第2話 静かな部屋、うるさい心

「ここ」

「知ってるよ、お隣さんなんだから」


マンションの四階。

エレベーターを降りてすぐ右の部屋の前で、遼が振り返る。


鍵が回る音はやけに大きく聞こえた。

玄関が開くと、ほのかに柔軟剤とコーヒーの匂いがした。

男の部屋の匂いじゃない。もっと落ち着いた、生活の匂い。


「おじゃましまーす!!」


ひなたが元気よく突入していく。

私も慌てて後に続いた。


「こら、靴脱いでから」


「ぬいだー!」


ほんとか?

まひるちゃんと一緒に丸めた靴下が転がってるんだけど。まあいい。


「散らかってるけど、適当に座って」


遼は淡々と言って、キッチンのほうへ歩いていく。

散らかってる——と本人は言ったけど、

最低限のものしかない、すごく整った部屋だった。


リビングの真ん中に、四角いゲーム機。

本体は古くて、コントローラーのボタンが色褪せてる。


「これね、これ!!ひな、このゲームだいすき!!」


「おまえ一回しかやってないだろ」


「いっかいやって、だいすきになったの!!」


遼、苦笑もせずに言う。

そのまま、小さくため息。


「ん?一回やったの?」

「…あぁ、前に遊びに来たことがあってね」

「それ!早く言ってよ!お礼もできてないじゃん!」

「別にいいって」

「よくない!ひなた!あんたも言いなさいよ」

「言った!!ひなたちゃんと言ったもん!!」

「白石さん、コーヒーでいい?」

「え?ありがとう、ってそうじゃなくて!」

「砂糖は?」

「なしで…いや、だから!」

「了解」


いつの間にか会話がすり替わっていて、コーヒーの話をしているうちに、

まひろとひなたはゲームに向かっていた。


私は子ども二人がゲームのコントローラーを奪い合っているのを眺めながら、

この部屋の空気をひとつひとつ確かめるように見回した。


テレビ、ローテーブル、棚、本数冊、観葉植物。

装飾らしいものはほぼない。

生活の気配は薄い。

けど——寂しい感じは、しない。


(落ち着く、って言えばいいのかな)


静かで、余白がある。

声を張る必要がないみたいな空気。


「どうぞ」


遼がマグカップを二つ持って戻ってくる。

木目のテーブルに静かに置く。


「ありがとう。……ていうか、ほんとにここに住んでるの?」


「どういう意味」


「いや、なんか、人の気配がないというか」


「掃除が趣味だから」


「趣味?」


「汚いと落ち着かない」


「へぇ……意外」


「意外?」


「なんか、もっと雑な人だと思ってた」


「それ褒めてないだろ」


「褒めてない」


「了解」


会話の温度はずっと低い。

でも、どこか心地よい。


「遼ーー! ひな、まけたーー!!」


ひなたの絶叫がリビングに響く。

まひるちゃんがガッツポーズをしてる。


「りょうのせい!!まひるちゃんばっかつよい!!」


「知らん。勝手にやってろ」


「ひなつよくなりたいーー!」


こういう時、普通なら一緒に笑うか、なだめるか、コーチするか。

でも遼は、一切やらない。

放置。

なのに、冷たい感じはしない。


(不思議な人だな、ほんと)


「白石さんはさ、友達多いの?」


唐突な質問。

視線はテレビのまま、声だけこっちに向けている。


「別に。普通」


「普通か」


短い返事。

そこで会話が終わる……かと思った。


「俺、あんまり向いてないんだよな。そういうの」


「そういうの?」


「人付き合い」


それだけ。

説明も、言い訳も、過去話もない。


私は視線を向けるけど、遼はコーヒーを見つめたまま。

感情の凹凸がほとんど見えない横顔。


「深く関わると、いろいろ面倒だろ」


「面倒って……何が?」


「全部」


返事が雑なのに、妙に重い。


何を指してるのかはわからない。

でも、きっと変に踏み込んではいけないやつだと、直感だけは働く。


「まぁ、別に困ってないし」


「なんか淡々としてるよね」


「生まれつき」


私は笑う。

遼は笑わない。

ひなたとまひるは、楽しそうにゲームで叫んでる。


そのうるささと、遼の静けさの差が、なんだかおかしくて。


(……不思議な人だな)


それだけが、胸の真ん中に残った。

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