おじさん公務員と思わぬ再会①


 今日は週末なのでお休み。


 こういう時、土日がかならず休みになる、規則正しい公務はありがたい。


 昨日の不祥事については、この週末でうやむやになってくれることを祈りながら、もう起こってしまったことはしょうがないので、私は今朝も趣味のフィールドワークに出かけることにした。


 リュックサックに必要なものをパンパンに詰め込み、その脇にはピッケルやら何やら必要なモノをかけて家を飛び出す。


 メリーベルが滅びて、デミザリア帝国に編入されて一つだけよかったことがあるとするならば、それはその日の気分で調査するものを選べること。


 当然、これはかつてメリーベルで学者をやっていた頃にはないことで、季節や気分に応じて何を調査するのかを、自分で考えられるというのは素晴らしい。


 言ってみれば、気ままなスローライフ気分だ。


「……痛てて」


 というわけで上機嫌で歩き出したのだが、すぐに昨日の火傷が痛みはじめる。私は家に帰り、布で患部をおおって再び歩き出した。


 メリーベルには豊かな水脈とたくさんの丘があり、丘と丘の間には川が削り出した谷がある。


 そのことはどこに行ってもちょっと丘に登れば、谷の底で暮らしている人々と豊かな自然が生み出す絶景が拝めるということ。


 穏やかな気候にも恵まれて、メリーベルは他のどこよりも暮らしやすい土地と言える。


 だが、それはそのままメリーベルの抱える欠点ともいえた。


 狭い谷でのつつましやかな暮らしでは、――


 平地にある人口を多く養える国。

 数多の戦争を経験した国。

 権謀術数などお手の物の国。


 ――そんな国力の面で比べ物にならない覇権国家に対抗する術を、身に着ける機会などない。


 だから十数年前、メリーベル公国はデミザリア帝国にいとも容易たやすく征服された。


「……うん、あの頃は大変だった」


 丘の上に登って、私は一息つく。


 かつてメリーベルと呼ばれたこの辺り一帯は、今ではグリーフ市と名前を変えている。


 かつてメリーベル公国に学者として仕えた私は、そのグリーフ市の下っ端公務員として、帝国に膝を屈してでも、この地に骨をうずめることを誓った。


 そのグリーフ市は今、非常に大きな問題を抱えている。


 それが――


 丘の下の集落、その畑の作物がドス黒い紫色に変色しているのが、ここからでも見て取れた。


 これは上から眺めているだけではわからないことだが、丘の中腹の茂みや林の中にモンスターが隠れているかもしれない。


 ――”崩壊領域”と呼ばれる深刻な土地の汚染。


 私も出来る限りのことをしようと思って一度、調査のために足を踏み入れたことがあるが、すぐにモンスターに遭遇し断念せざるを得なかった。


 無理してさらに奥まで入り込めば、強力なモンスターに出くわす可能性だってある。


 一人ではどうしようもない。


 目をそらしてはいけないのだが、しかし下っ端公務員に出来ることなどあるわけがなかった。


 それは逆に研究者だった頃にはない欠点で、きちんとした対策を立てるために必要な予算も、人員も、私の手元には何もなかった。


 だから、私は食事中に”崩壊領域”が目に入らないように、向きを変える。


 2度目の故郷の危機を、1度目と同じように見過ごして、やり過ごして、丘の上でお弁当を広げた。


 おかずはブランド地鶏・グリーフ鶏の照り焼きと名産品・パルバルの卵とじ。


 そしてデザートはもちろん”ピュロンの実”だ。


 この果物は私の大好物――。見た目はあまりよくないが、薄黄色の果肉はみずみずしくも歯ごたえがあり、甘すぎないところが特にいい。


 私がお弁当に手を付けようとしたその瞬間、


 ――あれよあれよと騎馬の一団に囲まれる。


 お弁当を片付けてその騎士団を迎えるとか、それとも盗賊とみて一目散に逃げだすとかそんな気の利いた反応を返すことも出来ず、私は座り込んだまま、まだ一口もつけていないお弁当を、ただ物欲しそうに見つめることしか出来なかった。


「おいしそうなお弁当ですね」


 その一団から一人が前に進み出て、私にそう言った。


 その複雑に編み込まれた金髪を、昨日はしばらく真上からじっと眺めていたので、すぐに彼女が何者か思い出せた。


「司法官殿、偶然ですね。昨日は助けていただいて、ありがとうございます」 


 私はあわてて弁当を脇に置いて立ち上がり、自分より身分の高い彼女に頭を下げ、礼を言った。


 しかし、金髪の司法官は昨日と同じ、見惚れるほど華麗な動作で馬をおりると、首を振る。


「――それは違います」


 彼女ははっきりとそう断言した。私は何か失礼をしてしまったのかと思い、あわてて聞き返す。


「司法官殿、申し訳ない。私はまた何か粗相をしでかしてしまったのでしょうか?」

「いえ、私が言いたかったのは、そういうことではありません。


 これは全く偶然なんかではなく――」


 金髪の司法官は、私に笑顔を浮かべながら、更にこう続ける。


「――、私はあなたに知恵をお貸しいただきたくて参上したのですよ」


 ……マスター?司法官殿にそんな風に呼ばれる心当たりが少しもなく、私は首をかしげた。


 しかし、やはりその響きに聞き覚えがある気がした。


「すみません、司法官殿にマスターなどと呼ばれる心当たりが私には……まさか、ブランシェですか――?」

「ようやく気付けていただけた。そうですよ、あなたの教え子のブランシェですよ。


 まぁ、私も昨日の事件の際、ようやくマスターに気付いたのですけれど」


 司法官殿がやはり笑顔で頷いたので私は腰が抜けるくらいに驚く。


 このメリーベルで学者をやっていた私はその当時、公爵様に出してもらっている研究費用の対価として、領内の子供たちに魔法を教える魔術教師でもあった。


 その時の教え子の一人、ブランシェ・ホープフルが、たまさか帝国で司法官まで出世しているなんて。


 驚きのあまり、私は天を仰ぐ。


「そんなことが……いえ、まずはお祝いを言わせてください。

 本当におめでとうございます」

「ありがとうございます。これもマスターの教えのたまものですよ」

「そんなことは……あなたは私にはもったいないくらいの優等生でした」


 心の底から、私はかつての教え子に賛辞を送る。


「ところで――」


 一通りの社交辞令を終えた後で、ブランシェは話を切り替える。


「マスター、我々は現在、崩壊領域に関する調査を行っています。ぜひその知恵をお貸し願えませんか?」


 私がブランシェの唐突な提案を驚きと共に受け取った、まさにその時、しゃがれ声の怒声が鳴り響く。


「司法官殿、いけませんぞッ!デミザリア帝国学会より派遣された教授の私を差し置いて、このような得体のしれない田舎学者に頼るなどまったくいけませんぞッ!!」


 これでもかと金糸で装飾が施された黒のローブを身にまとったひげ面の老人が、いかめしい表情で、私を馬上から見下していた。


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2025年12月8日 16:00
2025年12月9日 16:00
2025年12月10日 16:00

おじさん地方公務員、亡国を再興する。 ~敵国で出世した元教え子たちと0から始める国おこし~ 天衣縫目 @nuime-amai

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