと、それから少しだけ浮いた位置にある『課長』札の置かれたもの。つまり、最大でも五人の部署だ。こんな大きな研究所で、たった五人。
「て、転属早々窓際……? 言っときますけど俺、やりがいとか求めてないんで、無限に給料にしがみつきますよ」
「違うって。初日から印象良くないなキミ」
金居はそう言い、四つ並んだデスクの一つに腰を落ち着けた。他に人影はないから、上のオフィスと同じく手厚く新人を歓迎する文化がないのだろう。
「こっちからの印象もそんな良くないですよ、今んところ」
「だろうね。事情は今から話すから、まあ掛けなよ」
進められたデスクには明らかにやり掛けの書類や、私物と思しき小物があったが、その辺はいったん無視して椅子に腰を落とす。前の会社の椅子と、対して差のない座り心地だ。
金居は自分のデスクからチョコ菓子の小袋を取り出すと、一つ回夜に投げて寄越した。
「で、どれから訊きたい? 逃げた男か、持ち出されたものか、あそこの銃についてか」
「……、いやどれでもいいですけど、その前に他のことを訊いてもいいですか」
まだ小袋には手を付けず、回夜は少しだけ言い淀んで、それでも問いかけてみた。
「警察に盗難届、出しました? 出してないですよね?」
――、にこりと金居が笑みを浮かべた。仏頂面から一転、花の咲くような笑みだった。
「正解。でも不正解。それが予測できる頭があるなら、キミは元の上司を殴り倒してでもここに来るべきじゃなかったよ。それを額面給与なんかに釣られるなんて」
ぱちぱちぱち、と小馬鹿にするような拍手をした金居は、自分の分のチョコ菓子をつまんで口に放り込んだ。
いくら頭の出来がよくない回夜と言えども、適法ではないであろう銃器と、それを用いてまで持ち出しを阻止しようとした物品。ちらと見ただけの警備員を安くない金で引き抜くなど、こうも情報が並べば多少は推測ができる。
「持ち出されたのは、きっとマトモな研究じゃない。例えば……、そうだな、細菌兵器みたいな」
禁止条約はどうなってんだ。そもそもいつからこの国はそんな物騒になった。そんな思いとともに、いっそ外れてくれと願いつつ口にした推測は、しかし笑顔のままで首肯された。
「それも正解。でも安心していいよ、兵器転用出来るようなものじゃない。ちょっと凶悪なマイコプラズマみたいなものだから」
「人殺すのには十分すぎるだろ! どうすんだよ、そんなの持ち出されて警察にも届けないって!」
どういう事情があろうが、やりがいがあろうがなかろうが、流石にはいそうですかと飲み込むことはできなかった。身を乗り出した拍子、机に積まれていた書類が滑り落ちるが気にしていられない。
「今からでも警察に届けろよ、コンプライアンスどころの話じゃないぞ!」
「私もそうしたほうがいいとは思うんだけどね。残念なことに所長はコンプライアンスより保身みたい。何より、警察が派手に動き出すと犯人がどう出るか分からないし。嫌でしょ? 取り囲まれた犯人がヤケになって市街地でバラ撒いたりしたら」
「それは、……一側面の憶測でしかないだろ!」
今からでも俺が警察に言ってやる。そう決意すると、回夜は席を立ちずんずんと歩き始めた。幸い配属されたての身の上だ。クビも何も怖くない。給金は惜しいが、不特定多数の命を天秤にかけるほどじゃない。秘匿義務だけならまだ飲み込めたが、逼迫した危機があるならそっちが優先されるに決まっていた。
あ、ちょっと、と引き留めようとする金居を後ろに置き去りに、入ってきた過剰施錠の扉に手をかけ、
「……なんだ、もう来てたのか」
扉は、回夜が触れるまでもなく勝手に開いた。目前には、見るからに鍛えていて纏ったスーツがはち切れそうな男が一人。その後ろに、もう少し小柄なものの、やはり警備服を筋肉で膨らませた男がもう一人。
そのどちらの顔にも、回夜は見覚えがあった。あの夜、男を追いかけ回し、挙句の果てに所内で拳銃を発砲した二人だ。
「あ、課長、お疲れ様です」
ああ、とスーツの男が返事をした。
「それで、新人は今からどこに向かう気なんだ?」
「いえ、それが――」
金居が言葉を続ける前に、回夜は自らの社員証を課長と呼ばれた男に差し出した。
「すみません。初日ですが辞めます。それで警察に行こうかな、と」
言葉と社員証を胸に叩きつけて、そのまま脇を通り抜ける。いや、通り抜けようとした。出来なかった。
がっしりと肩を掴まれたからだ。しかも生半可な力ではない。課長に負けず劣らず長身な回夜が、容易く振り解くことが出来ないでいる。
「まあ待て、挨拶くらいさせてくれ」
「離してくれませんか? ……いやほんと、ちょっと痛いんで」
「そうか。それはすまない。すぐに離そう」
一歩、課長が踏み出した。同じ分だけ、中に引きずり込まれる。
それから、あっけなく内に放り投げられる。同時に、もう一人の男も部屋に入って手早く扉を閉めた。
あまりの無力さに見上げることしかできない回夜を見下ろしながら、課長は手を差し伸べてきた。
「ようこそ、内部警護課に。コーヒーと紅茶ならどっちが好みだ? 好きな方を用意しよう」
……、これは長くなりそうだ。観念した回夜は、コーヒー、とだけ苦々し気に応じた。
夜を駆るもの 汐田カツユ @K_Shiota
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