おじさん公務員と思わぬ再会②
いかめしい面の老学者はブランシェに向かって、更にこう言い連ねた。
「第1に、こんな田舎の自称学者など素人同然、いやそれよりもたちが悪い。何の役にも立たないどころか、むしろ調査の邪魔です。
第2に、こんな素人を調査に同行させるなど、帝国の威信に傷がつきます。
第3に、やせっぽっちで目の下には大きなクマがある。こんな不健康そうな男が、モンスターが
それから馬上の老学者は私を見下して、――
「お前、名前はなんという?……ふんっ、トードー・アラタ?
ではトードーとやら?今、私が言ったことに何か反論があるか?」
――そう言った。
「マスター、彼は以前からこのグリーフ市で崩壊領域の調査をしているグラハム教授です。こんな風に気難しいところがある方なので、気を付けてください」
私の耳にブランシェはそっと耳打ちする。そして、グラハムに隠れて、茶目っ気たっぷりに私だけに悪戯っぽいウインクをした。
その後で、ブランシェは背筋をはっきり伸ばして、高らかな声音でこう言った。
「グラハム殿、マスターはかつてメリーベル公爵の下で学者をされていました。だから、まったくの素人というわけでは決してありません。
それに、この辺りについては、とてもお詳しいのできっと役に立ってくれるはずです。
さらに、マスターはかつて私たちに魔法を教えてくれた教師でもあります。だから自分の身は自分で守れるでしょう。
これでいかがですか、グラハム教授?」
ブランシェの答えは、その内容も態度も堂々たるもので、まさに”完璧な優等生”としか評価しようもない。
昔の私は、ブランシェに教えを説いていた教師のくせに、たびたびその隙の無い態度に、逆にどぎまぎしてしまうことがあった。そんなやや苦い思い出が、脳裏によぎる。
しかし、ブランシェの果敢な反論にも、グラハム教授は少しも動じずに――
「今はどうなのだ、ブランシェ殿?あなたはトードーは元・学者であると言った。
では、彼は今、何をしているのかな?」
――さらに反論する。
ブランシェは昨日、私が市役所で働いている所を見ているが、私が
だから、かわりに私が答えた。
「グリーフ市で地方公務員をしています――」
グラハムはそれ見たことか、そう言わんばかりに鼻で笑った。
「ブランシェ殿、帝国の正式な調査において、属州の地方公務員ごときを本気で頼りにされるおつもりか?」
「もちろん、そのつもり……」
ブランシェはやはり完璧な態度で答えるだろう。私はまた、そう思ったが――
「……って、マスター。今、地方公務員なんですか?一体、どうして!?
確かに、昨日は市役所でおみかけして……
あぁ、わかりました。そうですよね、故郷に尽くすためにあえて市役所を選び、その中で出世街道を歩んで、いずれは市長選に立候補を……えっ!?役職は特にない……?
マスターほどのお人がどうしてそんなことに――!?」
完璧な優等生のはずのブランシェの、ある意味、惚れ惚れするような狼狽っぷりだった。
「まぁ、いろいろありまして……」
フィールドワークの時間が減るのは嫌だ。
ただ、それだけの理由で出世したくないと思っている私としては、そう言葉を濁すしかない。
「茶番はもういい、司法官殿。それでどうされるのかな?正式な調査に、その下っ端地方公務員を同行させ、帝国の名誉を汚すのかどうか、そろそろ決めていただきたい」
「もちろん、マスターさえそれでよろしいならば――」
気を取り直したブランシェが改めて、私の方に向き直った、その時―――
「ふんっ、生粋の帝国民でもない女が何を言うか。少しばかり出世したからといって調子に乗りおって」
――グラハムがそう呟いたのが、さっきブランシェがささやいたのとは反対側の私の耳に届いた。
「わかりました、ブランシェ。私でよければ協力させてもらいます」
その不快な言葉を打ち消したくて、私は彼女の提案を二つ返事で受けた。受けてしまった。
それに何より、老学者との確執とかそんなことより、望んでいた崩壊領域の調査に参加出来る、それだけでもこの提案は、私にとって十分、魅力的なモノだと言える。
「ありがとうございます、マスター。グラハム殿もそれで構いませんね」
「ふんっ、好きにするがよい。どうせ調査はもう、あらかた済んでいるのだから」
こうして私は”崩壊領域”の調査に加わることになった。
「まずは、これを見ていただけますか?」
そう言って、ブランシェに渡された大きな一枚の紙を、私は膝の上に広げる。
一目見て、それが何かわかった。
何のことはない、それはメリーベルの地図だ。
ただし、その紙面上には紫の斜線で囲われた領域とそして赤い〇印が描かれている。
そしてほとんどの〇印には、完了を意味するであろう×印が上から書き加えられていた。
紫の斜線のエリア。その意味にも私はすぐに気づいた。
それは”崩壊領域”の場所を表している。
では、こっちの赤い〇と×印は一体……?
私が、その資料を食い入るように見つめていたその時、――
「司法官殿、それは私が多大な時間を費やしてようやく調べ上げた貴重な資料ですぞ。いわば機密事項に当たる。それをよそ者に軽々しく見せないでいただきたい」
――馬上から手が伸びてきて、私の手元からグラハムが地図を取り上げた。
「なっ、何をするんですかッ!?」
「トードーとか言ったな。お前に、私の貴重な研究成果を見せる義理はない」
「ちょっと待ってください。分かったことはお互いに共有したほうが、問題の解決にきっとつながるはずです」
「お前ごときに調べがつくようなことを我々、威厳ある帝国の学者が気づかないとでも思ったか?調子に乗るのも大概にするんだな――」
それ以降、グラハムにはまったく取り合ってもらえずに、私は指をくわえているしかなかった。
「すみません、マスター」
ブランシェが合図をして、調査隊は出発した。
私は馬を貸し与えられ調査隊に同行する。
その道中、グラハムの懐を見ていた。
そこにある地図を、老教授はまるで赤子でも抱いているように大事そうに抱えていた。その態度は研究機密を守りたい、ただそれだけが動機にしては少し過敏にも見えた。
「いずれ盗み見ることにしましょう――」
突然、そんな声が聞こえる。驚いて振り向くと、私の横でブランシェが、また悪戯っぽく笑っていた。
そこで私はようやく気付いた。
陰謀渦巻く帝国の中枢で、厳しい出世争いを勝ち抜いた彼女はもう、――完璧なだけの優等生ではない。
元・教え子のその”成長”を教師として、私は嬉しく思った。
さっきまで先頭にいたブランシェは、再びそこに追い付こうと馬を駆けさせ、私はそれを見送った。
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