芸人日記 ―幼馴染の彼氏とコンビ組んだら気付けば講義配信者に?―

迷想三昧

第一章 賞レース編

第1話 笑いとは「緊張と緩和」である

 笑いとは「緊張と緩和」である

 

 それは、生の 流動性 に対する、 機械的なるもの の硬直である。

 不適合の露呈が、社会的な 弾力性 を回復させるために作用するのだ。

 この構造的解放がもたらす弛緩こそが、生命の躍動の証明である。

 

 ――アンリ・ベルクソン

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「「どうも、ありがとうございましたー!」」

 

 漫才の終了を告げる挨拶を終え、漫才コンビ『メソイズム』の汐見克也しおみかつや佐藤大翔さとうたいしょうが舞台袖へとはける。

 漫才の全国No.1を決める賞レース『漫ー1』の予選2回戦。

 本番の舞台が終わった。


 大翔は呼吸を整え、振り返った。

 

「すまーん汐見、ミスった気まんまんやわ」

 

 汐見は黙ったまま歩いている。

 

「やばいってなって、アドリブかましてわからんくなった!」

 

「いや、大翔が焦ったのはそもそもツカみがウケなかったからだ。その時点で既にネタの理論が破綻していた。フォローしようとするのは正常な判断だったと言える」

 

 汐見が淡々と答える。

 大翔は両手で頬をパンっと叩く。

 

「ほな、理由からやな。そういえば、何やはじめから変な空気やった気ぃもしてきたわ」

「変な空気……?」

 

 汐見は顎に手をやる。

 

「確かに僕の観測でも観客の反応が鈍重だった」

「言いかたよ! って、単にお客さんが重たかったってことちゃうんか?」

「賞レース……素人……、緊張感が――」

 

 汐見の足が止まる。

 視線が宙を泳ぐ。

 

「あかん、これ解析モード入ってしもてるわ」

 

 大翔が汐見の肩を揺らす。

 汐見が歩き出す。

 

「汐見、戻ってこーい」

「……」

「考えながら歩いとるとまた転ぶでー」

 

     ◇

 

 通路には出番待ちの人たちが並んでいる。

 

「エントリーナンバー、〇〇番」

 

 アナウンスの声が廊下に響く。

 一組のコンビが青い顔を見合わせて座り込んだ。

 

「あー、次の人らがっちがちに緊張しとんな」

 

 大翔がその様子を見ながら歩いていると、汐見が突然立ち止まった。

 

「……それだ」

「え?」

「緊張だ」

 

 汐見が目を見開く。

 

「緊張と緩和。お笑いの基本原理だ。賞レースという特殊な環境では、観客もまた緊張している」

「やっと戻ってきよったな。で、お客さんが緊張やて?」

「そう。二回戦だとまだそこそこの割合で演者の中に素人が混ざってるんだ」

 

 汐見が早口で続ける。

 

「素人の演者の舞台上での緊張は観客にも伝播する。緊張した観客は笑いに対する閾値しきいちが上がる」

「今日のわからん言葉その1出て来た!」

閾値しきいちとは言わば笑いのハードルだ。つまり、普段なら笑えるネタでも笑えなくなる」

「なるほどなあ」

 

 大翔が頷く。

 

「お客さん自体も少なかったし、身内の応援に来てる人何かはそれこそ純粋に笑われへんやろなぁ」

「その視点は抜けていた。となると想像以上に閾値しきいちは高いのかもしれない」

「俺がアドリブかまさんかったら、もうちょいマシやったかもな」

「その可能性はあるが軽微だ。根本的な問題が解決していない」

「根本的な問題?」

「観客の緊張度合が想定の範囲以上だった。結果としてネタに組み込んであった緩和する仕組みが機能しなかった」

 

 汐見が歩き出す。

 

「次はそこを改善する必要があるね」

「おお、前向きやん」

 

 大翔が笑う。

 

     ◇

 

 廊下の窓から外を見ると、会場の入り口に人が集まり始めていた。

 

「あれ、めっちゃ人増えてへん?」

 

 大翔が窓に近づく。

 

