第2話 消えた村
風が冷たくなった。
季節の変わり目ではない。
草原そのものが、静かに息を潜めているようだった。
ティムールは三十騎ほどの小さな偵察隊を率い、
北の境界へ向かっていた。
「……本当に、村が丸ごと消えたのか?」
バルトが声を潜める。
「焼かれた跡も、荒らされた跡もないって話だろ?
そんな馬鹿みたいなこと、あるか?」
「わからない。」
ティムールは短く答えた。
わからない——。
だからこそ、確かめるしかない。
丘を越えると、見晴らしの良い谷が広がった。
そこは、本来なら小さな村が見えるはずの場所だった。
だが。
「……何も、ない。」
ティムールの言葉は、風に吸い込まれるように小さくなった。
家々があった場所は、黒くも灰色でもない。
草が不自然に均一にそよいでいるだけだった。
火の跡はない。
争った痕跡もない。
踏み荒らされた形跡すらない。
「本当に……消えてる、のか?」
バルトが馬を降り、地面を手で払った。
「……生活の跡がねぇ……焚き火の灰すらねぇ……」
ほかの兵たちも次々と口をつぐんだ。
完全な沈黙。
その沈黙が、不気味さを増幅させていた。
ティムールは馬を降り、地面に膝をついた。
ただ静かに、草の揺れを見つめる。
(……争いの跡がない。
奪うためではない。
潰すためでもない。)
(では——なぜ“村ごと”いない?)
そのとき、視界の端に小さな違和感があった。
「バルト、そこを踏むな。」
「え?」
「足跡がある。……ほら、影になってるところ。」
兵たちが集まる。
草は踏まれていない。
だが、地面そのものが不自然に硬く沈んでいる場所がある。
「これは……」
「馬の蹄跡じゃねぇよな? 形が丸過ぎる。」
「それに数が多い。人間の歩幅じゃない。」
ティムールは黙り込んだまま、その跡を指でなぞった。
(……草原の部族の足跡じゃない。
靴底の形が違う。
硬いものを履いている……?)
そして、その足跡は北へ向かって伸びていた。
ただし——
「途中で、消えてる……」
バルトの声には恐怖が滲んでいた。
確かに足跡は途中まで続いている。
だが、ある地点から忽然と途切れていた。
まるで“跡を消す術”を知っているかのように。
あるいは——
本当に存在しなくなったかのように。
兵のひとりが震える声で言った。
「ティムール……これ、何なんだ?」
ティムールは立ち上がり、北の空を見た。
雲が早い。
風が冷たい。
「……わからない。」
しかし、わからないまま帰るわけにはいかない。
「この村にいた人々は、どこかへ移されたか……
連れ去られた可能性が高い。」
「殺されたんじゃなくて?」
「殺すなら、跡が残る。
村ごと消す理由があるんだ。」
バルトが唾を飲む。
「どんな理由だよ……」
「それを知るために来た。」
ティムールは馬に乗り直した。
「……北へ進む。足跡が消えた地点まで。」
「え、本気かよ?」
「ここで止まったら、何も見えない。」
その言葉は、誰よりも自分に向けたものだった。
風が草原を渡り、冷たい気配を運んでくる。
(何かが、動いている。)
(そしてそれは——戦よりも、ずっと静かに迫っている。)
ティムールは北へ向けて馬を走らせた。
隊の者たちも後に続く。
その背後で、消えた村の草が静かに揺れていた。
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