第2話 笑いとは「思考と感覚」である
笑いとは「思考と感覚」である
理性の抽象的な認識と、肉体の原始的な反応の統一。
観念の矛盾が検出され、結果が即座に生理的振動へと変換される。
この精神と身体の瞬間的な合致こそが、存在の真実を検証する行為である。
――汐見克也
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
裏通りにひっそりと
二人は重厚な一枚板のカウンターに並んで座った。
汐見の前にはコーヒー、大翔の前にはメロンソーダ。
「やっぱりここは趣があるというかええ雰囲気やな」
大翔がゆっくりと店内を見回す。
「来る途中で腹も満たしたし、やっと落ち着けるわ」
汐見はゆっくりとコーヒーを一口飲んだ。
「落ち着く」
◇
「結果の発表って何時やっけ?」
「全組のネタが終わってからだから二十時頃じゃないかな」
「なんや、まだ三時間ぐらいあるやん」
「かなりの長丁場だからね」
大翔が椅子の背もたれに寄りかかる。
「次のネタの確認するなり新ネタ考えるなりしとくか」
「さすがにまだ何か考えたい気分じゃないかも」
「それもそうやな、たまにはのんびり過ごすのもええか」
「そうだね」
汐見は鞄から本を取り出し、大翔はスマホを触りだす。
静かな時間が流れる。
少しして、汐見がパタンと本を閉じた。
「大翔」
「どした?」
大翔が顔を上げる。
「『面白い』って、なんなんだろうね」
「って、やっぱり結局何か考えとるやん」
「意識はしてなかったけど、すっかり習慣になってしまってるみたいだね」
汐見が本を鞄に戻す。
「武闘家の龍さんは『考えるな、感じろ』って言ったんや」
大翔はニヤリとした。
「『面白い』は考えるより感じるものや」
「そうかもね。でも僕にはわからない」
「すまん、今のは汐見の真似してうまいこと言おうとしただけやねん」
「ああ、気にしてるわけじゃないよ」
汐見の口がごく
「哲学者のプラトン、デカルトは思考こそが重要であり、感覚は不確かなものだと言った」
「急に何の話!?」
「そしてカントは、感覚だけでは知識は得られず、思考の概念と結びついて初めて経験となると考えたんだ」
「いきなり哲学者三人出て来たで! 俺が龍さんの話したからお手本なんか?」
大翔は頭を抱えた。
「ひたすら型をなぞる流派の武闘家の言葉であれば、思考をするより感覚をとぎすませよという教えなのかもしれない」
「お、龍さんの話やな。ちゃうで、あの人は実践的な武術の創始者なんや」
「そう。で、あるなら言葉の意味が変わってくる」
「は? どういうこと?」
大翔が首を傾げる。
「『Don't think. Feel.』は実践においての心構えを説いた言葉なんだ」
「映画やと弟子の稽古中に言った台詞やな」
「そう。頭で考えずに体が動くことを意識して鍛錬するということ」
大翔は手のひらを上に向け、クイクイと動かした。
「結局あんま考えんなってことやろ? 何かちゃうとこある?」
「裏を返せばそれは、鍛錬以外の時間に思考を終わらせておくように伝えてるんだよ」
「考えんでも動けるように他の時に考えとけってことか!」
「その理解でいい」
「そんなん、めっちゃ考えんとあかんやん!」
大翔が上げていた手で額を叩く。
「漫才にも同じことが言えるかもしれない」
「え? ほな普段ずっと考えてる汐見が正解ってことやん」
「僕は、舞台上で考えすぎてるのかもしれない」
汐見が視線を落とす。
「舞台で考えんでええように練習せなあかんてことか!」
「うん。大翔は普段から実践できていると思う」
「確かにあんまり考えてへんな。って、やかましわ!」
「そういうことじゃなくて真面目に言ってるんだけどね」
汐見がおかしそうに笑う。
「ははっ」
「汐見が笑いよった」
大翔が目を見開く。
「ごめん」
「ちゃうちゃう! 初めて笑い声聞いた気がすんねん」
「そうかな? ……そうかも」
汐見が少し考える。
「面白かったんか?」
「そういうことだと思う」
「成長やな」
大翔が嬉しそうに笑う。
「『面白い』が少しだけだけど理解できた気がする」
「なんかこっちがむしょうに嬉しいわ」
「理論的に解明はまだまだできそうにないけどね」
二人の口角が同時に上がる。
「考えるな感じろやな」
「いい言葉だね」
汐見が頷く。
◇
「ここ来たらいっつもこんな話してる気がするな」
大翔がメロンソーダを飲む。
「落ち着いて考えを整理するのにいい環境だからね」
「芸人なってからずっと考えてるもんな」
「いまだに実感としてはっきりとはわからないけどね」
「ちゃんと前には進んでるで」
「そうだね」
「最後にここでこの話したんいつやっけな」
汐見は記憶を探るように眉間に手をあてた。
「確かベルクソンやカントの理論からツカミの話をした時が最後じゃないかな。プラトン、アリストテレス、ホッブズらが提唱した優越理論についても話した記憶がある」
「何で哲学者の名前とか理論で覚えてるねん! すごいけど、こういうのは大体の日付とかでええねん!」
「少し長いけどいいツッコミだと思うよ。日付的には一カ月半前だね」
「ツッコミの評価!? そんで真顔やん! 日付はありがとう」
「調子良さそうだね。やっぱり思考を経由せずに反射でツッコめてる」
「そう言われると確かに!」
大翔が笑う。
「その前に来た時は確か観客の笑いとレベルを定義したときでプラトンが――」
汐見が話し続ける。
大翔がツッコミを入れる。
店内には二人の声だけが響いている。
時計の針は巡り、二人の会話はゆっくりと確かに時間を遡る。
いつしか出会った日の記憶にたどり着いた。
――――――――――――――――
汐「『芸人日記』第2話をお読みいただきありがとうございます」
大「どうもありがとうございます。感謝は大事やけど毎回やるん?」
汐「作者が不安な間はやるんじゃないかな」
大「そういうのは言わんでええやつ!」
汐「プロローグ不要論というものがある」
大「唐突やな! でもまぁ、プロローグはいらんちゅう話なんはわかるわ」
汐「ネット小説の場合、1話から冒険が始めて読者を引き込むほうがいい」
大「そういうもんなん? 面白ければどっちでもええんちゃう?」
汐「プロローグと書いてるだけでブラウザバックしたり、飛ばす人もいるらしいよ」
大「ほええ、難しいもんやな」
汐「そして『芸人日記』の2話まではプロローグなんだ」
大「あかんやん! なんでプロローグ書いてん!」
汐「まぁそんなに気にしなくてもいいと思うけどね」
大「なんでや?」
汐「タイトルにプロローグって書いてないから大丈夫」
大「そういう問題!? ってそれも言わんでええやつや!」
汐「次回、笑いとは『出会い』である。よろしくお願いします」
大「俺と汐見が初めて会った時の話やな!」
汐「後書きの長さは不安の大きさ」
大「言わんでええこと全部言っていくスタイル!?」
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