「確かに前半と比較して明らかに増えてるね」

「ああ! シード権のある人らが来るからか!」

「シード?」

「前年の準々決勝以上の人らや。出番が後半に固まってるねん」

「ああ、そういえばそういう仕組みだったね」

 

 大翔が窓を見つめる。

 

「前半はお客さんスカスカやったのにな」

「観客の入りも、出番の時間帯で変わる。これも一つのデータだ」

「なんかもったいないなあ」

 

 大翔が深く息を吐く。

 

「ゆーても、出番順は運やしどうしようもないわな」

「そうだね」

 

 二人は階段を降りていく。

 

「次に向けて、理論を修正しないと」

「また理論のこと考えてんのか」

「当然だ。今回のデータは貴重だからね」

「汐見らしいわ」

 

 大翔が笑った。

 

「しかし、結局また緊張と緩和やねんな」

「笑いの基本だからね」

「奥が深いっちゅうか、深すぎんねんなー」

「ベルクソンはやっぱり偉大だね」

「ベルクソン師匠やな!」

「師匠と呼ぶのは語弊があるね。かの哲学者は、笑いは『社会的な矯正』だと言った。硬直した行為を笑うことで、社会の柔軟性を取り戻す」

「『社会的な矯正』って響きがもう物騒やねん!」

「緊張した状態。それを緩和することで笑いが生まれる」

「改めて言われんでも、納得はできてるねんけどな」

「つまり、緊張のない場所に笑いは生まれない」

「ってことは、賞レースはめっちゃ緊張しとるから、笑いが生まれやすいってことちゃうんか?」

「逆だ」

 

 汐見が首を横に振る。

 

「緊張が過剰すぎると、緩和が機能しない。バランスが重要なんだ」

「ややこしいな!」

 大翔がツッコむ。

「でも、まぁ相変わらず面白いわ」

「そうだろう」

 汐見が少し笑った。

 

     ◇

 

「控室、戻れへんのやったな」

「出番待ち専用だからね」

「トコロテン方式ってやつやな」

「どこかで結果発表まで待つしかないかな」

「どないする?」

 

 大翔が汐見を見る。

 

「静かなところがいい」

「ネタ合わせに使ってるファミレスやと確かにちょっと騒がしいかもな」

 

「いつもの喫茶店にしよう」

 

「ああ、あの店やな」

「あそこは落ち着くんだよ」 

「よっしゃ、ほな行こか」

 

 二人は会場を背に歩き出した。

 

「結局、審査員の採点次第なんだよね」

「せやなあ」

「僕たちにできることはもうない」

「まあ、やるだけやったしな」

 

 大翔は空を見上げた。

 

「落ち着いたら何か食いたなってきたわ」

「生物として自然な生理現象だね。ストレス反応によるエネルギー消費が血糖値を変動させ――」

「落ち着いてない!?」

「つまり副腎から大量分泌されたアドレナリンが――」

「まだ続いてた! 絶好調か! おーい、汐見さーん!」

 

 大翔が汐見の肩を軽く叩く。

 一瞬目を合わせた汐見が視線を逸らす。

 

「喫茶店、行こうか」

「ははっ、何というか日常って感じやな!」

「いつもどおりだね」 

  

 騒がしい空気が徐々に遠ざかっていく。

 緊張は緩和され、次なる思考へと意識は移ろいでいった。

 

 

 

 ――――――――――――――――

 

汐「ここからはあとがきになります」

大「後書き!?」

汐「第1話を読んでいただきありがとうございました」

大「ありがとうございました。って、ええんか?」

 

汐「少しでも面白いと感じていただけたら、応援よろしくお願いします」

 

大「言い切った! 感謝伝えるんは大事やけど!」

汐「感想コメントや評価をいただけ――」

大「ちょい待ち! そりゃ感想とか評価貰えたら嬉しいしアがるけどお願いするのはちょっと違うやろ」

汐「でも、フィードバックデータは非常に有益だよ」

大「せやから言い方なんよ!」

 

汐&大「これから『芸人日記』をよろしくお願いします!」

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